金陵奇譚 ─双の翔(つばさ)─
皇帝のその言葉を聞いて、ポツリと長蘇が呟く。
「、、、偏屈なのだ、、、誰かと一緒で。」
皇帝は長蘇を睨み返す。
「むう??、、何か言ったか!!。」
「、、、気のせいでは?、私めは何も。」
皇帝はその日、薬湯を飲み、横になる。
暫くの間、体の姿勢を変えたり、枕の位置を変えたりしていた。
━━習慣というものがあるのだ。具合の悪い自覚もないのに、横になったところで、眠れるものか。
、、しかし、休むと言ったからには、休まねば、、、、。━━
不意の休養に、皇帝の体が、当惑していた。
「眠れぬか。」
無理無理、目を瞑っていたが、目を開けて、声の主の方を見た。
梅長蘇は、皇帝の寝台に腰を下ろしていた。
「それもそうだな。だが、そうして無理にでも目を瞑っていろ。私が側にいる。今、神経を研ぎ澄ます必要は無い。今は眠れ。」
そう言うと、穏やかに長蘇は微笑む。
「、、ん。」
心の隅にあった、些細な心配事が、長蘇の一言で、溶けてゆく様だった。
皇帝の表情が、幾らか和らぎ、また目を瞑った。
今度は眠れるかも知れない、皇帝はそう思った。
皇帝はそのまま、眠りに落ちてゆく。
昼まで眠り、軽い食事をとり、また眠る。
不思議な程に、よく眠れた。
午後の遅い時刻になり、目が覚めた。
目を開けると、梅長蘇がそこにいた。
「しっかり眠れた様だな。頭も体も軽いだろう?。」
「、、ぁぁ、。」
体が軽かった。思考も靄が晴れてすっきりとしている。
「久しぶりに体が軽い。休んだせいか、、。」
起き上がりながら、首を回して、肩のあたりを解(ほぐ)している。
「顔色も表情も明るいな。睡眠はこれだけ効果があるのだ。」
「ああ、、今日は、珍しく邪魔も入らなかった。『書を読む為』と理由を付けたのは正解だった。面会やら、容態伺いやら、何時もなら、おちおち寝ても居られぬのだ。」
「皇后が、強く止めてくれていたようだぞ。お前は案外つれないが、ちゃんと言葉にして、感謝しておけよ。物を贈っても気持ちは伝わらん。」
「皇后の事は、私はしっかり立てているぞ。皇后も分かっているはずだ。、、、、だが、、まぁ、、そうだな、、。」
そうでも無いようで、皇帝は些かバツが悪そうだった。
「ふふふ、、それに、、、、。」
梅長蘇は養居殿の外の方へ視線を移す。
「、、ん??、、、。」
皇帝も同じように視線を移した。
幾らか外が騒がしい。
声がする。子供の声だった。
皇帝の顔が綻んだ。
「皇子達だ。景琰が目を覚ますのを、待っていたのた。養居殿の入(はい)り口に、暫く立って居るぞ。」
「皇子達か、、お入り。」
皇帝が呼ぶと、皇太子が走って入ってきた。
そしてその後ろから、庭生が、まだ幼い弟皇子を、抱っこして入ってきた。
皇太子は真っ直ぐに、皇帝の寝台の側まで駆けて行き、皇帝の側へ座った。
「父上、お体は大丈夫ですか?。」
「知っていたのか。皇后に聞いたか?。ふふ、、もう大丈夫だ、父は元気になった。」
弟皇子は寝台の側まで来ると、庭生から下ろされ、皇太子と皇帝の間に座った。
「そなたも兄達と参ったか。」
皇帝の顔が、満面の笑みになる。
「はい。」
弟皇子は、しっかりと答えた。
「そのまま入って起こせば良いのに、、、。」
皇帝は皇太子に言う。
「母上が、父上はお疲れでお休みになっているから、お邪魔になってはいけないって、、。だから、皆で待ってました。」
今度は庭生に、言葉を掛ける。
「大分、待たせたか?。」
「いいえ、全く。」
「はい。全然。」
皇太子が庭生に続いて答えた。
「ふぁ〜〜〜、、つかれちゃった、、。」
弟皇子が欠伸をしながら答える。
