彼方から 第二部 第四話
昨日聴こえたあの声が、本当にノリコのものなのなら。
本当に彼女がイザークに呼び掛け、それが伝わったというのなら。
逆もまた可能なのではというイザークの考えも一理ある。
確かめようはない……
だが、試してみる価値はあると、イザークは思っていた。
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「お家、守れなかった、ご免なさい」
濡れた服を着替え、ガーヤ以下四人は、暖炉の前で簡単な食事を前に一応、寛いでいる。
火を熾し、温まりながら、ラグに座っている四人。
それぞれの脇には湯呑も置いてあった。
「いやいや、奴ら相手に女の子がどう出来るもんじゃない、却って家にいなくて良かったよ」
家の中を指差し、済まなそうに片言で謝ってくるノリコに、ガーヤはそう言って微笑み返している。
「先程は誠に失礼しました。おれは、人間には強いんですが、お化けはどうも苦手で……」
きちんと着替え、身なりを整えたアゴルが、ガーヤにそう言って謝っている。
謝ってはいるが……
「誰がお化けだって?」
余計な一言が付いている。
「あ……いや、そう言う意味ではなくて、つまり、その……」
ガーヤにムッ――と睨まれ、突っ込まれ、アゴルは自分の余計な一言にアタフタしている。
――お父さんてば……
まだ幼いジーナが、赤面し、顔を背けて困っている。
ノリコも二人のやり取りにどうしたら良いか困り、二人を交互に見やるしかない。
「ま……いいさ、ノリコを助けてくれたって言うし、信用できる人間だろう。こんな可愛い子の父さんだしね」
だが、ガーヤは言うほどは怒っていないのか、すぐに笑みを浮かべ、ジーナを見てそう言ってくる。
ジーナも可愛いと言われ、違う意味で赤くなり、見えないながらもガーヤを見上げている。
「ど……どうも」
ガーヤの言葉にノリコはホッと胸を撫で下ろし、アゴルも赤面しつつホッとしていた。
「しかし、何だってあんたみたいな部外者が、援助を申し出てくれるのか……」
だが、彼女はすぐに緩んだ表情を引き締め、改めて、アゴルにそう訊ねた。
「確かに、こちらはあのイザークさえ、敵の手の中に入ってて、何が何だか、とにかく弱り果ててる。助け手は喉から手が出るほど欲しいけどさ、とても危険なことなんだよ、これは」
アゴルを試すかのように、ガーヤは言葉を続ける。
――イザーク……
彼女の口から出たイザークの名に、ノリコは不安げに目を伏せ、彼の今の状況に思いを馳せた。
「いえ、こちらとしても色々助けられたこともあるし、それにおれも、青乱隊と一悶着起こさねばならないかもしれない身です」
アゴルも、彼女の問い掛けに真摯に答える。
勿論、援助を申し出るからには、他にも理由がある。
「その間、このジーナを預かって欲しいのです、交換条件と言えばそうなりますが、おれもかつて、傭兵として色々やった経験もあるし、少しは頼りになると思いますよ」
自分を売り込み、他意は無いように言葉を繋ぐが……
――この国の内乱には興味はないが
――おれはそのイザークという青年に会ってみたい
――ケイモスの言ったことを確かめる為にも
青乱隊との一悶着。
そして、イザークという青年……
ノリコを連れ歩き、ガーヤの元に預けていったその青年の、為人(ひととなり)を確かめたかった。
アゴルの目的は、その二つだった。
「ふ……ん」
ガーヤはアゴルの言葉に少し考え始める。
ノリコを助けてくれたこと、そして、ジーナの存在。
この二つを以って、信用できる人間だろうと彼女は確かに言ったが、それだけのことで、即断する訳にもいかなかった。
自分一人でどうにかなる問題でもなかったが、部外者を巻き込むことに抵抗が無い訳ではない。
何しろ、危険が伴うのだ……
ガーヤが思案を巡らせている間に、ノリコがふと、何かに気付いたように何もない空間を見上げた。
「イザーク?」
彼女の呟きに、アゴルとガーヤの視線はノリコに向けられた。
だが、ノリコ自身は二人の視線よりも、他の何かに気を取られ何もない空間を、上をじっと、見上げている。
「ど……どうしたの、ノリコ……」
イザークの名を呟いたまま、何もない空間を見詰めるノリコに、ガーヤが心配そうに声を掛ける。
「イザークの声が聴こえます」
ガーヤの問いに、ノリコは上を見上げたまま、応えている。
何もない空間を見詰めているように見えるが、彼女の視線の先には何か、光の帯のようなものが、微かに漂っている。
「あ、また」
両手で耳の辺りを押さえ、ノリコはそう応える。
その瞳には、微かな光の帯が映っているのだろうか……
「ちょ……ちょっと、ノリコ……あんたまさか、気がおかしくなったのでは」
イザークに預けられた寂しさと、そのイザークが捕まってしまったという事実に、ノリコの心が耐えられなくなったのでは……ガーヤはそんな風に思ったのか、怖々と、体を震わせてそう訊ねている。
「でもしかし、確かに、あたしを呼ぶ声が……」
「え? だ、大丈夫か、おい……」
まだ会って間もないアゴルも、彼女の気が触れたのでは……そう思ったのだろう。
掛ける言葉は不安そのものだ。
――ッ!!
ノリコの頭の中、その奥に、ハッキリと聞こえてきた。
三度目――イザークが呼び掛ける、その声が……
「イザークッ! あたし、ここっ!!」
ノリコはイザークの声に応えていた。
自分にだけ聴こえる、彼の声に。
呼び掛けてくれる、名を、呼んでくれる、その声に――
二人の意識が、心が――同じ刻、同じ想いで互いを呼び、応じてゆく。
光に満ちた空間が、二人を包む。
イザークにはノリコの姿が――
ノリコにはイザークの姿が……
光の中、その姿をお互いにハッキリと確認できるほどに、本当に眼の前にいるかのように、手を伸ばせば、触れることが出来そうなほどに近く……
二人には見えていた。
飛び越えられるはずのない距離を、時間を、空間を越え、光は二人を引き合わせていた。
互いが、互いを想う、その心に寄り添うかのように……
二人の気持ちを、掬い取るかのように。
――ノリコ……
――おまえの姿が見える……
煌めく光の中、涙を浮かべて、笑顔を見せるノリコが見える。
嬉しそうな、安心したような、ノリコの笑顔……
何日ぶり……だろうか。
一縷の可能性に賭けた結果に、イザークは驚きを隠せない。
――あたしも……
ノリコの声も聞こえる。
姿だけではなく、昨日、頭に響いたあの声が……
――イザ……
名を……
――ガシィーンッ!!
「こらあっ! 何、ぼんやりしとるかっ!!」
イザークの意識が呼び戻される。
甲高く、耳障りな音と、聞きたくもない怒鳴り声。
「ナーダ様がわざわざお越しになられたのだぞ! 挨拶せんかっ!!」
嫌気が差す名前に、敬意を無理強いしてくる兵士の言葉。
彼女との――ノリコとの光の中での通信は、最低の気分で打ち切らされた。
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朝――
鳥の囀りが聴こえてくる。
作品名:彼方から 第二部 第四話 作家名:自分らしく