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自分らしく
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彼方から 第二部 第六話

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 森に入ってから、何かに抑え込まれているような……そんな閉塞感のようなものを感じる。
 だからなのだろうか、こんな風に、イラつきを感じるのは……
 確かに、彼女に警戒心を抱いてはいるが、話に口を出す必要など、なかった……ましてや、挑発するような言い方など……
 薄く、纏わりつくような『嫌な感じ』が拭えない。
 異常な興奮を示した馬の様子が思い返される。
 ここが、『魔の森』だからだろうか……
 ノリコの腕を掴むイザークの手に、無意識に、力が籠ってゆく。


「イザーク……?」
 いつもよりも少し、強く掴まれる腕に、ノリコはなんとなく、不安を感じる。
 問い掛けるように名前を呼び、顔を見上げた。
 少し……表情が硬いような気がする。
「なんだ……?」
「う、ううん……何でもない」
 スッ――と、手が離れてゆく。
 だが、掴まれた感触が、まだ腕に残っている。
 足下から忍び寄るような不安……『魔の森』という言葉が、頭から離れなかった。

   *************
 
「しかし、なんだな……」
 エイジュの、カルコの町での話を聞き終え、バラゴがそう言いながら、前を歩くイザークの背中を見る。
 それから、ガーヤに顔を近づけると、少し声を潜めて、
「あいつはあんな顔して、ああいう腹癒せをするとは思わなかったな。怒ると、いつもああなのか?」
 そう訊ねてきた。
「え?」
 怪訝そうな表情のガーヤに、
「いや、だから、イザークが……逃げる時、ナーダの顔にな……」
 言い掛けたバラゴの言葉に、後ろから――左大公の息子たちから、堪えた笑いが漏れ聞こえてくる。
 何事かと、ガーヤとエイジュがほぼ同時に、後ろを振り向いた。
 バラゴも、息子たちの笑いにポリポリと額を掻いている。
 隣の左大公からは、その堪えた笑いを窘めるように、咳払いが聞こえる。
 一旦は収まるものの、よほど耐え難いのか、再び笑い声が漏れてくる……
 左大公たちの様子に、ガーヤはバラゴを少し離れた所へ連れて行き、
「いったい、ナーダに何をしたんだい? イザークは」
 と、改めて訊ねた。
「実はよ……」
 バラゴも、ガーヤ以外には聞こえないよう、一応注意を払って耳打ちする。

 ………………ぷっ

 思わず手で口を押えて、体を震わせながら笑いを堪えるガーヤ。
「意外だろ?」
 と、バラゴ。
「あ、ああ……しかし、まぁ、確かに、やられたまんま黙っているような子じゃないことは確かだね」
 そう言いながら皆のところに戻り、ガーヤは眼に涙を溜めながらイザークの背を見た。
 視線に気づいたのか、イザークが不意に、振り向いてくる。
 ガーヤはニッと、大らかで懐っこい笑みを返す。
 彼女の笑みに怪訝そうに首を傾げながら、イザークは前に向き直った。
 そんな彼の様子に、ノリコもまた、怪訝そうに振り返りながら、イザークを見上げている。
 ――そんな子供っぽい所もあるんだね、イザーク
 それが少し嬉しく思えるガーヤ。
 人を寄せ付けないような雰囲気を持っていたあのイザークが、今では、一時的かもしれないが、これだけの数の人と、行動を共にしている……
 ――もしかして、ノリコと出会ったお蔭かも、しれないね
 この出会いが、イザークを良い方向に導いてくれることをガーヤは秘かに願い、二人の背を見詰めていた。

   *************

「ケミル右大公様……どうしましょう」
 ナーダの城、召使の一人が、至極困った顔をして右大公にそう訊ねている。
「む……」
 召使の問い掛けに、ケミルも返答に困ったように眉を顰めた。
 二人は、痺れ薬で気を失い眠ってしまっているナーダを、試合会場から寝室まで運び、そこへ寝かせていた。
 そのナーダを二人で覗き込み、困っているのだ。
「お目覚めの時、お知らせしてもいいものかどうか……」
 何か嫌な夢でも見ているのか、ナーダは顔を顰めて魘されている。
 額には、脂汗まで浮かんでいる。
「どのくらいかは分かりませんが、暫く、消えないことは確かですので……」
「そうか……」
 召使の言葉に、ケミルは大きく肩を落とし溜め息を吐いた。
「この、ナーダ様のお顔に書かれた文字は――その、『染料』で書かれておりますので……」
「…………」
 ナーダの顔を見やり、これで何度目になるか分からない大きな溜め息をケミルは吐いていた。
 困り顔で対処を求める召使。
 ケミルはもう一度、ナーダの顔を見る。
 その顔には真横に大きくど真ん中に、『あ・ほ・う』と、書かれていた。

   *************

 闇を蠢く者の気配がする。
 森の中、木々を掴み、移動してくる。
 遠くから静かに、気取られぬよう密かに……
 その魔の手を、触手を、ゆっくりと確実に忍ばせてくる。
 何万本、何十万本、何百万本もの数が集まった、人の髪の毛にしか見えないような姿をした『化物』が……


「おれ達……もうどれ位、進んだだろうか」
 興奮し、暴れ出すようになった馬を捨て、森の中を歩きだした一行……
 バーナダムがふと、不安げにそう呟いた。
「さあ……なんたって、初めて入ったんだから、よく分かんないね」
「そんな、いい加減な……」
 辺りを見回しながら、さして気に留めた様子も見せないガーヤに、バーナダムが困り顔で振り向いている。
「言い出しっぺはガーヤなんだから、もっと責任を持ってくれなきゃ!」
 怒鳴るとまではいかないが、それでも荒げた語気からは、彼の焦りが伝わってくる。

 ――バーナダム、なんだかイライラしてる

 どうということは無いのかも知れない。
 ただ、先の見当がつかない森の中を、案内なども無しに歩かなければならないことへの不安からくる、苛立ちなのかもしれない。
 それは恐らく、皆も同じように感じているはずだ。
 けれどもノリコは、バーナダムにはそれが顕著に表れているような……過敏に反応しているような、そんな気がして少し気になった。
「おい、見てみろ!」
 しかしその不安は、ロンタルナの一言で多少、解消されることになる。
 彼が指差すその方向には、幾つかの家屋の屋根が、木々の合間から見えていた。
 白霧の森の中、少し開けたその場所に、集落が見えて来たのだ。


「これは……」
 集落の中心まで進み、辺りを見回しながらガーヤが呟いている。
 それなりの規模の集落だった。
 だが……人の気配など、皆無だった。
 一応、状態を確かめる為か、あるいはただの興味か……何人かは家の中に入って様子を窺っている。
 窓の戸板は壊れ、壁が剥がれ落ち、出入り口の戸も外れ掛け、辛うじて付いているだけの状態の家もある。
 家の中にまで森の木々が根を張り、窓から枝が、顔を覗かせている。
 原型を留めてはいるが、明らかに、長い間人の手が入っていないことが一目で分かる。
「昔……ここに住んで、狩りやキノコ作りをしていた人達の集落だ」
 ジェイダがそう、説明してくれる。
「ひ……人が住んでいたんですか? こんなところに……」
 こんな魔の森と言われるところに――言外にそう含ませ、コーリキが驚いたように父の言葉に反応している。