彼方から 第一部 最終話
防御したとはいえ、その激しい衝撃に体が細かく震えている、すぐには起き上がることすら出来ない。
――ばかな……
「く……」
――このおれが負けるだと?
辛うじて体を起こすも、その心に受けた衝撃は計り知れない。
負けることなど考えられない、いや、それは己のプライドが許さない。
剣を支えに、息を弾ませ、ケイモスは地に手と膝を着いていた。
「さすがだな。それだけのダメージで済んでいるとは」
イザークの言葉など、耳に入ってこなかった。
――こんな……こんなことがあってたまるか
――あそこに立って、あわれな敗者の姿をあざ笑っていたのは、いつもおれだったのに
ふらつきながらも立ち上がり、ケイモスは己よりも一段高い所から見下ろしてくるイザークを睨み付けた。
彼の表情がより厳しいものとなる。
恐らく、立ち上がることなど出来ないほどのダメージを与えるつもりで放った遠当てだったのだろう。
ケイモスの強さをさすがだと称えながらも、自分の想像以上の強さに驚いてもいるようだ。
「これ以上はやりたくないが……あんたは手強いからな」
――野郎……よくも……
――よくも、おれを、こんな惨めな気分にさせやがって
――許さねえ……
「生半可なやり方ではこちらが危ない。悪いが徹底的にさせてもらう」
冴えた瞳でケイモスを見据え、イザークは新たに遠当てを放つ仕草を見せる。
――おれより強い存在なんぞ
――許さねぇ……!
己よりも強い存在――ケイモスの脳裏に何かが閃いた。
「きさまか……そうかきさまか」
それは――
鋭い切断面を見せ、真っ二つにされた花虫の姿。
己と同等の、もしくはそれ以上の力を持つかもしれない者の存在の証。
他にも能力者は確かにいるが、己と同等以上の能力者になど、会ったことなどない。
今、目の前にいる、イザークという男以外には……
「樹海から【目覚め】を持ち去ったのはきさまかあっ!!」
ケイモスはイザークを指差し、そう言いきっていた。
証拠などない、だが、確信していた、彼が――イザークが【目覚め】を持ち去ったのだと。
あの花虫の巣から、樹海から……
イザークが、彼の推測に眼を見開いた時だった。
圧し掛かるような、眼に見えない重圧が二人を襲った。
思わず見上げたイザークの眼に映ったのは、大きな、とても大きな透明の、人の手……
空の、上の方から降りてきたように見える人の手の形をした圧は、二人がいた崖を崩し、谷を流れる川へと落としてゆく。
「うわああああっ!」
落とされながらイザークが見た光景は、眼を疑うものだった。
叫び声を上げながら落ちるケイモスを大きな手が掴み、そのまま上へと――空の中に消えるように上っていく様だった。
崩された、崖の一部だった場は、大きな地響きを立てイザークと共に川へと、落ちてゆく。
後を追うように、大小の岩や土塊までもが、重なり落ちていった……
**************
――小学生の時
――当時会社員だった父が転勤になって、友達と別れ別れになってしまったことがある。
――寂しくて落ち込んでいたけど、あることが切欠で立ち直った。
――近所の火事をあたしが見つけて、大火にならずにボヤで済んだのだ。
――もしかして、あたしが引っ越したのには、こういう使命があったのかも……
――その時のあたしは、てなことを考えたわけである。
――以後
――悩んでもどうしようもない状況に陥った場合。
――たとえば風邪で、第一志望高校の受験を失敗した時などは
――「あたしには、この第二志望の高校に通う使命があったのだっ」
――と、この考え方で乗り切ったりしたものである。
昔の、幼かった頃の思い出や、その時思ったことや感じたこと、考えていた事など、ノリコは自分自身を見つめ直すかのように思い返している。
イザークの帰りを待つ宿の部屋の中。
窓際に置いた椅子に座り、イザークの荷物を大事に抱え、ノリコは吹き込む風を感じながら、今と、そしてこれまでとを、重ね合せていた。
――だから、今もそう考えている。
――突然、この世界へ飛ばされたけど、きっと何か使命があるんだって
――何をしよう
――何ができるかな、あたしのできること
――まず、言葉を覚えて……それから――それから……
――ああ、そうだ
――あのおじさん達の心遣い、嬉しかったな
――あの時、みんな心、お日さまにしてて……
――暖かく照らしてくれた
瞼を閉じて考えるノリコの脳裏に、今朝の、皆の笑顔が蘇ってくる。
言葉も通じなくて、会ったばかりなのに、皆、優しく気遣ってくれていた。
優しく、言葉を教えてくれた。
こちらが笑顔を見せれば、必ず、笑顔で返してくれていた……
――お日さましてるのっていいな
――あたしもそうでありたいな
――何の力もないあたしでも
――そんなことならできるかな……
限りなく前向きであり、無垢であり、素直である……
人が向けてくれる心を、その気遣いを、その人の本質を、きちんと受け留める事ができる。
それが彼女の、一番の取り柄ではないだろうか……
*************
暗い部屋の中、横たわる男の姿が浮かび上がっている。
「うまく行ったな、あとで大広間へ人をやって、介抱させよう」
横たわっている男はケイモスだった。
その暗い部屋は、恐らく大広間なのだろう。
あの、透明な大きな手に掴まれ、気を失い、どういう術かは分からないが、彼はラチェフの力によってその場に連れて来られていた。
占者ゴーリヤの体から、自身の幽体を戻すラチェフ。
「もう一人の方はどうなりましたでしょうな」
ゆっくりと瞼を開くラチェフに、ゴーリヤはそう、話しかけた。
「さあ、崖もろともあの高さから落ちたのだ、いかな使い手であろうとも、人間ならば生きてるはずもないだろう」
大した興味もない――そう受け取れるラチェフの言葉。
彼にとって、自分の思惑や望みから外れた事柄は、どういう結果になろうと構いはしないのだろう……
必要としていない人間が、たとえ死のうと、生きようと……
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落ちた崖の一部は大きな岩石群と化し、谷底に不自然な小山を作りあげた。
未だに崩れた個所からは欠片が落ち、当たり、乾いた音を立てている。
イザークはその下敷きとなってしまったのか、辺りに、人影は見えない。
動いている者も、動いていない者も、見当たらない。
やがて――
ぼこっと、籠った音と共に積もった岩石の一部を穿ち、中から手が出てきた。
穿った穴に掛けたその手は、人の手とは思えない様相を呈していた。
節くれ立った指に、長く、鋭く伸びた爪。
その肌の色も……
普通の人間ならば、あの高さから落ちたら一溜りも無い。
仮に助かったとしても、一緒に落ちた岩石に押し潰されて、やはり、一溜りもないだろう。
だが、彼は、体の上に圧し掛かった岩石の中から、出てきたのだ。
積み上がった岩石をその体で崩し、押し潰されることも、落ちたことによるケガもなく出てきた。
作品名:彼方から 第一部 最終話 作家名:自分らしく