BLUE MOMENT5
「出て……いかないと……」
ダ・ヴィンチのところに行って、部屋を決めて、さっさと出て行けってアーチャーは言っているんだ。
「だから、早く……」
なのに、腰が上がらない。
腰が抜けたみたいだ。
情けない。なんだってベッドの上で腰抜け状態になってるんだ……。
「はぁ……」
腹の底からため息が出た。
「私物もないし……」
とにかく立ち上がって部屋を見渡しても、俺のものは最低限の着替えと僅かな日用品くらいだ、荷造りする必要もない。
ぼんやりして、だけども手持ち無沙汰で、だからといってダ・ヴィンチの工房に向かう気力も出なくて……、再びベッドに腰を下ろし、未練がましく座り込んでいた。
どのくらい経ったのか、気づけば、午後九時を回っている。
もうしばらくしたら、アーチャーが戻ってくる。早いところここを出ないと。まだいたのか、なんて言われるのはやっぱり辛い。慌てて数着しかない服をまとめた。
「大きな荷物なんてないけど、ワグナーからの手紙は持っていこう。捨てられたりするのも嫌だ……し……」
棚の引き出しの取っ手を掴み、ふと、その上段にあるものを思い出す。
(ダ・ヴィンチの薬……)
アーチャーとセックスをする時に使っていた座薬。この引き出しの中に、まだ、いくつか残っていた。
「い……いやいやいや……、なに考えてるんだ、俺……」
自分につっこむ。
バカなことを考えるなって、何度も何度も頭の中で繰り返して……、なのに、ワグナーの手紙の入った引き出しより一つ上の取っ手を掴む。
(もう、いいかな……)
どうせ全部知られているんだ、もう、どうでもいいか……。
俺の思うように、好きなようにしてみれば、案外アーチャーも乗ってくるかもしれない……。
そんな言い訳にもならない屁理屈を思いついた。
俺はアーチャーに触れてほしいがために、捨て鉢になったつもりで、それに乗っかってくるアーチャーに期待して……。
(きっと、誘えば乗ってくる)
そんなバカな自信がどこから湧いてきたのか、いまいちわからない。
たぶん、魔がさしたんだ。
普通ならこんなこと考えもつかないのに、俺、どうかしてたんだ。
シャワーを浴びて、座薬を入れて、不確かな呼吸のもとで自身をほぐして、アーチャーを誘おうなんて……。
(バカだけど……、どうしようもなく、俺は……、アーチャーに触れてほしい……)
アーチャーを難なく受け入れられるくらいにほぐして、呼吸も落ち着いた。代わりに痒みが下腹の内側を覆いはじめる。
「っ……」
熱い吐息がこぼれていく。
(早く……)
早くアーチャーが部屋に戻ってこないかと、祈りつつ、壁づたいに扉の取っ手に手をかける。
シャワールームの扉を押し開けると、ちょうどアーチャーが部屋に戻ってきたところだった。
(アーチャーがいる……。全部知ったら俺に触れてこなくなったアーチャーが……)
すでに昂りはじめている身体の熱が一気に上がる。
(欲しい……)
頭の中はそればかりだ。
俺はいつのまに、こんな変態になったんだ。アーチャーが欲しくて欲しくてたまらないなんて。
(ああ、そうか)
触れていないからだ。ずっと、離れた熱を拾うことしかできなかったからだ。
(アーチャー……、なあ、俺を――)
「っ……、暑くもないのに、そんな格好で、出てくるな!」
投げつけられた俺の服が床に広がる。受け取ることができなかった。冷水を浴びたように、一気に頭が冷える。
(何してんだ、俺……?)
震える奥歯を噛みしめた。
「衛宮士郎?」
訝しそうに俺を見る鈍色の瞳。
(何か、言い訳を……)
だけど、口を開けば、とんでもないことを口走ってしまいそうだ。
「え、衛宮士郎、どうした?」
こちらを見ているアーチャーに鼓動が跳ねる。久しぶりに見たその姿に熱が上がる。なのに、爪先から冷えていく。
「ぁ……の、」
ダメだ、口を開けては、ダメだ……。
言ってはダメだ……。これ以上、アーチャーに距離を取られたくない。もう、下の名前でも呼んでくれない。
俺の顔も見たくなさそうで、俺を追い出して、厨房にも来るなって言われて……。
俺にはもう、アーチャーとの接点がなくなってしまうのに、これ以上憎まれるようなことをすれば、カルデアにいても、もう会うことすらできなくなる。きっと完全に避けられてしまう。
「しないのか?」
ダメだと自分を戒めたのに、口を開かないようにって止めようとしたのに、するりと声が出てしまった。
たぶん俺が心底それを望んでいるからだ……。
「な……ッ?」
面食らうアーチャーが俺を凝視している。ずっと見てくれなかった、ずっと顔を逸らされていたアーチャーと、今俺は向き合っている。
(ああ、俺……、その鈍色の瞳に映っていたい……)
バカなことを考えている。だけど、俺は真剣なんだ。その瞳に映っていられるなら、なんだってできる。だから、
「アンタ、溜まってるんじゃないのか?」
目尻が切れそうなくらい目を見開いて、アーチャーは言葉を失っているみたいに見える。
そんなに驚くことか?
今まで散々ヤってたってのに。
「……そ、…………そんなわけが、あるか!」
アーチャーは苦虫を噛み潰したみたいな顔を逸らした。
「発情でもしているのか貴様! みっともない真似をするな!」
「…………」
発情、ときたか……。
(バカなことをしたな……)
こうなることはわかってたはずなのに。
それでも俺は……、アーチャーに触れてほしくて……。
あさましい。
ついでに、愚かしい。
自分と同じ存在がこんなんじゃ、アーチャーは立つ瀬がないだろう。
「……そうだな。うん、悪ふざけが過ぎた。ごめん」
上の空だったけど、とにかく謝って、床に落ちた服を着る。そのまま扉へ向かえば、
「お、おい、どこに、」
「部屋、見つかったから」
どこに行くんだって訊くから、何事もなかったような顔で答える。
「あ……、ああ、そう、か……」
嘘だった。
まだ、ダ・ヴィンチの工房には行っていない。部屋なんて決まってないけど、ここにはいられない。
アーチャーを振り返ることもできなくて、とにかくここから離れたくて、内臓の痒みに蹲りそうな身体を叱咤して廊下を食堂へ向かう。
明かりの消えた食堂の冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取って、一本空にした。手近な椅子にどうにか腰を下ろす。
こんなので副作用が収まるとは思わないけどな……。
「バッカみてぇ……」
何を傷ついた気になってるんだ。
こんなの、どうってことない。無理やりセックスされるよりもマシだろ。
テーブルに突っ伏す。
「は……」
息が熱い。
本当にバカなことをした。
(わかってたのに……)
俺を衛宮士郎って呼ぶアーチャーは、もう以前とは違うんだって、わかっていたはずなのに。
俺は、アーチャーが欲しくて、我慢すらできなかった……。
「バカだな……、ほんと、俺って……」
自分で自分を嗤うことしかできなかった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
今朝、士郎に部屋が見つかったことを伝えた。
おそらく、すぐに所長代理の工房に行き、私が戻るころにはもう、私の部屋にはいないだろう。
作品名:BLUE MOMENT5 作家名:さやけ