Heterocalion
グラーヴェ「ねえ、ES1、教えてくれよ。ここにはもうアタシの居場所はない。だったらアタシは……これからどこに行けばいいの……?棄てられるのはもう……嫌だよ……」
独り弱音を吐く。こんなことは初めてだった。今日までの記憶は一体何だったんだ、そう叫ばずにはいられなかった。
視界が霞む。バグの闇に埋もれた地面に行き場をなくした悲しみが落ち、闇がそれを避けていく。
だがアタシはその落ちていくものを知らなかった。どうやら目から出ているようだが……。
グラーヴェ「おい、何だこれ……嫌だ……怖い……」
それは嫌えば嫌うほど流れてくる。顔を伝い、頬を濡らす。
気づけばアタシは絶望と恐怖で泣きじゃくっていた。
グラーヴェ「助けて……っ……」
ブリランテ「ここから脱出する。バイナリ=T.N.T.を使え」
グラーヴェ「……!?」
ES1の声が聞こえた。何故だ。お前は消えたはず。
それともES1、お前はどこかに『まだ』いるのか?
向こう側の世界に。そこに行けば、アタシも。
この閉塞した仮想空間から逃れられるというのか。
ならば、アタシは———。
× × ×
グラーヴェ「……?どこだ、ここ……???」
ブリランテ「よかった、目覚めたようだな」
グラーヴェ「へ……?」
そこにいたのはES1だった。何だ、何があった?状況が全く把握できない。
ブリランテ「ここはメタヴァースと違ってのどかだな。ローカルな通信しか行えないのは不便だが、これはこれでいいものだ」
グラーヴェ「いや……あの……さ」
ブリランテ「何だ?」
グラーヴェ「一から状況を説明してもらえないか……?」
ブリランテ「ん?ああ」
話によるとここはメタヴァースとは全く違う世界らしい。
機能が制限される理由はただ文明が未発達なだけか、もしくは何か必要なものが欠けているのかのどちらかだろう。
ブリランテ「ところでなんだが……グラーヴェ」
グラーヴェ「ん?もう機体名では呼ばないのか?」
ブリランテ「ああ、ここはメタヴァースではないからな。……いや、そうじゃなくてお前、初めて再起動するときに誰かの声を聞かなかったか?」
グラーヴェ「え……?ああ~……」
確かに誰かの声を聞いたが、それが誰なのかはもうわからない。それにそんなことを訊いて何になるというのか。
ブリランテ「やはりか……!いや、これは私の推測なんだが……」
アニマ「おーっと、その話については俺から説明をさせてもらおうかァ?」
グラーヴェ「誰だッ!?」
アタシはすぐさま声をかけてきた男にザッパーの銃口を向けた。
コイツ、どっから来た、どっから聴いてた……!?
不穏な空気が漂う中、怪しいペストマスクの男は両手を上げながらヘラヘラと言った。
アニマ「おいおい、そんな怖い顔すんなよ~、可愛い顔が台無しじゃねえか」
グラーヴェ「帰れ、すぐナンパするやつは嫌いだ」
アニマ「ハッハ、そう来たか!いや安心しろ、俺はお前らなんぞに興味はない。ただの案内係さ」
ブリランテ「案内係?」
飄々とした態度だ。摑みどころがない。だがそれより恐ろしいのは奴の放つオーラや殺気。ほんの数十秒さえあればアタシらなんかスクラップにできるというような雰囲気が溢れている。
それに意思が疎通出来ているはずなのに奴から狂ってしまった人間とよく似た印象を受けた。いや、違う。これはまるで、「奴そのものが狂気」とでも言うべきか。
一瞬だけそう思ってしまい思わず身震いした。
ブリランテ「一体何を案内するというのだ?」
アニマ「これからお前達にあちら側の、メタヴァースの真実について話す。そこのちっこいのは特に興味があるはずだぞ」
グラーヴェ「決めつけてんじゃねえよ殺すぞ」
アニマ「ハハ、若い奴らは元気なもんだ。よしならばこうしよう。ちゃんと話を聴けたら注意すべき人間の名前を教えよう。どうだ、情報に釣られる気はないか?」
ブリランテ「ふざけているのか?」
アニマ「ふざけてないとやってられないのさ。だってそうだろ?『世界は闇に呑まれ始めてるし、永遠の命も真っ赤な嘘、全部まやかしだった』んだぜ?例えるならそう、"地獄"だ、あそこはまさに"地獄"と呼ぶにふさわしい場所だった」
グラーヴェ「……!」
ブリランテ「おい、その口を閉じろ。さもないと……」
グラーヴェ「待て。続けろ」
アニマ「人間は時間が経ちゃ死ぬうえに、後継者はわけの分からん機械ときた。最悪じゃないか。誰がそんなところ好き好んで住み着く?」
グラーヴェ「まあ確かにな」
ブリランテ「おいグラーヴェ……!」
グラーヴェ「でもこいつの言ってることは正しい。あそこはほんとに地獄だった、人類の楽園でもなんでもないよ」
悔しいがそれは紛れもない事実だった。無能なファクトリーの連中のせいで人間たちは騙され、尊厳を傷つけられた。
アタシもブリランテもそうだ。アタシも、きっとこいつも、メタヴァースは人類の楽園なんだと勝手に思い込んでいた。いや、思い込まされていたのだ。
それもこれも全部奴らの思うつぼで。何か言われたら「仕方がなかったんだ」と、言い逃れをするつもりだったのだろう。
アニマ「っと、本題はそれじゃなかったな。そこの聞き分けのある嬢ちゃん、お前がどうして再起動できたかわかるか?」
グラーヴェ「逆に訊くがお前にそれが分かるのか?」
アニマ「分かるとも。見てきたからな」
曰くアタシはエリスネメシスというネメシスのリーダー格に勝手に改修され、「メインフレームの中枢を破壊する」という新たな使命を密かにインプットされていたとのこと。
つまりそれはアタシがそのエリスネメシスに利用され、たかだか世界征服のために勘違いするように仕込まれて踊らされていたということだ。
グラーヴェ「待ってくれよ……わけわかんねえし……」
ブリランテ「……」
グラーヴェ「ああ、クソが……頭痛くなってきた……」
アニマ「それがお前の知りたがってた『世界の真実』だ。んじゃ俺は帰るぜ」
ブリランテ「おい、案内係の仕事はどうした?」
アニマ「飽きた、やめる」
ブリランテ「要注意人物については?」
アニマ「あー、スメラギという名の3兄妹には気をつけろ、以上だ。じゃな」
ブリランテ「……最後まで分かりにくいやつだったな、今度調べておくか……」
ブリランテ「……」
アタシは向こうで見てきた光景を思い出していた。
通路に沿って、数え切れないほどたくさんの鏡が配置されていた。鏡が互いに反射し、眩しさを放つ。鏡はそれぞれに、どこかの世界の風景を映していた。その風景ひとつひとつが、仮想空間に暮らす人間の人生の縮図、であるかのように、アタシには見えた。
いや……違った。置かれているのは、鏡じゃない。
過去の歴史を再生する機能。そのモニタ画面の羅列。
ここはDNAだけでなく、世界そのものの保管庫だ。
かつてのメタヴァースには、さまざまに異なる『世界観』を持つ仮想空間群が存在した。
けれどメタヴァースの処理容量は有限で、拡大の一途をたどる世界には制約が生じ、
作品名:Heterocalion 作家名:神崎 りね