オペラ座の廃人
さて、日曜日の夕方。華麗なるオペラ観劇の夜である。
タキシード姿のラダマンティスとファラオは、劇場前のエントランスでパンドラを待っていた。
護衛を勤めようとジュデッカに赴いたところ、パンドラは昨日のうちにウィーンに向かったと、パンドラの秘書役のクイーンに言われてしまったのだ。
「……護衛なのに、何故我々はこんなところでパンドラ様を待たねばならぬのだ?」
ラダマンティスは慣れないタキシードが窮屈なのか、しきりに首をまわしながら言う。ファラオは首肯すると、
「そう言えば、パンドラ様から事前に何も連絡ありませんでしたよね」
「ううむ……」
たっぷり一時間は待った頃であろうか。
ウィーン国立音楽劇場の前にリムジンが停まり、中からドレスアップしたパンドラと…数名の影。
「!?」
二人は目を疑った。リムジンから降りてきたのは、パンドラの他に、城戸沙織、ジュリアン・ソロ、そして沙織の執事を勤めている辰巳の三人だったのである。
あまりにも濃い面子に、ラダマンティスとファラオは言葉を失った。
「何だ、アレは…」
呆然とするラダマンティス。と、ラダマンティス達に気付いたパンドラは沙織とジュリアンに一礼すると、つかつかとこちらに歩み寄った。
そして心底不思議そうな声で一言。
「・・・何故お前達がここにおるのじゃ?」
「え?」
これにはさすがの二人も目を剥いた。自分達は護衛の仕事でここに来ているのではないのか?
パンドラの護衛のために、わざわざウィーンくんだりまで来ているのではないのか?
ポカーンとする二人を後目にパンドラは相手を問いつめるかのような口調で、
「オルフェから聞いておらんのか?」
「何をですか?」
「しばらく前から、三界の首脳で交流を深めるイベントをしようという話が出ておってな。そこでだ、私がオペラ座のチケットを取れた事を知っておるオルフェが、先日のアテナとポセイドンの会談の際に今回のオペラ観劇の話を出したという訳じゃ」
オルフェが地上に戻ったのは、ポセイドンとの会談に臨むアテナの護衛の任務のためだったのである。
ラダマンティスがオペラを見たくないと騒いでいたのを思い出したオルフェは、出発前にパンドラに三人でのオペラ観劇を提案し、その後アテナやポセイドンにこの話を持ちかけたという訳である。
元々はラダマンティスに対する親切心で提案したようなのだ。
「…トントン拍子に話が進み、今回の護衛は城戸家の執事と地元警察だけで観劇という事になっておったのだが、聞いておらぬのか?」
聞いている訳ない。聞いていたら、タキシード着てわざわざこんな場所来ない。
しかし冷静に考えてみれば、同じ仕事をやらされるはずのアイアコスが来ていない。
目と口を埴輪状にする部下達を、パンドラは胡散臭そうに眺めると、
「この事をお前達に伝えようとしたら、オルフェが『自分が伝えておく』と言い出す故、奴に任せておいたのだがな…
まさか忘れるとはな」
『わざとだ!絶対にあいつはわざとやった!!』
心の中であの居候聖闘士を激しく罵る両名。
パンドラは事務的に「御苦労だった」と声をかけると、早足で沙織とジュリアンの元へ戻った。
「失礼した。どうやら手違いがあったようでの」
「いえ、お気遣いなく。今夜はお招きありがとう、パンドラ」
もの柔らかく微笑む沙織。白い礼服姿のジュリアン・ソロは、さり気なくパンドラの手を取ると、
「サオリの言う通りです。フロイライン・パンドラ、今夜はお招きありがとうございます。
こんな美女二人と観劇できるなんて、これが本当の両手に華ですね。アハハ」
上機嫌のジュリアン。わりと女好きなところがあるので、彼にとっては願ってもないシチュエーションであろう。沙織の肩を抱こうとし禿頭の執事に一睨みされ、軽く肩を竦めたのは御愛嬌。
「それでは行きましょうか。ウィーンでのオペラは初めてなので、楽しみにしています」
「サオリ、私と一緒になれば毎週でも観劇にお連れしますよ」
「フッ・・・アテナはモテるな。私もいい男が現れないかの」
「ならお譲りいたしますわ。フフフ」
「サオリはつれないですね。でも、そこが魅力です」
三人の大金持ちは華やかな雰囲気と強大な小宇宙を漂わせながら、談笑しつつ劇場内へ消えていった。
その後ろ姿を虚ろな瞳で見つめつつ、呆然と立ち尽くすラダマンティス。
ここ数日の苦労は何だったのだろう?
バカみたいにクイーンのCD聴きまくった自分は一体なんなのだろう?
口からエクトプラムズが出そうなラダマンティス。
ファラオはパンフレットを地面に叩き付けると「今度はオルフェに騙されたか!!」と地団駄を踏む。
以前ユリティースの件で騙したから、それの報復か!?しかしやり方が汚いぞ!
と、突然携帯電話が不粋な電子音を立てたので、イライラしつつもファラオは電話を取り出した。
発信者は今回の事件の仕掛人だ。
『やぁ、ファラオ。ごきげんいかが?』
「貴様のせいで最悪だ!何故黙っていた」
『あんなに真剣になっていたからね。どうしても言い出せなかったんだ』
半分は本当かも知れないが、半分は絶対に嘘だ。声が微妙に笑っている。
「言い訳でもしに電話でもしたか?物好きな。待っていろ!今すぐ地獄へ送ってやる!!」
殺気立っているファラオにオルフェは動じる様子もなく、いつもの穏やかな口調で、
『冥界に住んでるのに、地獄送りと言うのも変な話だな』
「茶化すな!これから冥界に帰るからな、首洗っていろ!」
『まぁまぁ。僕も黙っていたのは悪かったと思っている。そこでだ。一応お詫びを用意しておいた』
「お詫び?」
『ああ。実は今、ソレントと一緒にウィーンのライブハウスイベントに来ているんだ。で、シークレットで大物出るらしいんだよ・・・誰かはまだわからないけど。チケットは君の分もとってある』
ファラオの殺気がやや収まる。シークレットの大物?一体誰だ。
「……場所はどこだ?」
『ちょっと待って。ソレントに代わる。地理はこっちの方が詳しいから』
ごそごそと衣擦れの音がし、少年の声音を残したソレントの声が受話器から流れる。
『初めまして。すぐそこにタクシー乗り場があるでしょう?』
「あるな」
『そこを真直ぐ南に進んで下さい。100メートル程先に「アンダーテイカー」という名のいかがわしい看板が立ってますから』
「凄まじい名前だな」
フッと鼻で笑う。アンダーテイカー、葬儀屋か。出てくるバンドの傾向が知れる。
ファラオは「すぐに行く」と返事をして電話を保留にすると、精神崩壊寸前のラダマンティスに向いた。