雫 1
医師がフロンタルに気付き、軽く会釈をする。
フロンタルは、自分を気にせず、アムロの治療を進めるよう手で合図する。
それに答えるように、医師は手早く処置をすませると、部屋から出て行った。
二人きりになり、フロンタルはベッドの端に座ると、アムロの顔に巻かれた真新しい包帯に優しく触れる。
「痛みはないか?」
答えは返ってこないが、気にせず話を続ける。
「アムロ、君はあの子の中に何を感じた?」
ニュータイプ同士、惹かれるものがあったのだろう。
アムロは無意識下でバナージを呼び、バナージがそれに応えた。
アムロがバナージに向けた笑顔を思い出し、フロンタルが苦笑する。
「少し妬けるな」
フロンタルはアムロへと顔を近付けると、そっと口付ける。
始めは啄ばむように優しく、そして唇の隙間から舌を滑り込ませると、互いの唾液を交換し合うように、深く、深く口付けた。
意識がはっきりしないながらも、感覚はある為、アムロはそれに応えてくれる。
むしろ理性が働かない分、快楽のままに流される。
アムロの傷が癒えた頃から、フロンタルはアムロの身体を求めるようになった。
身体を手に入れた事で、アムロの全てを手に入れたいと言う想いが益々大きくなっていく。
それを、もう抑える事が出来なかった。
情事の後、眠るアムロの身体を温かいタオルで清めながら、その身体を隅々まで観察する。
左半分から、背中にかけて酷い火傷を負っていた身体は、幾度も繰り返した移植手術で、皮膚の色にまだ赤味が有るものの、ほぼ完治した。
後は、先日手術した顔の手術痕が癒えれば治療は終わる。
そっと腕を持ち上げて優しくタオルで汗を拭き取る。
その腕は、療養で動けなかった為に筋肉が落ちて随分と細くなっていた。
それでも最近はリハビリを始め、食事も取れるようになってきた事から、少しずつだが肉も付いてきてはいる。
「…君がMSを駆る姿を見てみたいな…」
宇宙にスラスターの青い軌跡を描きながら、美しく翔ぶ白い機体。
後に、アクシズショックと呼ばれたあの日に見た、νガンダムの姿が脳裏に蘇る。
まるで天使の片翼の様なフィンファンネルを背負い、キラキラと命の光を、その機体から振り撒きながら舞う様に戦うνガンダム。
「君ほど美しくモビルスーツを操る者はいないだろう…」
火傷の治療痕の残るアムロの腕を、そっと持ち上げ、手の甲にキスをする。
アクシズをたった一機で押し返す姿に、愚かだと思いながらも、神々しいものを感じた。
そして、νガンダムから溢れ出す緑色の美しい光が、オーロラの様に輝いてアクシズを包み込んだのを見た時、息が止まった。
“美しい” ただ、そう思った。
そして地球へと伸びた光は、アースノイド達に、ニュータイプの、人々の心の光を見せた事だろう。
あの奇跡を、この手の中の青年が引き起こしたのだ。
この奇跡の存在を手に入れた。例え、自身のオリジナルである男にも譲りたくはない。
フロンタルは眠るアムロの唇に、そっと自身の唇を重ねる。
すると、ピクリとアムロの瞼が動き、その瞳が開かれる。
その瞳は目の前のフロンタルの顔を捉えると、小さく笑みを浮かべた。
そして、ゆっくりと手を上げ、フロンタルの頬へと伸ばす。
「…フロン…タル…」
アムロが初めて、自身の名を呼んだことに驚く。
「…ア…ムロ・レイ…⁉︎」
驚きで、それ以上の言葉を紡げないフロンタルに、アムロの琥珀色の瞳が優しく微笑む。
「あり…がと…う…」
その言葉に、フロンタルはどう答えて良いか分からない。
それを察したのか、アムロが言葉を続ける。
「助けて…くれて…あり…が…とう」
「…いや…」
確かに、アムロを戦場から回収し、治療をした。しかし、それは救出と言うよりは誘拐に近い。
救出と言うならば、旗艦であるラー・カイラムに送り届けるべきなのだ。
あの時の自分たちの目的は、アムロ・レイを戦場のドサクサに紛れて連邦から奪うことだった。
シャア・アズナブルが、最後まで執着したファーストニュータイプ。
シャア・アズナブルの影武者として、秘密裏に創られた自分を、よりシャア・アズナブルに近付ける為に必要な存在であるアムロを手に入れたかったのだ。
事実、あの日からフロンタルは今まで空虚だった己の心に、命が宿ったのを感じた。
そして、今まで感じた事もない感情が沸き起こり、「人」としての、「個」としての意思が芽生えてきた。
それまで自分は、周りの求める存在であれば良いと思っていた。それなのに、妙に人間臭い感情を持つ様になってしまっていたのだ。
その最たるものが、アムロ・レイに対する独占欲だ。
自分にこんな感情が存在するとは思ってもみなかった。
フロンタルが思考に耽っていると、アムロがブルリと身体を震わせ、くしゅんとくしゃみをする。
「ああ、すまない。寒くなってしまったな」
慌てて服を着せるフロンタルに、アムロがクスリと笑う。
「ありが…と」
アムロの反応に、フロンタルが小さく息を吐く。
「…君は…自分の状況が解っているのか?」
これだけ反応があるという事は、麻酔が切れ掛かっている。
おそらく、先程の処置の時、麻酔の投与がされていない。フロンタルが現れた為、処置を急いだ為に投与を忘れてしまったのだろう。
「…多分…」
「多分?」
アムロはゆっくりと身体を起こし、フロンタルを真っ直ぐに見つめる。
「…あの日…俺は貴方たちに回収されて、命を繋いだ。そして、多分ここは何処かのコロニーで…貴方の見た目から察するに、ネオ・ジオンの残党軍の拠点」
「…ああ、その通りだ」
「俺は…何で…ゴホっゴホっ」
そこまで話し掛けてアムロが咳き込む。
「大丈夫か?」
「す…まない…。水をくれ…」
情事の後で喉が酷く乾いていた。
散々喘がされたからだとは言いえないが、アムロは涙目になりながら訴える。
フロンタルはサイドテールから水差しを取ると、グラスに水を注ぎアムロの前へと運ぶ。
「飲めるか?」
「ん…」
差し出されたグラスを受け取ろうとするが、片目が包帯で覆われている為、位置感覚がブレて上手く受け取れない。
「あ…」
その様子に、フロンタルはアムロの頭にそっと手を添え、グラスを口元まで運び、ゆっくりと水を飲ませてやる。
アムロも、素直にそれを受け入れ水を飲んだ。
余程口が渇いていたのか、グラスに半分程入っていた水を一気に飲み干す。
「まだいるか?」
「いや、いい…ありがとう」
アムロは大きく息を吐き、ひと息つく。
「話の…続きだが、俺はどうして生かされている?ジオンにとって、俺は憎むべき敵だろう?」
喉が潤い、薬も大分切れてきたのだろう、アムロの口調がハッキリしてくる。
「そうだな。しかし、君はかつてジオン・ダイクンが提唱した人類の革新たるニュータイプだ。スペースノイドの象徴でもある。寧ろ、なぜ君が連邦に居たのかが不思議だ」
「象徴って…俺はそんな大それたものじゃない」
「あんな奇跡を起こした人間が何を言う」
「奇跡?」
「ああ、既に地球の引力に引かれていたアクシズをその軌道から弾き出した。そんな芸当が出来る者は他にはいない」
「そうだ!アクシズは地球に落ちなかったんだな⁉︎」