BLUE MOMENT6
「ふう……」
一日中歩き続けて足が棒みたいだ。
まだ新都の端の方だから二、三区分を稼ぐことができる。だけど、街中になるとそれも難しいだろう。
「こんなことで根を上げてちゃ、ダメだな」
体力のなさに少し笑って気を引き締める。
「でも、ま、とりあえず、飯だな」
独り言ちて台所に立つ。
俺の仮住まいである、カルデアが用意してくれたマンションは、新しい感じではなく、オートロックでもなく、洒落た感じでもない。団地と呼んだ方がしっくりくる。
冷たい鉄の扉は案外軽く開閉して、狭い玄関から低い框を上がれば、廊下もなくて、すぐに部屋に着く。六畳の和室が奥にあって、手前には四畳半くらいの洋間。洋間は、いわゆるダイニングキッチンというやつだ。何もないから広く感じるけど、ここに食器棚とか冷蔵庫とかテーブルなんかを置けば、すぐに手狭になりそうだ。
広い一軒家で長く過ごした経験のある俺のような者にしたら、狭いと感じても仕方がないと思う。
「でも、まあ、贅沢は言えないよな……」
野宿に近いキャンプよりはマシだし、俺のいた荒廃した世界の住人に比べたら、ここの方がずっと人並みの生活ができる。
「さっさと晩飯、作るか」
ここに戻る前に立ち寄った百円ショップで揃えた最低限の調理器具と、スーパーで仕入れた食材で晩飯の準備に取りかかった。
疲れていようが、足が棒になっていようが、台所に立つ癖は抜けないらしい。いや、逆にこんなふうにご飯を作っている方が、日常にいるみたいで気分が落ち着く。
「っ……」
調理をはじめてしばらくすれば、少し頭痛がすることに気づいた。
「ああ、そうか」
思い出したように眼鏡を外せば、頭痛が少し楽になる。原因は眼精疲労ってやつだったみたいだ。
「慣れないものは、しない方がいいな……」
視力はずっと良かったから、眼鏡の世話になったことはない。そういえば、遠坂とセイバーと新都で遊んだ時、店先で眼鏡をかけてみたりしたっけ。
「はは……、懐かしい……」
その新都に俺はいるんだな。彼女たちと訪れた街とは違うけれど……。
「ここには、遠坂も桜も藤ねえも、いるんだよな……」
この世界の俺は死んでいるから、会えるわけがない。少しだけ元気な姿を見たいと思ったけれど、それは無理だと、首を振る。
「元気にやってるんだろうな、あの人は……」
藤ねえは、きっと今も高校教師で、相変わらず自分勝手で……。
「今も……」
野菜を切っていた手が止まる。
「藤ねえ……」
俺は、藤ねえを助けられなかった。間に合わなかったんだ、仕事に手間取って、早く帰るつもりだったのに。
あの日は、じいさんの月命日だからって、一緒にお線香あげるのよ、って藤ねえは言って……。
俺が冬木に到着したとき、穂群原学園は火の海だった。
生徒たちを誘導していた藤ねえは、逃げ遅れた生徒たちと一緒に命を落としたらしい。骨すら残らない酷い有り様で、藤ねえがいなくなったことを信じたくなくて、俺は、いつまでも焼け跡から動けずにいた。
(それで、遠坂に殴られて、ようやく正気を取り戻したんだよな……)
彼女は生まれながらの魔術師だった。俺なんかとは違う。
遠坂も桜も、哀しいくらいに魔術師として、ちゃんと覚悟ができていた。苦しいことも悲しいことも非情に呑み込んで、二人とも凛としていた。
あの火災がきっかけだったかはわからない。だけど、あれから間を置かず、深山町も地割れや、同時多発的な火災にみまわれて……、俺の過ごした町は跡形もなく消えた。
俺たちが生きた世界は、どの街も、どの国も、見る間に崩壊していった。人間が何千年とかけて築いた文明は脆くて……、壊れていくのは、あっという間だった。
「この街は……、違う」
ここは、似て非なる場所。
「ここは、」
ヴ――――――、ヴ――――――。
テーブルや棚がないから床に放置していた端末が震えている。カルデアからの呼び出しみたいだ。
手を拭って通話マークをタップすれば、
『士郎くんっ? 大丈夫かいっ?』
耳がキンキンする声量が耳を襲う。
「ぅ……、ダ・ヴィンチ?」
『なんともないかい? 辛いのかい?』
「あ、悪い、大丈夫だ。思い出しただけだから。それより、なんでわざわざ、」
『わざわざって、バカを言ってはいけないよ! 数値には顕著に表れているんだから! 君に何かあっては、立香くんたちも悲しむんだから、当たり前だろう! それで? 本当に、大丈夫なんだね?』
「あ、ああ、ごめん、もう平気だ。……でもさ、もう少し、俺を信用してくれないかな」
『いや、疑っているのではないんだよ。ただ、心配なんだよ私は……』
「ありがとな。あんたには、ほんと、世話になりっぱなしだ」
『水臭いことを言わないでくれたまえ。君は立香くんが大切に思う人だし、私にとっても大切な友人だよ』
「モルモットじゃないのか?」
『なっ! 士郎くん! 君ねえッ!』
「はは! 悪い。でも、感謝してるのは本当だ」
『士郎くん……、私は……、案内要らずで都合がいいからと、君を冬木に送ったんだよ。本来、感謝される筋ではないんだよ』
「それもそうか」
『ああ、そうだよ』
ダ・ヴィンチは、決して俺をアーチャーから遠ざけるためだった、とは言わない。表向きの理由として、仕事を頼みたいんだと言い、俺をカルデアから出してくれたことくらいわかっている。
本当なら、出自のはっきりしない俺なんか、外に出すわけにはいかないだろうに……。
『問題ないようなら切るよ。電波代もバカにならないからね!』
向こうからかけてきたってのに、言いたいことを言ったダ・ヴィンチは、あっさりと端末の通話を切った。
「は……」
少し気をつけなければいけないみたいだ。俺の気持ちが下がると、カルデアになんらかの数値として表れる。いちいち緊急事態みたいに連絡されるのも困るし、ダ・ヴィンチはいいとしても、振り回されるカルデアの職員たちが気の毒だ。
「ほんと、気をつけよう……」
中断していた調理を再開する。俺が一人で食べる晩ご飯だし、疲れているから凝った物を作る気力はない。
「体力だけは、戻さないとなぁ……」
しみじみ思う。カルデアを出ることになったら、働かないといけないんだ、体力だけはあった方がいい。
「あ、いや、カルデアを出ることはできないかもしれないのか……?」
まだ俺の先行きは不透明だ。だけど、元通りくらいには体力を戻しておくべきだ。生きるためには体力がいる。
「……って、俺、今、生きることには貪欲なんだな」
今さら気づいている。
俺は、アーチャーに見向きもされなくても生きている。辛いとは思ったけど、死のうとは思わなかったし、いろいろと諦めもついているけど、どうしても自分で終わろうとは思わなかった。
(これって……)
未練なんだろうか?
アーチャーをまだ見ていたいって、思っているからだろうか……。
そりゃそうだ。だって、アイツは俺の理想。俺が夢にまで見た存在だ。
ずっと見ていたいと思う。許される時間の中で、許される間だけ……。
「でも……、もう、ダメだよな……」
怒らせたし、もう呆れきって、俺のことなんか、きっと侮蔑してる。
バカなことをした、それに尽きる。
作品名:BLUE MOMENT6 作家名:さやけ