BLUE MOMENT8
「アーチャー、俺は――」
「士郎」
その声を遮る。何を言われるかわかりきっていたから。
士郎の口から、二度と戻らない、と言われるのは、やはり耐え難い。
「私の我が儘を、きいてはもらえないだろうか」
だから、私は士郎にねだった。
「え?」
「私は、……っと、時間か。すまない、話は後だ」
「え? な、なん、」
「行くぞ」
平服をいつもの装甲に替え、士郎の腕を、がしり、と掴む。
「え? ちょ、」
そのまま士郎とともに高層ビルの屋上から飛び出した。
「ちょっと、待―――――ッ!」
声は風にかき消されたのか、それとも、士郎が口を閉ざしたのか。まあ、どちらでも――――、
「!」
そろそろ士郎を引き寄せようとする前に、士郎が抱きついてきた。
「士……」
ぎゅう、と私の首に腕を回している。
溺れる者は藁をも掴むという。おそらく士郎はその状態だ。決して狙っていたわけではないが、士郎の方から私にしがみついてきた。
そんな人間の条件反射のような当然の行動を、嬉しく思っている私もどうかしている。高層ビルの屋上から飛び出すなど、少しやりすぎただろうかと自省を禁じ得ない。
(士郎……)
別の意図などないというのに、縋りつく士郎を抱き寄せ、こんなことで胸を熱くしている自分が可笑しかった。
(ああ、やっと……)
安堵だろうか。とにかくほっとしている。
たったの二週間ほどだったというのに、士郎のいないカルデアが、とてつもなく寂しかったことに今ごろ気づく。
久しぶりにこの腕に閉じ込めた士郎の温もりを噛みしめ、ビルの中程でレイシフトの渦に吸い込まれた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
落ちる、落ちる、落ちる――――――っ!
い、いきなり、なんだ!
コイツ、ビルの屋上から飛び出して!
今度こそ、俺を殺す気かよ!
なんか、話も途中だし、よくわからないことばっかりアーチャーは言ってるし!
傍にいろ?
一番大切なもの?
諦めるつもりはない?
どういう意味だよ!
どういうつもりだよ!
俺を担ごうっていうのか?
騙されないからな!
俺は、カルデアを出て行くんだからな!
アンタ、わかったって、縛る権利はないって、言ったんだからな!
(でも……)
落ちるのをいいことに、アーチャーにしがみついてる自分が、一番理解不能だ。
(アーチャーがいる……)
目の前に、アーチャーがいる。あの騎士じゃなくて、アーチャーが俺を抱えている。
(ああ、これだ……)
この温もり、腕の確かさ、肩を引き寄せて、抱きしめるような強さで俺を捕えている……。
落下しているって理由があるからしがみつける。それをいいことに、こんな事故みたいな状況を利用して、俺は……。
(アーチャー……)
空が見えた。
茜色と藍色のコントラスト。
(青の瞬間って……)
太陽が沈んで、茜色は藍色に落ちていく。
(アーチャーと一緒にこんな空をまた……)
ビルのシルエットの向こうの空が、滲んで消えた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「士郎、着いたぞ」
私に横抱きにされ、いまだ、ぎゅうう……、と、しがみついたままの士郎に言えば、
「……え? あ、わっ!」
慌ててしがみついていた手を離してしまった。非常に残念だ……。
「やあ、おかえり、士郎くん」
「あ……、ダ・ヴィンチ……」
「どうだった? 里帰りは」
「…………ああ、うん」
何もそんなことを今訊かなくてもいいと思うのだが……。所長代理も気が利かない。案の定、士郎の表情は暗くなってしまった。
「所長代理、早速だが、」
「うん、そうだね。士郎くんの部屋でいいかい? それともエミヤの?」
「どちらでもかまわないが?」
「うーむ。緊急時のことを考えて、私の工房に近い方がいいね。うん、士郎くんの部屋にしよう」
「あ、あの、なんの、話を、して……?」
士郎は何度も瞬いて、私と所長代理を交互に見ている。
「六体目を定着させる話さ」
所長代理は、はっきりと告げた。
「あ…………、手間、かける……、それで、あ、あの、アーチャー、もう、下ろしてくれて――」
「経過観察は施術者の義務だよ。したがって、六体目の分離は我々の責任でもある。遠慮なく君は文句を言っていいんだよ」
所長代理の弁明をいいことに、下ろしてくれと言う士郎を無視した。
「あの、アーチャー、下ろし――」
「それでね、考えたんだ。きっと六体目が定着しないのは、君がエミヤのことを複雑に考えすぎているからだと思うんだよ」
「複雑……?」
「君は、エミヤと六体目を別々に見ているだろう?」
少し前を歩く所長代理は、顔だけ振り返ってにこやかに訊ねる。
「別々……、うん、そう……だけど……」
「だろうね」
「それが、分離することにどう影響するというのだ?」
「これは私の勝手な考えなんだけどね。六体目というのは、姿はエミヤだけれども、士郎くんにとってのエミヤは、今ここにいる彼だろう? 自分の中に入ってきた六体目はまた別の存在だと、士郎くんは無意識にそう思っているんじゃないかなぁ」
「そりゃ、アーチャーと六体目は、全然違うし……」
そうだった。
士郎は、自分はアーチャーのものだ、と言って六体目が口づけようとするのを遮っていた。
それはつまり、私に操を立てたということになり、ひいては、六体目を士郎が受け入れきれていないという原因になっているのではないだろうか。
(士郎の私への心遣いが士郎の身を危険に晒すことになっていたとは……)
本末転倒だろうが、本当に……。
そんな話をしているうちに所長代理の工房に着く。ふと、ここに来るまでに、誰とも出会わなかったことを不思議に思う。
もしかすると、所長代理は、カルデアに外出禁止令でも敷いてくれていたのだろうか?
「こっちだよ」
所長代理は、工房の扉とは違う、その隣に位置する部屋の扉の前に立っている。
(ここが、士郎の部屋?)
私が聞き込みをし続けて突き止めようとした場所……。
(士郎の部屋はこんなところにあったのか)
だとすれば、私が所長代理に呼び出された時には、ここに?
いや、もうすでに冬木へ行ってしまった後だったのだろう。所長代理のことだ、私を呼び出しておいて、隣室に士郎を匿っているなどという冒険はしないはずだ。
「士郎くん、ロックを」
所長代理がみなまで言う前に、士郎は自らの手を扉に触れた。途端、かちり、と解錠の音がする。
(士郎の生体認証、なのだろうか?)
他の個室と変わらない見た目の扉だが、その機能は大きく違う。勝手にこの部屋に入ることはできないだろう。
このロックも天才ダ・ヴィンチ謹製であることだろうし、私にキャスタークラスである所長代理が施した術を解析する能力はない。
(士郎の許可なく入ることは難しいか……。では、どうやって士郎と……?)
少々考えが不穏な方向に至りそうになっていると扉が開いた。中へ入ると、室内は私の部屋とは全く違う様相であることに目を瞠る。
作品名:BLUE MOMENT8 作家名:さやけ