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【弱ペダ】バレンタインだからってチョコレート貰えると思うなよ

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 新開の残念そうな顔に、ちらりと罪悪感を覚えないでもない。が、それを抑えて、とっととメシ食え、と締めて、荒北はそれ以上の話題を封じた。
 俺は買わねーからな!

 ……そう思ったはずだった。と言うか、何で俺が。そう思ったのに。
 甘い匂いが充満するフロアは、本来なら美味しいものが集まる至福の空間であるはずだ。だが、今は特別仕様のチョコレートの中でも更に特別な一品を求める眼光鋭いハンターたちの群れで満杯になっている。至福など何処へやら。鬼気迫ると言った方が良い空気と熱気に満ち満ちている。一歩踏み込んだ瞬間に蹴り出されて終わりのような気がする。
 戦場じゃねぇか! こんなんよォ!
 明らかな負け戦と言うべきか。と言うより、恐ろし過ぎて負けたらあっという間にトラウマになりそうだ。荒北はくるりと踵を返し、百貨店から逃げるように出た。
 建物の外へ出ると、ひんやりとした冬の外気が身体を取り巻いて、異様な空気に当てられたような頭がヒヤリと冷静になる。その冷めた頭で再び考えた。
 もう一度、あのフロアに行けるか?
 瞬時に「ムリ」と本能が訴えてくる。
 あの、人に贈るものを選ぶ、あるいはあれだけの中からいいものを求める意志というか、闘志とも言える雰囲気には、軽い気持ちで踏み込めるものではなかった。
 荒北は気分を切り替えるように一つ頭を振って、帰路についた。
 ――しかし。
 電車の窓から外を眺めながら、煩悶した。軽い気持ちではあったが、一度はチョコレートを買おうと決めたことが引っかかっているのだ。
 買わないと断言してしまったのは、チョコレート売り場がとんでもないことになっていそうだという予想もあったからだし、例え付き合っている間柄だとしても、男が男にチョコレートを買うなんて、という気持ちがあったからだ。て言うか、お前は買わねーのかよ!
 そう思って、はたと気付く。自分がもし新開から貰ったとしたなら、大いに照れ臭いのは間違いないにしても、嬉しくないはずがない。そう思うと、新開の喜ぶことをしてやりたいという気持ちも湧いてくるというものだ。まったく、恥ずかしげもなく「チョコレート欲しい」などど強請ってくるなと言うのだ。自分では出来ないことをしてのけてくる新開を思い出して、ぐるぐるしていた怒りも勢いを失った気がする。
 ちっ。
 荒北は窓の外を見ながら思わず舌打ちをする。
 買ってやろうじゃなァい。
 つい先ほど、とても太刀打ち出来ぬと判断した、有名メーカーのものではないにしろ、なにがしかを新開のために買おうと決意を固めた。
 だが、荒北は忘れていたのだ。
 彼が生活する場には、多くの目があることを。
「荒北さん?」
 試験が一つ終わった気分転換に走りに出たと言う名目で、近隣のコンビニを周った。が、コンビニに入れば、誰かしら後輩がいて、有り難くも、だがバレンタイン用にラッピングされたチョコレートを手に取ろうとした、まさにこのタイミングは間が悪すぎると言う絶妙な所で声がかかる。
「試験終わったんですか?」
「今日のはねェ。まだ残ってるけどな」
 チョコレートなんか、見てませんけど? と言わんばかりの態度で答えては、何も買わずに飛び出すの繰り返しだ。
 少し離れた別のコンビニへ入り、店の奥に作られたバレンタインチョコレートの棚へ向かう。後輩を見かけなかった他の店ではレジのまん前だったり、店の入り口に近すぎて逆に手が出せなかったので、助かったと思った。
「あれぇ? 荒北さん?」
 棚の前に立ったところで、のほほんとした声が掛かる。
「真波……」
 野口英世一枚でギリギリ足りそうな価格帯のものが妥当かとアタリをつけていたのだが、その値札を確認する間もなく荒北は後輩の方へ向き直る。
「お疲れ様で~す。なんだか久しぶりですね」
 真波は汗だくのジャージの前を大胆に開けて、暖房の効いた店内に入ってくる。
「おめー……」
「ああ、除雪されてたの見たんで、山走ってきちゃいました」
 真波は全く当たり前のことだと言わんばかりの態度でにっこり笑う。
 真冬の箱根の山は、雪が降る。だが、降っても翌日、かかっても数日すれば除雪されて車などでも通行が可能になる。冬は篭りがちになる練習期間に少しでもメリハリをつけるべく、箱根学園自転車競技部の生徒達は道路状況のリアルタイムカメラのウェブサイトを確認するのが習慣になっている。元々は図書室か情報処理室のパソコンでしか確認できなかったが、最近はスマホでも確認できるようになったのが便利だ。
「あっ! チョコレート。そっかぁバレンタインの時期でしたっけ。この時期しか出てないの沢山あるんですよねー」
 真波はそう言うと、珍しそうに棚を覗く。
「あ、これ美味しそう」
 真波はバレンタイン仕様のラッピングがされた箱を手に取ったと思うと、普通のチョコレートを当たり前に買うかのようにレジへ持って行った。店員は一瞬真波とチョコレートを見比べて驚いたような顔をしたが、真波が自然にしている雰囲気に圧されたらしく、冷静にレジを通して行った。
「あ、じゃあ、俺これで。もう一本山行ってきたいんで」
 荒北が言葉を失って立ち尽くしている間に、そう言って真波は店を出て行った。
 ――しれっと買って行きやがって! こンの、天然不思議チャンがよォ……っ! 店員も店員で真波の圧に押されやがって。これで更に俺が買いにくくなったじゃなァい!
 荒北は店の外を自転車で走り去る真波の姿を見送りながら、腹の中で悔しいやら羨ましいやらの文句を盛大に連ねる。一頻り文句を連ねて少しは気が済んだが、ここで文句を言っていてもチョコレートは手に入らないことに変わりはない。
 新開に贈ってやろうと決めた上は、なんとしても買わねばならぬ。
 荒北はカゴを手に、飲み物やお菓子を幾つか放り込む。そして、さりげなく。あくまでさりげない様子を装ってチョコレートの棚の前へ近付いた。そして何とか目をつけておいたチョコレートの箱を手にしようとした瞬間、きゃははは! と大きな笑い声と共に女性が店内に入ってきた。荒北は慌てて手を引っ込める。
 すぐに後悔した。そのままの勢いでカゴにチョコレートを入れてしまえば良かったのに。そうすれば、さっさと会計を済ませて店を出て行けたのに。いや、レジ前でチキンくらい買う余裕もあったかもしれない。
「あっ。あったよ」
 女性が真っ直ぐ荒北の立ち尽くすチョコレートの棚の前に向かってくる。その勢いに百貨店の洋菓子売り場で見た殺気に近いものを感じて、荒北は思わず後ずさった。むしろ、棚の前を彼女たちに譲るしかなかった。
「どれにする?」
「どうしよう?」
 女性たちは棚の前でああでもない、こうでもない、と悩み始める。別の棚を見に行った体でその場を離れた荒北は、商品を見るフリで彼女たちの動向を探る。いや、早く決めて店から出てってくれ、と心の中で半ば脅しにかかるような祈りを繰り返す。
「これにしよ」
 その祈りが届いたのかどうか判らないが、女性たちが会計を済ませて出て行った。そのスキに目的の棚の近くへ移動した荒北は、誰も居なくなったと見て、やっと、さりげなく、箱をカゴへ無事に入れることが出来たのだった。
 ――後は会計だけだ。