彼方から 第二部 第五話
ガーヤに預けられる以前、怪物に襲われ地元の民たちと一緒に逃げ込んだ山小屋の中で、イザークに掛け、思い切り引かれてしまった言葉をそのまま、ジーナにも掛けてしまっていた。
そしてここでも、その言葉は訂正されない……
ジーナは『あなた』という言葉に変だなとは思うものの、何も――そう、何も言わなかったのだから……
――もしかして
ノリコは静かに、ジーナの隣に腰掛けながら思っていた。
――イザークがあたしに呼び掛けるのも
――大変なことなのかもしれない
と……
何か、特別な力を使うということは、使おうとすることは、きっと、いつもとは違うこと……
だから、彼女のように、ジーナのように疲れてしまうのではないのだろうか――彼も……イザークも。
そして、考える。
――テレパシーって、あたしにも出来るかな
――出来たらきっと、少しは役に立つかもしれない
思考が、少し前に進もうとしている。
いつまでも待つだけでは、受けるだけの身では、なくなろうと……
――最近は幽霊まで見ちゃってるし……関係ないかもしれないけど
――でも、イザークの声も聞こえたし
――可能性がない、とは言えない……
もとより彼女は、前向きな性格ではある。
だがそれは、この世界に措いても、実際にやろうとすれば出来ることに対しては――とも言える。
元いた世界では、日常的に見ることなどない能力に対しては、その範疇ではないだろう。
だが、それでも……
――自分には出来ないことだと決めてしまって
――何もしないでいるよりは……
そう思い、やってみようと思えるのは、それは――イザークへの想いから……なのかもしれない。
――お姉ちゃん、ご免ね
ジーナはベッドに横たわったまま、遠くを見詰めるようにしているノリコに、顔を向けていた。
――あたし、おばさんの占いで疲れたんじゃないの
――ずっと、お姉ちゃんを占てたの
その手の平に乗せられた、小さな巾着に入った守り石の重みが、父の、アゴルの言葉を蘇らせる。
『ジーナ
もし、お父さんが石を取り戻したら
ノリコのことを占っておくれ
彼女が【目覚め】かどうか……』
闘技屋に行く前、肩に手を置いてそう自分に頼む父の言葉。
――お父さん……
――何にも見えなかったよ
――色んな色がゴチャゴチャして、分からないの
――でも、どうしようこれって……
――【目覚め】を占った時と同じなの……
物思いに耽るノリコの隣。
ベッドに大の字で寝転がっているジーナの胸の上で、守り石が小さく、けれども強い光を放っていた。
*************
陽がだいぶ傾いてきている。
通りを歩く人々が、どこか忙しなく思える。
これから帰路を急ぐのか、それとも、夜へと向かう街へ繰り出そうと言うのか……
雑踏の中、エイジュはイザークとノリコが残した気配を辿り、歩を進めていた。
時折、道を確かめるように辺りを見回しながら、やがて彼女はガーヤの店の前へと辿り着いた。
――イザークと……ノリコの気配が残っている
――他にも、光の気配……多い……微かだけれど残っている、荒んだ気配も……
「あんた、この店に何か用かね?」
店を見上げ、立ち尽くしている彼女に、誰かが声を掛けてきた。
「……ええ」
振り向いた彼女の眼に入ったのは、先日、アゴルに色々と訊ねられていたあの男性だった。
「ここ、知り合いに勧められて寄ってみたのだけれど……」
エイジュは微笑みながら、当たり障りのない言葉で返している。
「休みって訳じゃないがね、この店の主人がクーデターの嫌疑を掛けられている左大公を匿ったらしくてね……」
彼女の微笑みに少し顔を赤らめながら、男性は言葉を濁しつつ、そう説明してくれる。
「そうなの、残念だわ」
「悪いことは言わない、この店と、主人には拘らない方がいい、特にあんたみたいな若い女性はな」
男性は踵を返しながら、心ばかりの忠告をくれる。
「ああ、ちょっと、訊ねたいのだけれど」
「ん?」
行こうとしている男性に、エイジュはそう言って声を掛けると、
「この辺りで、馬を調達できるところはあるかしら」
そう言いながら辺りを見回す。
「ああ、それなら、街の西の外れ辺りに一軒あるよ、ここからなら、そこが一番近い」
「ありがとう」
礼を言いながら返すエイジュの微笑みに、男性はもう一度顔を赤らめ、それじゃあと手を上げながら歩き去った。
――道理で……
店から感じる荒んだ気の正体が分かり、エイジュは納得した。
匿ったと言う左大公を、兵士が捕えにでも来たのだろう。
この店とその主人、そしてノリコはそれに巻き込まれたのに違いない……
――どうして、離れたりしたのか……
――万が一のことが有りでもしたら……
その思いに、エイジュは唇を噛み締めた。
イザークに対して――そして、自分に対しても……
眼を離すべきではなかったと、そう思う。
男性の姿が見えなくなり、エイジュは再び、残された気配を探り始めた。
イザークの気は、そのまま街の外へと向かい、戻って来ていない。
だが、ノリコの気は、一旦街の外れへと向かった後、街の中を迷走しているのが分かる。
落ち着きのない、残留気……『あちら側』が伝えてきたように、追われていたのだろう――どこかの誰かに。
そしてまた、店へと戻ってきている。
光を二つ、連れて……
それから、もう一つ加わった光と共に、ノリコたちは移動している。
エイジュも、動き始めた。
二人の気配と、二人を中心に集まりつつある光の気配へ近づく為に。
夕闇が迫るころ、エイジュは調達した馬の背に乗っていた。
ノリコたちの気配は、イザークが向かったのと同じ方へと向かっている。
その行く先を見据え、彼女は眉を潜めた。
荷物から地図を取り出し、気配が向かった方角を確かめている。
――確かこの先は、ナーダの城の近く、闘技屋のある街……
――イザークは捕えられたと、『あちら側』は言っていたわね
地図を仕舞い、馬を進めながら、もしや……と思う。
彼はナーダに捕えられたのだろうか――だとしても、どうして……と。
「はっ!」
エイジュは馬を走らせた。
自分の推測の正否を確かめる為に、そして、その理由を知る為に闘技屋のある街へ、ナーダの城へと向けて……
*************
夜――
数多の星が輝く中、月が煌々と、その姿を晒している。
「風呂帰りかい」
ナーダの城、中庭に面した回廊を、イザークが歩いてくる。
同じく、ナーダお気に入りの近衛たちの集まる広間も中庭に面しており、彼の通る姿が、庭を挟んだ丁度向かいに見えていた。
「明日の試合に備えて、身綺麗にさせようってとこか」
「おーおー、姫様みたいに傅かれて」
「刃物と鎖付きだがな」
「明日、おれ達にどんな目に遭わされるか知らないで」
近衛たちの言葉からは、自らの主人であるナーダに無礼な振る舞いをした、ただの渡り戦士としか、彼のことを見ていないことが分かる。
作品名:彼方から 第二部 第五話 作家名:自分らしく