彼方から 第二部 第五話
彼の余裕のある返しに、バラゴの方が戸惑っている。
「バラゴ」
そんな彼の力押しを軽く受け止め、イザークは改めて、彼の名を呼ぶ。
「もしまだ、おれを助けてくれる気があるなら……一つ、頼まれてくれるか?」
「なに?」
不敵で、そして自信に満ちた顔で、イザークはバラゴにそう持ち掛けていた。
――ガッ!!
「うわっ!」
弾き飛ばされたバラゴが、二人の様子を笑いながら見物していた近衛の連中たちの間に転がってゆく。
「おっと」
「けっ、だらしねぇ」
「ようし、次はおれだ!」
「本番は、これからだぜっ!!」
イザークに弾き飛ばされ、またも地面に倒れ伏しているバラゴを尻目に、近衛の連中は我先にと、飛び掛かり始めた。
特に大した構えも見せず、イザークは緩やかに会場の中央に立ち、向かってくる近衛の連中を待っている。
うちの一人が振り回してきた棍棒を、風を受けて靡く布のように滑らかに、淀みなく避けていた。
「う? このっ」
避けられたことに戸惑いはしたものの、近衛はすぐさま反転して、再び棍棒を振り回してくる。
「こ……こいつ! のらりくらりとっ」
だが、何度振り回そうと、棍棒の先ですら、彼の体に掠りもしない。
「あほうっ! 何をもたもたしてるっ! こうやってぶっ叩くんだよっ!!」
その様を見ていたもう一人の近衛が痺れを切らし、イザークの背後から襲いかかった。
バシッ――
「うっ!?」
だが、棍棒はイザークの手の中――後ろを見もせずに出された彼の右手に、しっかりと掴まれていた。
「くっ!」
取り戻そうと、近衛は両手で棍棒を引こうとするが、片手で持っているはずの彼の手から、奪い返すことが出来ない。
更に目一杯力を籠めて引こうとした途端、
「うげっ!」
イザークはそのタイミングに合わせるかのように、棍棒を押し込んだ。
柄が腹に減り込み、思わず手を離してしまった近衛は、押された勢いに飛ばされ、他の近衛に体ごと当たってゆく。
「こ……この野郎……」
息一つ乱れない、その外見に相応しい流れるような動きに、近衛たちが圧倒されている。
イザークは奪った棍棒を器用にクルクルと手の中で回しながら持ち直し、二刀流宜しく、構え直した。
「な、なめるなァーっ!!」
まるで曲芸のような優美な所作。
そして、たかが一介の渡り戦士と、そう思っていた相手に軽くあしらわれているのが分かるが故に、近衛たちはいきり立った。
一人ずつなどではなく、数人が一気に、襲いかかってゆく。
今度はイザークも迎え撃つべく、動いていた。
「ぎゃっ!」
「がっ!」
最初に二人、イザークに殴り倒されてゆく近衛。
すぐに数人が同時に襲いかかるも、彼らの攻撃など、イザークには当たらない。
立ち回りながら避け、弾き飛ばし、またも三人の近衛が殴り飛ばされていた。
観客が、ざわつき始める。
当初の予想など、この時点で外れていることに気がつき始める。
彼の試合を見物している全ての者たちが、その動きと戦いに、違う意味で魅了されてゆく。
――こ……これは……
アゴルも、その内の一人だった。
勿論、戦いの状況次第では、何も手は浮かばなくとも助けに入るつもりはあっただろうが、イザークの戦いぶりを見る限り、その必要などないと分かる。
逆に、これほどの強さを持つ男が、何故、捕えられてしまったのか……その理由の方に、興味が湧くほどだ。
「なに、あほ面して見てんだよ」
呆けて見ていたアゴルの背後に、人影が立つ。
「え……」
その声に、『あほ面』のまま振り向くアゴルの視界に入ってきたのは、バラゴだった。
殴られ、弾かれ、数人の近衛が地に手をついている。
「どうした……」
遠巻きに自分を囲み、手を出しあぐねいている様子の近衛たちに、イザークはそう声を掛けた。
奪った棍棒を、またしても手で器用に回し始める。
「もう、かかってこないのか?」
そう問い掛けながら、回した棍棒を放り投げ後ろ手で受け取り、更にもう一本の方も回しながら、同じように放り投げては後ろ手で受け取っている。
それはもう、曲芸としか言いようがなく、しかも、優雅な所作に誰もが魅了され、眼を離せずにいる。
「あいつ……遊んでおるぞ……」
ナーダの言葉には、少なからず、焦りの色が窺える。
辺りを見やるイザークの顔に、少し楽しげな笑みが浮かんでいた。
「あんたの名はアゴル、子持ちで傭兵上がり」
「たっ……確かにそうだが、なんであのイザークが、おれのことを知ってんだ」
「なんか、ノリコがどうのと言ってたぞ」
「ノリコ……」
城の中、近衛の部屋へと向かう廊下を走る二人。
アゴルはバラゴに腕を取られ、半ば引き摺られるように連れて行かれている。
「とにかく、あいつが観客の目を惹いている間に、見つけてこなきゃいけねぇんだ。ああ、警備の点は大丈夫だ。みんな試合に気を取られて、おれ達に関心を示す奴はいねぇ」
全く状況を把握できていないアゴルを、バラゴはお構いなしに話しながら、ぐいぐいと連れてゆく。
「おれは、場所は知ってても、それについちゃあまり詳しくないんだ」
「何だ? 『それ』って」
アゴルの問い掛けに、一応立ち止まるバラゴ。
「でも、おまえは少々知識があるらしいな」
「だから、何のっ?」
振り向き、そう返すバラゴに、アゴルはまたしても問い掛けるしかない。
「しかしあいつ、あんなもん、どうするつもりなんだろう」
「おまえ、人の話し聞いてるかっ?」
結局、アゴルの問いに何も返すことなく、彼に状況を把握させないまま、バラゴは再び走り始めた。
「ええいっ、何をしている! 相手は一人だぞ! 一気にかかって潰してしまえっ!! これには、わたしの名誉が懸かっているのだぞっ!!」
取り乱した様子のナーダの激が飛ぶ。
扇を振り翳し、誰一人として、まともにイザークに攻撃を当てることの出来ない近衛たちの様に、その顔面は蒼白となってゆく。
「気を取り直せ、みんな……こいつはマジに強ぇぜ」
風使い――毒を吸わせ、イザークを捕えたカイダールが前面に立ち、他の近衛の気を、引き締める。
「今までのお遊び気分はやめろ、本気でかかるんだ」
「言われなくたって分かってらあ」
「でなきゃこっちだって、面子がたたねぇぜ」
カイダールの言葉に、自らを奮い立たせる近衛たち。
ナーダにその腕を買われ、『近衛』として取り立てられたプライドに懸け、立ち上がる。
このままで、終われるはずがなかった。
少なからず、自身の強さを自負している者たちである。
まだ若い、しかもたかが一介の渡り戦士相手にやられたままで終われる訳がなかった。
「こんなガキに舐められてたまるかァっ!!」
近衛たちはたった一人に大勢でかかるという恥もかなぐり捨て、全員でイザークに躍り掛かってゆく。
――だが、無駄だ
近衛としての面子の為、自らのプライドの為にイザークに向かっていく面々を見やり、カイダールは一人、動かずにいる。
――奴はおまえ達の手には負えないだろう
――だが、おれなら、倒すことが出来る
――せいぜい、戦うがいい
――おれの出番の引き立て役たちよ
作品名:彼方から 第二部 第五話 作家名:自分らしく