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自分らしく
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彼方から 第二部 第四話

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 ――どんな思いで、おれの心に呼びかけた?
 ――呼んでも
 ――応えはないと分かっていて……

 別れ際に見たノリコの顔、涙を浮かべ瞬きもせずに自分を見る、あの、瞳……

 ―― イザーク…… ――
 
 彼女の声と共に蘇るその姿が、瞳が……イザークの心を苛んでゆく。
 胸が痛く、苦しくなってくる。

 ――そんな目で、おれを見るなノリコ
 ――おれはおまえといるのが、怖かったんだ……

 その思いから彼女を預け、独りになった……
 だが、今、傍にいられないことが辛い。
 想いを握り締めるように、イザークは唇を噛み締め、瞼をきつく、閉じてゆく。

 ――こんなことになると分かっていれば

 ――おれはおまえを

 ――置いて行きはしなかったんだ……!

 後悔の念が、イザークを俯かせてゆく。
 牢屋の壁に背を当て、イザークは立てた片膝に顔を埋めるように伏せてゆく。
 声を掛けることも、気に掛けることさえも拒むように、彼は残った片手で拳を作っていた。
 その拳には、自分に対する怒りが、籠められているように見えた……

   *************

 雨音が、続いている。 
 屋根を打ち、地面を打つ音が、聴こえている。
 まだ暗い部屋の中、ノリコは不意にむくっと、体を起こした。

 ――目、覚めちゃった

 寝入ってから、まだそんなに時間は経っていないのだろうか。

 ――何時ごろなのかなァ
 ――まだ暗いから、朝じゃないんだな

 ベッドの上で辺りを見回しながら、そんなことを思っている。
 一つ、溜め息を吐くノリコ。
 もう、眼が冴えてしまったのだろう、寝直そうという気にはならないらしい。

 ――お水でも飲んでこよ……

 とりあえず、なのか、致し方なくなのか……彼女はのそのそと、ベッドから降りようとし始めた――

 ――ん?

 眼の前、ベッドの上で四つん這いになり、降りようとしている彼女の本当に眼の前。
 光が――小さな煌めきが、浮かんでいた。
 
 ――何……
 ――あの光

 眼の前にあるのだ、無視するなんてとても出来ない。
 ノリコは吸い寄せられるように見入っている。
 やがてその小さな煌めきは大きさを増し、薄らとだが、人のような姿を形作り始める。
 そして、ノリコが見詰めるその中で――光は一人の、俯く少年の姿を浮かび上がらせていた。

 ――……ッ!

 ベッドの上、四つん這いの状態のまま、ノリコは声を出すことも忘れている。

     助けて下さい……

 ――え?

 それは、声というにはあまりにか細かった。
 宙に浮かぶ少年は、俯いていた顔を上げながら、助けを求めてくる。
 銀色の、細く柔らかそうな巻き毛を靡かせ、

  どうか……
     ぼく達を……
        救って……

 訴えながら開いた瞼の中に、紫色の綺麗な瞳を持つ少年……
 少年の言葉は、声は、ノリコの頭に直接響いてくる。
 彼女は、その儚げで美しく、今にも消え入りそうな姿から眼が離せなかった。

 ――そんな……
 ――いきなりそんなこと言われたって
 ――しかも、そんな向こうの壁が
 ――透けて見えるような体で弱々しく……

 少年の姿は、力尽きるかのように次第に薄く、弱くなり――蝋燭の灯の如く、フッ……と消えていた。
 ノリコの顔面から、血の気が引いてゆく……

 ――そんでもって
 ――いきなり消えられたりなんかされたら
 ――あんた……
「きゃああーーーっ!!!」
 耳を劈くような悲鳴を、上げざるを得なかった。

「どうしたっ!」
 突然の悲鳴に飛び起き、アゴルは上着を羽織って宛がわれた部屋から飛び出してきた。
「で……でた、ゆ……ゆ……幽霊……」
 わたわたと、手をバタつかせ、やっとのことで部屋から這い出てきたノリコは、アゴルに辛うじてそう返していた。
「え」
 アゴルの動きが止まる。
「ゆーれーっ!?」
 心なしか、少々、顔が蒼褪めているように見える。
「ど……どんな」
 とりあえず、彼女にそう訊ねた。
 一緒に起きてしまったジーナの手を引き、もう片方にはしっかりとランタンを持っている。
 突然の出来事にも、準備が万全なのは傭兵時代の名残だろうか。
≪え……と、あの≫
 動揺、著しいのか、ノリコは思わず、向こうの言葉を口にしてしまってから、
「男の子、きれいな光の中で、浮いてました」
 こちらの言葉で言い直す。
「…………様子が、悲しそうな」
 問われ、改めて思い返すことで、その場では気付けなかったことに気付くノリコ。

 ガタンッ――!

 不意の物音に、二人はビクつき、無意識に体を寄せ合っている。
「物音が……」
「…………一階からです……」

 ミシッ――

「あ、また……」
「…………」
「…………」
 アゴルの持つ、ランタンの灯しかない廊下。
 無言で見合う二人……
 この場合――どう考えても……
「お……おれが見てくるから、あ……あまり離れないように」
 確認役は、アゴルしかいないだろう。

 足音を忍ばせて階段を下り、アゴルはそっと、一階への入り口からランタンを差し入れ、辺りを照らした。

 ――ッ!!

 真っ暗な一階の廊下。
 ランタンの灯がぼんやりと照らし出す人影――

「うわあっ!! お化けっ!!」
 アゴルは年甲斐もなく、そう叫んでしまっていた。
「えっ」
 ノリコは怖くないのか、彼の声に飛び出してくる。
「あ」
 思わず叫んでしまったものの、よくよく見てその正体に気付いたのか、アゴルは口に手を当てていた。
 しまった……とでも言うように。

「誰が……お化けだって?」
 廊下の先、裏口に立っていたのは、びしょ濡れの雨避けのフードを被っているガーヤだった。
 開かれた戸の向こうには、まだ、雨が降っているのが見える。
「おばさんっ!」
 彼女の無事な姿に、ノリコは驚きと安心の笑顔を見せ、ずぶ濡れなのも構わず抱き付いてゆく。
「誰だい、この失礼な奴は…………」
 ノリコに抱き付かれながらガーヤはムッとして、アゴルを見据えていた。
 暗がりとはいえ、初対面の人のことを、しかも『女性』を、お化け呼ばわりした失礼な男を……

   *************
 
 ――夜が明けて来た

 牢屋の窓から、陽が射し込んでいる。
 イザークはその窓の傍に、片膝を立て、その膝に乗せた腕に顔を埋めたままの姿で、朝を迎えていた。

 ――こんなところで
 ――薬が消えるのをゆっくり待っている間に
 ――何か
 ――あいつの安否が分かる方法があるのではないか……

 ノリコを置いて行ったことに後悔し、どうにもならない状況に甘んじながら、彼は、それで終わらなかった。
 ここから出られないなら出られないなりに、何か方法はないかと考えを巡らせる。
 伏せた顔を上げる。
 何か思いついたのか、瞳には光が宿っている。

 ――もし

 ――おれの方からノリコに呼びかけたらどうなるだろう

 それはただの思い付きで終わってしまう可能性がある。
 だが……

 ――おれがあいつの声を聞けたというのなら
 ――その逆もまた、可能なのでは……