BLUE MOMENT5
「ダ……ヴィ……っ……チ…………?」
私を呼んで、小さく首を振って否定している。彼はここがどこかも認識できていない様子だ。その頬に手を近づければ、びくり、として首を竦めた。
(今も、慣れないんだね……)
少し寂しく思った。この反応は、彼がここに来た当初と変わらない。士郎くんはいまだ我々に心を許したわけではないと証明されている気がする。
「君をこんな目に遭わせたのは、どこのどいつだい?」
「こん……な……?」
「立っていることもできないような何かを飲まされたのかい? それとも、注射のようなものかい?」
さ、と青ざめた士郎くんが、身体を起こそうとするので、その肩を押さえた。
「ダメだよ、横になっていなさい」
それでも彼は、起き上がろうとする。
「士郎くん、おとなしく――」
「ちが、っ、ち、ちがうんだ! お、俺が、じ、じぶ、じぶん、で、」
「へ?」
思わず力が抜けてしまって、その隙に寝台に座った士郎くんは私を見上げた。
「俺が、自分で座薬を入れたんだッ! アイツじゃない!」
「座や……く? まさか、あの?」
こくり、と頷いた士郎くんは、必死な顔で訴えている。
それに、“アイツ”とは、エミヤのことだよね。
ということは、エミヤを庇っているのか、それとも自分で入れたというのが、本当のことなのか……?
真実を話すとは思えないけれど、何があったのかくらい訊いておく必要はある。
「なぜ、君が自分で? あの座薬は、君の魔術回路の修復を円滑に進めるために渡したものだよ? それを、どうして今も?」
「…………」
青ざめた頬がさらに色を失っていく。
「やはり、エミヤが何かし――」
「違う!」
鋭い否定に思わず黙れば、
「ち、ちがう……おれ……が……」
「庇うことはないんだよ、士郎くん。いくらエミヤと君が同一の存在だからといって、こんな理不尽なことをされる謂れはないだろう? 君が苦しむことなんかないんだぞ。君はエミヤのことを、どうしても許してしまうのかもしれないけれど、そんな必要はないんだ。君はそんなことに囚われずに、」
「ちが…………っ、俺が……」
「士郎くん?」
「…………俺が……ほしかったんだ…………アイツが……ほしくて……がまん、できなくて……だから……おれが……」
士郎くんは、苦しげに吐露した。
「おれは……、アイツが、うたがわ、れる……かも、しれない……のに……、とんでもないこと……を……」
自分の身体が辛いだろうに、士郎くんはエミヤが不利益を被るのではないかと心配しているようだ。
(馬鹿だね、君は……)
けれど……、ああ、そうか、そこまで君は……。
「君は……、彼のことが好きなんだねぇ……」
そっと赤銅色の髪を撫でれば、項垂れてしまう。
「…………いわな……で……くれ……アイツに……は……知られた、けど……、あんたが、言うと……、本当だ、って……思う、かも、しれな……」
「え? エミヤは君の気持ちを知っているのかい?」
訊けば、こく、と頷く。
「いやいや、ちょっと待ってくれ。君がエミヤを好きだというのを私が言うと真実味が増す? いったい、どういうことだい?」
「好き……だなん、て、迷惑、だし、……ずっと、そんな態度、とらないで……いた……から……、たぶん、もう、……気のせいって……思って……」
「なんだそれは!」
何を言っているんだ士郎くんは!
それに、エミヤはどういうつもりなんだ!
「君たちは、馬鹿じゃないのか! 君の気持ちを知っているエミヤもエミヤなら、誤魔化して、なかったことにしようとしている君も君だよ!」
「…………そうだよ……、俺は、バカだから……、アイツに、うっかり聞かれて……」
「聞かれた? 君が伝えたんじゃないのかい?」
「言うわけない」
いったいどういうことなのか……。
エミヤに伝えるつもりはなかった士郎くんの気持ちは、聞かれてしまったという。
聞かれる、ということは、独り言か、それとも誰かとの会話……、第三者が介入しているということなのか?
いや、そんな経緯は後回しだ。
「なぜだい? 気持ちというものは、言葉にしなければ伝わらないものだよ?」
「伝わらなくて……いいんだ…………俺が…………想うだけ……だから……」
「……そんなのは辛くないかい? 想いを伝えればうまくいくかもしれないじゃないか。英霊である彼と会えるのは奇跡みたいなものだ。せっかくともに過ごすことができるのに、君は、そのすべてを放棄するのかい?」
「……辛いけど…………アイツが望む…………ことじゃ、ない…………」
士郎くんは、エミヤが望まないから、気持ちは伝えないのだと言う。
「そんなわけがないだろう? エミヤも君を想っているよ。君の気持ちを聞いて喜んだはずだ」
「違う……俺は……憎まれてる……から…………」
「まさか! そんなはずはないよ!」
私はありえない、と笑い飛ばした。けれども、士郎くんは、頑なに首を振って否定している。
なぜだろう?
エミヤはカルデアに背を向けてまで士郎くんを守ったというのに、そのことを忘れているのかというくらい、士郎くんはエミヤに憎まれていると思っているようだ。
(これが元々の性格か、それとも、エミヤとの関わりの中で培われたものか……)
おそらく後者なのだろう。今までのエミヤとの出会いの中で、士郎くんはエミヤに憎まれていると思い込んでいる。
だが、士郎くんがカルデアに来た当初から、エミヤにそんな感じはなかった。むしろ、過剰なほどに干渉しようとしていた。なのに、士郎くんは、憎まれていると……。
「…………」
大きな勘違いをしている。
(ふむ……。どうやらこれは、士郎くんの考えを根底から覆す必要があるね……)
士郎くんとはじっくり話す必要があることを改めて知る。
いや、その前に、座薬の副作用をどうにかしなければ。こんな状態の彼では、お茶を飲みながら、なんて悠長なことはやっていられない。
「ちょっと待っていて。すぐに解毒剤を用意するからね」
「げど……く?」
「君のその体調不良は、あの座薬の副作用なんだろう? 毒と言うには語弊があるんだけど、身体に悪い影響を与えるとしたら、それは毒だよ」
説明しながら、いくつかの薬剤を混ぜていく。ものの数分で解毒剤を作り終えた自分の才能に酔いたくなるよ。っと、まあ、作り置いていなかっただけで、以前から作る準備はしていたからなのだけれどね。
「はい、どうぞ。ゆっくり飲んで。少しずつ入れないと、胃に負担がかかるから」
小さなグラスに半分くらい入った液体を受け取り、言われた通り、ゆっくりと飲む士郎くんに思わず頬が緩む。
(ふふ……。本当にエミヤシロウという存在は、可愛いねぇ……)
成人男性でありながら、士郎くんもエミヤも妙に素直なところがある。決して幼いわけではないが、いじりたくなるというか、なんというか……。
男女問わず、カルデアにいるサーヴァントたちの中では、こういうのがたまらない! という輩もいるのだし、エミヤはともかく、士郎くんは、グズグズしていては喰われてしまいそうだ……。
(早いとこ、なんとかしないとなぁ……)
作品名:BLUE MOMENT5 作家名:さやけ