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自分らしく
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彼方から 第二部 第五話

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 明日、ナーダの催す余興に措いて、主人を満足させる戦いを見せ、自身の功績を上げる為の、格好の獲物と……
 だが、そのイザークに、『捕らわれの身』という悲壮感は感じられない。
 手足を鎖で繋がれ、槍を持った兵士二人に背後に付かれ、一応『厳重』に護送されてはいるが、彼の表情からは、何事にも動じないかのような豪胆さが窺える。
「おい」
 近衛の一人が、何かに気づいた。
 その声に、他の面々の注意もそちらに向く。
「あれは……」
 回廊の柱の陰から、ゆらり――と、誰かが出てくるのが見える。
「バラゴだ」
「酒瓶なんか持って……」
「酔ってるのか? あいつ」
 暗がりからでも、顔が少々、赤くなっているのが分かる。
 眼を座らせ、風呂帰りのイザークを見据えている。

「うおおぉっ!!」
 突然、バラゴは吠えた。
 酒瓶を放り投げ、兵士に傅かれているイザークに突進してゆく。
 近衛の面々、兵士の眼の前で、バラゴは彼に掴み掛り、壁へと勢い良く押し付けた。
「バラゴ殿、何をっ!!」
「やめて下さいっ!」
 兵士二人が慌てふためいている。
 明日、試合を控えた大事な闘士なのだ。
 万が一、試合が行えないような状態にされでもしたら、ナーダの怒りを買うのはバラゴだけではない、護送をしている自分達にも、その矛先は向けられるだろう。
「きさまのおかげで……おれはっ! くそおおっ!!」
 兵士の言葉などには耳も貸さず、バラゴはイザークの胸座を掴み、怒りに任せ怒鳴り散らす。
 だが、イザークは少し驚いたように目を見張るだけだった。
「ちくしょうっ、せっかくここまで、這い登ってきたのに……!」
 ――……!!
 バラゴの手が帯に伸び、瞬間、微かな音をイザークの耳朶が捕えた。
 その音は、バラゴの怒号に掻き消され、彼以外には届いていない。
 すぐ傍にいる兵士でさえ、バラゴの暴挙に眼を奪われ、帯に伸びた手も、その音にも、気付いてはいまい。

「離れて下さいよ!」
「何とかして下さいっ!」
 イザークに負けたとはいえ、バラゴはまだ、ナーダの近衛の一員ではある。
 城の兵士といえど、軽々しく手を出すわけにはいかなかった。
 何しろ彼も、明日の試合に出るのだ、イザーク同様、万が一のことがあってはいけない。
 そんな責任も負いたくないのだろう、兵士二人は、遠巻きに見物している他の近衛に助けを求めた。
「何やってんだ、あいつ」
「ふふん、血迷ったのよ」
 仕方なさ気に苦笑しながら、溜まり場から出てくる近衛たち。
 酔いに任せてイザークに絡むバラゴを、力ずくで退かした。
「おらっ、落ちつけよ大将」
「いいぜ、さっさと行きな」
 乱暴に中庭に投げ、軽く蹴り飛ばす。
 数人の近衛でバラゴを押さえてくれてはいるが、それでも、彼の強さを知っている兵士たちは警戒し、イザークを二人で挟むようにして、その場を後にした。
「あーあ、みっともねぇ」
「憂さは、明日晴らしゃいいじゃねぇか」
「まぁ、晴らしたところで、もう出世の見込みはねぇもんな。お先真っ暗ってとこか?」
「やだねぇ、人間落ち目にはなりたくねぇなァ」
 地面に倒れ伏すバラゴを見おろし、笑い飛ばす近衛たち。
 いままで、ナーダのお気に入りだった男の不様な姿を、満足げに見下している。
 一人、落ちぶれれば、その空いた席に座れるのは、今度は自分かも知れないのだ。
 ナーダの眼の前で、一介の渡り戦士に二度もやられたバラゴに、多少の同情はあるかもしれないが、それ以上に、チャンスが巡ってきたことの方が喜ばしいのだろう。
 ナーダの目に留まった近衛として屯ってはいるが、彼らに、仲間意識など有りはしなかった。
「行こう、行こう」
 蔑みを込めた高笑いを残し、立ち去ってゆく。
 バラゴはゆっくりと体を起こすと、その背を見据えていた。

