雫 3
「大尉、起きられそうなら、今日は庭でリハビリがてら散歩をしませんか?」
「カミーユ、そうだな。そうしよう」
グリプス戦役後、心を患っていたカミーユだったが、完治後に医学を学び、今ではフォンブラウンで医師として働いている。
カミーユを支えたファ・ユイリィも看護師となりカミーユを公私ともに支えていた。
そんな二人の元に身を寄せ、今は何年も眠り続けていたシャアの身体のリハビリに励んでいる。
杖をつきながら、シャアがゆっくりと立ち上がる。
一歩を踏み出そうとした瞬間、バランスを崩してフラついたシャアを細い腕が支える。
「大丈夫か?」
「ああ、すまない。ありがとう」
長く伸びたアムロの髪が頬に触れ、シャアは優しく目を細める。
「…彼は…君のこの柔らかな髪が好きだった…」
「シャア?なんか言ったか?」
「いや、なんでもない」
「ほら、庭に行くんだろ?肩を貸すよ」
「すまんな」
アムロの細い肩に掴まり、ゆっくりと歩みを進める。
その軍人にしては細い肩も、こちらを振り向いて微笑む琥珀色の瞳も、『彼』は好きだった。
心の底から愛していた。
アクシズの落下を止めたサイコフレームの光が起こした奇跡か悪戯か、シャアの心はフロンタルに引き込まれ、その心の奥底にずっと眠っていた。
時折、アムロを強く感じる時、ふと目を覚ましてフロンタルと同じ様にアムロを感じていた。
◇
夜、ふと目を覚ますと、隣のベッドで寝ていた筈のアムロが居ない事がよくある。
そんな時は大抵、テラスのガーデンチェアに座って宇宙を見ていた。
今日もまた、アムロはテラスで宇宙を見つめていた。
その先にいる誰かを想って…。
「アムロ、眠れないのか?」
思わず声を掛ければ、少し肩を震わせ、驚いた様にこちらに振り向く。
「すまない、起こしたか?」
「いや…」
アムロはゆっくり立ち上がると、部屋に戻って窓を閉める。
そして、少しバツが悪そうにベッドに入ろうとするアムロの腕を掴んで、シャアは自身のベッドの上へと引き倒した。
「うわぁ」
仰向けに倒れこむアムロの上に覆い被さり、両腕の中にアムロを閉じ込める。
「何するんだよ!危ないだろ」
普段、髪で隠している左目が露わになり、その両の瞳で見上げるアムロに、ドキリとする。
「そうだ、『彼』もこの瞳に惹かれた」
シャアの言う『彼』が誰かを悟り、アムロが目を見開く。
「君は、『彼』を愛していたのか?」
「なっ!」
「『彼』は、心の底から君を愛していた」
切なげに見下ろすスカイブルーの瞳に、アムロが泣きそうな顔をする。
「…言うなよ…」
「アムロ?」
「貴方が言うなよ!」
暴れ出すアムロの腕を掴み、シーツに押し付ける。
「アムロ、それはどう言う事だ?」
問い返せば、アムロの顔が一瞬朱に染まり、視線を逸らす。
「アムロ?」
「うるさい!離せ」
リハビリ中とはいえ、元々体格に差のあるシャアに押さえつけられ、身動きが取れない。
「私の質問に答えてくれたら離す」
「答える必要は無い!」
「ならば、私の都合の良いように解釈するが良いか?」
「は?何、言って…んんっ」
言い返そうとしたアムロの唇をシャアが塞ぐ。
「シャ、シャア!」
「君が私を愛していて、フル・フロンタルの想いに応えられなかったと勝手に思うが、それで良いのだな?」
「そんな事…!」
「違うのか?」
切なげに見つめてくるブルーの瞳に、アムロは何も言い返せなくなる。
「……っ!」
薄っすらと涙を浮かべるアムロの頬を、そっと撫ぜ、涙の雫を指で掬い取る。
「君の涙の雫が、あの男の中で眠っていた私の心を呼び覚ました」
