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自分らしく
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彼方から 第二部 第五話

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 両の手の、親指を抜かしたすべての指に嵌められている指輪。
 その指輪を確かめるように、カイダールは拳を作っていた。
 
   *************

「ノリコ」
 晴れ渡る空。 
「本当に、こんな町外れで待ってるだけでいいのかい?」
 遠く、城を望む町外れ。
 ジーナの手を引き、ガーヤはノリコにそう訊ねていた。
「はい」
 ノリコは小高い丘の上に立つ城を見詰め、
「イザークが、そう言いました」
 確信を持って、そう返していた。

   *************

 ――おれには、逃げる機会はいくらでもあった……
 ――ただ、決めかねていたんだ……ずっと……

 近衛たちのとの戦いの中、イザークはバラゴの言葉を思い返しながら、想いを巡らせていた。

 ――おれは、ノリコと離れたかった

 全員で、一斉に襲い掛かる近衛たちを、イザークはその常人離れした跳躍力で彼らの頭上へと跳び、避ける。

 ――だから、ガーヤの元を選んで彼女を預け、一人で旅だったんだ

 中空を舞い、体を一回転させ、再び地へと降り立つ。
「後ろだっ!」
 彼の姿を見失っている者たちに、一人がそう言って指を差す。

 ――だが……

 反応の遅れた近衛たちに向かって、イザークは地を蹴り、向かってゆく。

 ――そのガーヤは今、ジェイダ左大公の事件に巻き込まれ
 ――もはやノリコにとって、安全な場所ではなくなった

 近衛たちに、振り向き構える猶予を与えず、イザークは瞬く間に数人を叩き伏せた。
 
 ――おれは再び、ノリコの元に戻るべきなのか……

 十数人もいる近衛の内の一人がやっと、イザークの左腕を掴んだ。
「うわっ!」
 彼は掴まれた腕を、掴んでいる近衛ごと振り回す。

 ビリッ……
 布の裂ける音に、イザークの動きが止まった。
 近衛が掴んでいた左腕の、肘まであるリストバンドが破けた音だった。
 裂け目から、肌が覗く――鱗のようにひび割れている肌が……

 ――おれの両腕にある、鱗のようなひび割れ
 ――子供の頃からずっとあったこいつが
 ――ノリコと会ってから、確実に増えている

 右手で、裂けた部分を隠すように、イザークはリストバンドを直す。

 ――もしおれが……
 ――ガーヤの代わりにジェイダ左大公達を助け出して逃がしてやったら
 ――ガーヤはまた、仕方なく平和な生活を見つけて
 ――ノリコの面倒を見てくれるだろうか……

 次から次へと、イザークに休む間を与えないかのように、近衛たちは攻撃を重ねてくる。

 ――ノリコの身の安全を確認することは出来ないが
 ――少なくともそうしたら
 ――おれは、もう彼女に会わなくてすむ……

 他のことに考えを向けながら、イザークは近衛たちの相手をしている。
 何人もの相手を同時に……
 攻撃を避け、弾き返し、往なしながら、彼らに大した怪我もさせずに、立ち回っている。

『イザーク……』

 ――昨日の夜
 ――おれに語り掛けてきたあいつ

『アゴルという人がお城へ行くよ
 みんなを助けるために、そっちへ行くよ』

『今どうしてる?
 元気?』

『あたし達今
 闘技屋の前のお宿にいるの』

 ――もう声だけで、
 ――最初の時のように、姿は見えなかった

 ――ほんの……
 ――2日前に別れただけだというのに……
 ――何故こうも
 ――懐かしい想いに駆られるのか……

 ――何故……こうもあいつに……

 ――会いたいと、思うのだろう……

 昨夜の、締めつけられるような胸の痛みが蘇ってくる。
 苦しく込み上げてくる想いが、心を埋め尽くしそうだった。
 どう扱って良いのか分からない感情と、想い……
 離れたのは――ガーヤの元へ置いて行ったのは、彼女といるのが怖かったからだったはずなのに……
 たった2日、たったそれだけの間、離れただけなのに。
 彼女の顔が、あの時の瞳が忘れられない。
 今、どうしているのか、元気でやっているのか、そればかりが気になる。
 自分の為に離れたはずだった――だが何一つ、自分の為になどなっていない……
 しかし、彼女と――ノリコと一緒にいること、それも…………
 だからイザークは、『決めかねていた』のだ。

   *************
 
 町の外れ……
 青く澄んだ空に、雲が棚引いている。
 昨夜、イザークとの通信で言われた通り、ノリコはガーヤやジーナと共に待っていた。
 左大公たちを助け出し、この場所までやってくる手筈になっているイザークとアゴルを。

 ――不思議だ……
 ――昨夜から、この感覚が消えない
 ――こんなにもはっきりと
 ――イザークの存在が感じ取れるなんて……

 ――自分はここにいるのに、いない感じ……
 ――とけこんで
 ――空気の一部になって
 ――その中のイザークを、感じ取ってる……

 ――これはいったい……なんだろう
 ――大きな大きな何かに
 ――包み込まれているような感じ……

 これは、自分だけの感覚なのだろうか。
 それとも、こうして通信ができる能力を持つ者、『遠耳』を使える者なら、誰でも感じている感覚なのだろうか……
 分かっているのは、それは不快なものなどではなく、温かく、優しい。
 そしてこの先もずっと、この感覚に包まれていくのだろうということ……

 彼の存在を感じ取れる、この、感覚に……

   *************
 
「イザークッ!!」
 彼の注意をこちらに向けさせるため、アゴルは態と、その名を呼んだ。
 振り向く彼に襲いかかるが、それは形だけのものだった。
「持って来たぞ、こんなもの、どうするつもりだ」
 棍棒を打ち合わせ、互いの体を隠れ蓑にして、イザークに手の平ほどの大きさの壺を渡している。
 アゴルを見やり、
「この茶番を終わらせる」
 イザークはそう言って、ニヤリと笑みを見せた。

 ――そろそろ潮時か

 イザークに弾き飛ばされるアゴルの姿を見て、カイダールはそう思い、辺りをさりげなく、見回している。

 ――もはや、誰も奴には勝てぬと分かったはずだ
 ――周りを見てみろ、まともな状態の連中などほとんどいない
 
 大怪我こそしてはいないものの、確かに他の近衛の連中は体のどこかを痛め、疲れ、立つのもやっとという状態の者や、地面に座り込んでいる者もいる。
 カイダールは、そのまま視線を特別席にいるナーダに向けた。
 最初の威勢はどこへ行ったのか、扇を口元に当てたまま、椅子に座り込んでいる。
 良く見れば、体が小刻みに震えている。

 ――ナーダ様は絶望に震えている……

 予期せぬ展開、予想だにしない、近衛たちの劣勢……
 たった一人の渡り戦士にここまで歯が立たないなど、誰が想像し得ようか。
 いや……ただ一人、カイダールだけは、予感めいたものを感じていたはずだ。
 イザークの回復力と、あの高さから落ちた時の様子を合わせ知るカイダールなら、十二分にこの展開を予想し得ただろう。
 同時に、彼に自ら調合した毒が『通用』することも分かっている……
 だからこそ、確信している――
「今こそ、おれの出番っ!!」
 自分だけがあの男を、イザークを倒し得るのだと……