BLUE MOMENT8
何を言うわけでもないけど、人ごみの中ですれ違うくらいならできるんじゃないかって、勝手なことを思っていたんだ。
ほんの少し、期待していたんだ。
ダ・ヴィンチに提案された時、冬木に来れば会えるんじゃないかって、どこかで思っていたんだ……。
会うことなんてできないとわかっているとか、物わかりのいいことを思いながら、その実、俺は……。
「…………」
耳に付けたままのイヤホンマイクを外してポケットにしまう。端末の電源は知らないうちに切っていた。たぶん耳がうるささに耐えられなかったんだろう。ダ・ヴィンチが何度も返答をって言っていたけど、応答していない。
気づけば赤い橋にいる。
橋のたもとである川沿いで立ち尽くしていた。
どうやってここまで来たのかも覚えがない。まあ、生まれ育った場所だし、迷子になることはないけど……。
項垂れれば、足元の影が少し長くなっていた。
日没は案外早くて、もう陽が傾きはじめている。暗くなって、一日が終わって、誰もが帰るべき場所に戻っていく。だけど……。
「俺は、どこにも行けない……」
立ち尽くすだけで、あてなんかない。
「遠坂……、桜……」
この世界の遠坂も桜もいない。事故に遭ったって……、もう亡くなったって……。
「だ……誰か……」
誰でもいい、教えてくれ。
俺がここにいる意味はなんだ。
俺がここで息をしている意味は。
俺が過去を修正した意味は。
俺が世界から弾かれた意味は。
俺がここに居ていい理由は。
俺がアーチャーと……。
俺が…………。
どこを振り向いても誰もいない。
どこにも二人の姿は見つけられない。
当たり前だ。遠坂も桜もここにはいないんだから。
「とお、さ……っ……さく……っ……」
膝から崩れ落ちそうになるのを堪えて、必死になって立っている。
「誰か……」
誰に訴えればいいんだろう……。
この苦しい世界から、俺はどうやったら、二人のいる世界に戻ることができるんだろう……。
「だ、れ……か……」
不意に、足音がした。ついさっきまでイヤホンを付けていたからか、俺がぼんやりしていたからか、久しぶりに耳で音を拾った気がして、何とはなしにその音を振り向く。
「っ……」
思わず、息を呑んだ。
あまりにも見覚えのある顔。
俺を真っ直ぐに見つめる鈍色の瞳。
「っ………………………なんで……?」
どうしてだ……。
鼻の奥が痛い。目の奥が熱い。
溢れそうになるものを歯を食いしばって堪える。伸ばしてしまいそうな手を握りしめて、勝手に動きそうになる身体を抑え込むことでいっぱいいっぱいだ。
(ダメだ……)
近づいては、触れては、こんな覚束ない心持ちじゃ、またおかしなことを口走ってしまう。それどころか、俺は何をしてしまうかわからない。
(とにかく、この場を、離れないと……)
なのに、足はいうことをきかない。
「士郎……」
(ああ、声が……)
耳に届く。
六体目はしゃべらないから、声だけはずっと聞くことができなかった。
その声に、全身が震える。
(どうしてだ……)
息を切らせて、なんだか焦ったような顔で、いつもの赤いやつじゃなくて、普通の人と同じような黒い服で……。
ここに、どうして、アンタが、いるんだ……。
*** *** ***
「ダ・ヴィンチちゃーん、エミヤ、こっちにいるー?」
「おや、立香くん。おはよう」
「おはよー。エミヤは?」
「あいにくと、さっきレイシフトしたところさ」
管制室に元気よく入ってきた立香に、ダ・ヴィンチはにこやかに答える。
「食堂にいないからさー、って、え? レイシフト? お、おれ、ここにいるけど?」
ダ・ヴィンチがあまりに穏やかなので、立香はそのまま話を進めようとしてしまい、慌てて訊き返した。
「ああ、ごめん、言葉が足りないね。冬木にね、レイシフトしたんだ」
「冬木? えっと……、士郎さんの、ところ?」
「うん、少し状況が変わってきてしまってね」
「もしかして、特異点?」
「いいや。あの街にはもう、不穏な所はないよ。元々疑わしいのは冬木市の一部、新都という街中の方だけだったからね。そちら側はもう調査が済んでいるんだ」
「そうなの? じゃあ、どうして士郎さんを帰らせないの?」
「それはねぇ、まあ、士郎くんを落ち着かせるためだよ」
「落ち着かせる?」
「少し、エミヤと距離を取った方がいいと思ったんだよ。でなければ、彼はどんとん自分を追い込んでいってしまうから」
「ダ・ヴィンチちゃん……、もしかして、また、何か画策した?」
「いやだなあ。天才は同じ轍を踏みはしないよ。今度は失敗しない。エミヤにも重々言い聞かせたからね。彼もやっと本気になったよ」
「そっか。じゃあ、おれは安心して待っていればいいんだね。あ、ところで、状況が変わったって?」
「士郎くんのメンタルの不調が、身体にまで影響を及ぼしはじめた。もう、これ以上は無理だと判断してね、エミヤに迎えに行ってもらったんだ」
「でも……、エミヤでよかったの? 距離を置いた方がよかったんじゃ……?」
「エミヤしかいないだろう?」
「そうだけどさ……」
「大丈夫だよ。エミヤも腹を括っている。もう、士郎くんの気持ちをおいてきぼりになんてしないよ」
「うん、そうだよね! うまくいってほしいね」
「そうだね」
「でないと、厨房がさぁ……」
「カルデアの食事情のためにも、あの二人には仲良くしていてもらわないとね!」
ダ・ヴィンチはにっこりと、いつものように美しい笑みを刻んだ。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
冬木へとレイシフトし、新都ビルの屋上で目を凝らす。
だが、求める気配を掴むことはできない。士郎が最後に発した座標のある深山町の方へと意識を集中するが、やはり私の能力で深山町全体を精査することは難しい。
言い訳をするならば、単独でレイシフトしているため、マスターとの距離が物理的に離れているせいなのか、自身の単独行動スキルを含め、著しく性能が落ちている気がする。
「どうするか……」
墓地にいたというのであれば、そこから探しはじめるのが正解か。
すでに日が中天より西に傾きはじめている。午前中に墓地にいた士郎の痕跡を追えるかどうかは、今の私の性能では難しいかもしれない。
所長代理に大口を叩いたことを、少し勇み足だったかと後悔しそうになって、いや、と頭を振る。
はじめから弱気になってどうするのか。
とにかく墓地へ向かおう。
戻る時間は日没。
それまでに士郎を探し出し、ともにカルデアに戻るために説得する。
これだけが最低であり、最上の任務だ。
気を引き締め、霊体になり、ビルの屋上から跳んだ。
深山町の墓地へと着き、武装を違和感のない平服に替え、士郎が立っていたであろう墓前に立つ。
線香の火はすでに消え、白い灰になっていた。周囲を注意深く見渡し、人の姿がないことを確認する。
もうここにはいない。痕跡は何もない。微かに何かが残っているのかも知れないが、今の私では見つけられない。
サーヴァントとは、便利なようで案外不便だ。媒介となる魔術師がいなければ、こんなにも性能がガタ落ちになる。
「士郎、どこだ……」
作品名:BLUE MOMENT8 作家名:さやけ