   *************
 
 本館の牢屋。
 その扉の両脇に、先ほどイザークを護送していた兵士が二人、槍を抱え、椅子に座っている。
 狭い、個室。
 中にあるのはベッドと、チェストが一つ、そして鉄格子の嵌った窓。
 チェストの上には、小さな明かりが灯されている。
 イザークはその明かりの前に立ち、帯から何かを取り出していた。
 それは、小さく畳まれた手紙――ついさっき、彼の耳朶を掴んだ音は、この手紙が帯に差し込まれた音。
 バラゴが、イザークに暴挙を振るうフリをして、その手で押し込んで来たものだった。
 ゆっくりと手紙を開き、イザークは眼を通し始めた。

『おれは……
 かっこよくなりたかった 
 力をつけて、皆に尊敬されてよ
 その為に出世しようと、今までやって来たんだ
 だが……
 気が付いたらどうだ
 おれは、人の弱みにつけ込んでまで
 自分の点数を稼ごうとする人間になっていた
 なんて情けねぇ!!
 猛烈にかっこ悪いじゃねぇか
 しかも、あんなナーダみてぇなクソ野郎のために……
 そう思ったら居ても立ってもいられなくなった
 ただ、それだけの事だ
 てめぇのことなんざ、でえ嫌えだ
 おれの言うことを信じるも信じねぇも、てめぇの勝手だ
 だが、伝えておいてやる
 明日の試合は、てめぇ一人がおれ達17人と戦う羽目になる
 死にたくなけりゃ、スキをみて逃げ出すことを考えな』

 ――なるほど……
 読み終え、手紙を手の中で握り潰す。

 ――道理で、あいつに殺気がなかったはずだ
 イザークは微かに笑みを浮かべていた。
 バラゴが掴みかかってきた時、その暴挙と表情、怒号の割に、感じられなかった殺気。
 だからイザークは、少し驚いていたのだ。
 手紙の内容からすると、性根まで腐ってしまったわけではないようだ。
 押しつけがましい言い方だが、彼は、改心したと見ていいのかもしれない。
 いや、気付いたと言うべきか……
 全てが敵ではないことに、僅かだが、心が和む。

 ―― イザーク…… ――

 不意に、微かに、声がした。
 
 ――ノリコの声
 無意識に上を見上げる。

 ――まさか……
 ――あれから、おれがいくら試みても、通じなかったのに
 だが……

 ―― イザーク…… ――

 もう一度、今度はさっきよりも強く、ノリコの声が頭に響く。

 ―― ノリコかっ!? ――
 ―― イザークッ!? ――

 思わず、返していた。
 すぐに、彼女からも返ってくる。

 闘技屋の前に建つ宿の部屋。
 ベッドに肘を着き、祈るようにして彼との通信を試みているノリコ。
「通じたっ!!」
 イザークからの返信に、ノリコは思わず顔を上げ、嬉しそうにそう叫んでいた。

   *************

 城の周辺にある森の木に、馬が一頭、繋がれている。
 夜、闇の中。
 森から影が一つ、出てくる。
 影は長い髪を揺らしながら、ナーダの城の牢館の高い塔の上に跳び上がり、立っていた。
 月明りが影を照らし出す。
 塔の先端にある風見鶏を掴み立っていたのは、エイジュだった。
 城の窓から、幾つもの明かりが漏れている。
 彼女はイザークの気配を探り始めた。
 牢館とは違う、本館の方に、その気配を感じる。
 
 ――やはり、ナーダに捕らわれていたのね