「し──────っ、、。」
兄達に言われて、弟皇子は、急いで口を手で隠した。
その様子が可愛らしくて可笑しくて、その場にいた者は、堪らず笑ってしまっていた。
「あのね、おばあさまが、ちちうえにって。」
弟皇子が袋を出して、皇帝に渡した。
「何が入っているのだ?。」
笑顔を弟皇子に向けながら、袋の紐を解き、開けてみる。
「おぉ、榛子の菓子か。」
「おばあさまに、ごあいさつにいったら、おばあさまが、ちちうえにもっていってって、、。だからきたの。」
「そうか、見事に役目を果たしたな。父に食べさせてくれ。」
うん、と大きく頷き、弟皇子は一つ取り出し、皇帝の口の中に入れた。
「うん、美味い。」
頬張りながら、皇帝は言う。
「そなたも食べなさい。」
皇帝が弟皇子の口の中に入れる。
「皇太后の点心は美味いだろう?。」
幼子はうんうんと、食べながら幾度も頷いて、にっこりと皇帝に笑顔を向ける。
その様子を、皇帝は目を細めて見ていた。
「兄達にも」と、弟皇子を促した。
弟皇子は皇太子と庭生に、一つずつ食べさせた。
庭生は弟の手が届くように、近寄って、屈んで頭を下げた。
皆、にこにこと食べていた。
「父も皇太后の点心が、大好きだったのだ。よく作ってくれたのでな。この榛子の菓子の味も、その頃と何も変わらぬな。」
皇帝は、目を細めて懐かしんでいた。
皆でもう一つずつ食べ、残りの菓子は二つだけになった。
「あぁ、、もう二つになった。残りは二人でお食べ。」
皇太子と弟皇子に、袋を預けた。弟皇子は喜んだが、皇太子は弟に言って聞かせる。
「お祖母様は、忙しい父上と、中々会えないんだよ。父上に食べて欲しくて、お祖母様は点心を作って、私達に預けたんだ。
私達も食べてしまって、残りは二つになってしまったけど、、、。
お祖母様の皇太后殿に遊びに行けば、お祖母様はまた下さるよ。
これは父上に食べて頂こう、ね。」
それを聞いて、弟皇子は、何かを決めたような顔になり、皇帝に袋を差し出した。
「ちちうえ、たべて。」
「そうか、良いのか?、父が食べても。」
弟皇子は大きく頷き、皇帝が袋を受け取ると、嬉しそうに笑った。
皇帝は、点心だけでなく、暖かなものを貰った気がした。
養居殿に篭っているのが勿体ない程、外は気候が穏やかだが、暖かな外気に負けぬ位に、皇帝の心が温まった。
「良い子達だな。皇子達が良い子で、父も母も、お祖母様も、皆、幸せだ。」
そう言うと、二人の頭を撫でてやった。二人の皇子は破顔の笑顔となった。
「庭生は、梅嶺から戻ったばかりだったな。国境は安定しているだろうが、どうであった?。戻ったばかりで、疲れぬか。」
「はい、大丈夫です。疲れません。梅嶺は穏やかですが、皆、調練を怠りません。
梅嶺を発った頃は、まだ寒い日は多かったですが、春の暖かい日差しに、雪も溶けだしておりました。梅嶺の麓では、今頃は、梅が咲き出したでしょう。」
「そうか、梅が、、。」
眩しそうに、何かを思い出した様な眼差しになった。
「陛下がお疲れになるから、あまり長居せぬ様に、皇后に言われてきました。
皇子様方、戻りましょう。皇太后に陛下の様子をお伝えせねば。」
「はい、兄上。」
「ハイ、あにうえ。」
二人共、庭生に返事をした。
皇子二人は、兄の庭生の言うことを、良く聞き、懐いていた。
これ程仲の良い兄弟は、実の兄弟でも、中々いないだろう。
弟二人は、皇帝の寝台から下り、庭生の横に並んだ。
三人揃って拱手礼をして下がった。
幼い弟皇子の姿は非常に愛らしかった。
皇帝は目を細めて見送った。
作品名:金陵奇譚 ─双の翔(つばさ)─ 作家名:古槍ノ標