「……」
「一年戦争で君と出会い、戦って…ララァを失った…。しかし、ララァを奪った君を、心から憎む事が出来なかった」
アムロはあの瞬間を思い出し、悲痛な表情を浮かべる。
「君が言う様に、ララァを戦争に巻き込んだのは私だからな」
「…何故…ララァを巻き込んだ?」
アムロの問いに、シャアが自嘲的な笑みを浮かべて答える。
「ララァがいなければ君に勝てなかった」
その言葉に、アムロが目を見開く。
「え…?」
「ニュータイプとして完全に覚醒した君に勝つ為には、ララァの力が必要だったからだよ…」
「そん…な…」
「ザビ家への復讐が目的だったのに、気付けばパイロットとして君に勝つ事が目的になっていた…。それ程までに、君の存在は私にとって強烈だった」
ア・バオア・クーでの最後の決戦が、二人の脳裏に蘇る。
「ララァや君と出逢い、ジオン・ダイクンの子である私が、ニュータイプとして君たちに劣るのはおかしいと…劣ってはならないという焦燥に駆られた。だから、なんとしても君に勝ちたかった」
「そんな…事…」
「ああ、今思えば馬鹿げた思い込みだった。そして、勝てないのであれば、君を手に入れたいと思った」
「だから…同志にと…?」
「そうだ。しかし…アクシズで同じくニュータイプのハマーンやミネバに会って、それだけではない事に気付いた。ニュータイプだからという訳ではなく、君だから欲しいと思ったんだ」
「俺…だから?」
「ああ、だから…ダカールで君を求めた」
ダカールでのあの夜、アムロもまたクワトロを、シャアを求めた。
あの時は、まだ自分の想いがはっきりとは分かっていなかった。けれど、互いに求め合う心を止められなかった。
その後、シャアが姿を消した事を知った時、捨てられたと…置いていかれたと思ったのかもしれない。だから、あんなに腹が立った。
無責任だとか、何か大それた事をするんじゃないかとか、そんな事は本当は二の次だった。
ただ、シャアに会いたくて、あんなに怖かった宇宙にも上がった。
「あの日…脱出ポッドの中で、君の思惟を感じられなくなった時…君のいない世界に生きていても仕方がないと思った。だが、できる事ならば、君と未来を歩みたかった…」
「シャア…」
それはアムロも同じだった。
シャアが望むのならば、全力で戦おうと思った。だから、それに見合う最高の翼を手に入れ、戦いに挑んだ。
しかし引力に捕まり、軋む機体の中で最期だと思った時、アムロも同じ事を思ったのだ。
「…本当は、貴方と未来を見たかった…貴方を…愛していたんだ…」
アムロの瞳から、ポロポロと涙の雫が零れ落ちる。
「アムロ…君を愛してる」
互いに見つめ合い、想いを伝え合う。
「シャア…」
アムロはそっと手を伸ばし、両手でシャアの頬を包み込む。
「貴方を…愛していたから…フロンタルの想いには…応えられなかった…。あんなに…俺を求めてくれたのに…、あんなに…苦しんでいたあの人を…受け入れられなかった」
「アムロ!」
泣きじゃくるアムロをギュッと抱き締める。
「う…ううう」
「良いんだ、アムロ。彼も理解っていた、だから私を君に返したのだろう?」
「ん…うん…。本当に…哀しい人だったんだ…」
「ああ…」
二人は強く抱きしめ合い、互いの存在を確かめ合った。
そして、哀しい命もその胸に抱き締める。
「ごめん…俺…心はあげられなかったけど、身体は何度も…」
アムロの告白に、シャアは少し眉を顰めながらも、「気にするな」と答える。
優しいアムロが、フロンタルを拒み切れなかったのは仕方がないと理解できた。