オペラ座の廃人
さて第二獄のファラオの家。
ベランダでケルベロスのブラッシングをするファラオは、テラスの長椅子でCD店のサイトをチェック中のオルフェに尋ねた。(ノートパソコンは持参)
しかしこの居候聖闘士、敵地だというのに長椅子に腹這いに寝そべり、挙げ句の果てにフェラーリのピットクルーのつなぎを着ている。
ここの管理者であるファラオが冥衣姿だと言うのにだ。非常にのんきなものである。
「お前は今月はいつ地上に帰るのだ?」
「明日。アテナからお呼びがかかりまして。某VIPとの会見の付き添い」
「・・・いい加減地上に帰った方が楽なんじゃないのか?」
「イヤだね。月に七日聖闘士の仕事するだけで、この楽しい二重生活を認めてもらえるのだから、大した苦労じゃないよ。聖域で変人にいびられているくらいなら、こっちでのほほんしている方がよっぽど楽だ」
『どうして私はこんな奴に負けたのだろう』とファラオは自問自答したい気分であるが、この天性の無茶苦茶さがオルフェの芸術的センスに何か関連があるのかも知れない。
「それよりどうする?ブラックメイルの新譜、日本独占発売だって!」
「本当か!?」
「本当。地上に帰るついでにアテナの執事さんに頼んで、CD予約しててもらう。ファラオはどうする?」
「私も頼む」
「了解。あ、フーファイターズも新譜出るんだ。お金無くなるなぁ。作曲の経費で落としてもらおうかな」
「お前そういう事やってたのか……」
呆れたように頭を振るファラオ。
オルフェは「利用できるものはどんなものでも利用する。それが僕のポリシー」と訳のわからない返事をし、パソコンの電源を落とした。
と、軒先に何者かの小宇宙。雑兵ではない。もっと強大な小宇宙。
不審に思ったファラオがブラッシングの手を止めて様子を見に行くと、ラダマンティスが魂抜かれかけたような表情で立っていた。
「ら、ラダマンティス様!どうなさいました?」
「ちょっといいか?」
と、無骨な指で屋内を指差す。何か話があるらしい。ファラオはすぐに頷くと、ラダマンティスを客間に通した。
花畑に戻るために長椅子から起き上がったオルフェは、ばったりラダマンティスと遭遇。
面倒事の気配を察した彼は、花のように微笑んでその場から立ち去ろうとしたが、「おい、待て。冥界の居候!」と、
ラダマンティスに自慢のブロンドをつかまれ、逃亡に失敗。
「痛いな!髪の毛引っ張るなよ!君のその手で掴まれてはキューティクルが禿げる!」
「男が身なりを気にするな!」
「僕は冥界のボーイ・ジョージを目指しているんだ!」
「訳のわからない事を言うな!」
その様子をキッチンから眺めていたファラオは、内心激しく呆れながらも最低の義務は果たす事にした。
「ラダマンティス様、コーヒーが入りました」
「こいつの分も入っているのだろうな?」
「ぼ、僕はコーヒーは牛乳が入っていないと飲めないからな。残念だったな、ファラオ!」
今度こそ逃げようとするオルフェ。しかしファラオは淡々とした口調で告げた。
「安心しろ。貴様好みのカフェオレ仕様だ。牛乳とコーヒーは1:1。仕上げにバニラアイス」
「余計な事を・・・・」
「諦めてラダマンティス様の面倒に巻き込まれろ。私1人だけで面倒を被るのは少々癪なのでな」
勝ち誇ったようなファラオの表情。
オルフェはやや口元を引きつらせると、ファラオ特製カフェオレを諦めてごちそうになる事にした。
「・・・・・・・・と言う事なのだが、お前ら代わりに行け。音楽好きだろうが」
長い話を終えた後、ラダマンティスは肺を空にするかのような深いため息を再び付いた。
今日は何度ため息を付いたかわからない。ああ、あのアマ、余計な事をしやがって。
音楽家連中は顔を見合わせると、「どうだ?」「どうって……」
ファラオは俯き加減のラダマンティスを労るかのように、
「それがラダマンティス様の御命令であれば、貴方の部下、そしてパンドラ様の部下である私に異論はございません。
このファラオ、不祥ながらパンドラ様の護衛を勤めさせて頂きます」
「おお……」
顔色にやや赤みが戻るラダマンティス。
ミーノスの代わりにファラオが入り、自分の代わりにオルフェが入れば、今回の任務は完璧だ。もう憂いる事は何もない。
そう思っていた矢先。カフェオレのカップを静かに置いたオルフェは至極冷静な声で、ラダマンティスの夢と希望を打ち砕いた。
「ファラオは別にいいだろうけど、僕に『代わりに行け!』と言われても、少々困る。一応僕はアテナの聖闘士だからね。冥界の実力者の護衛をしては色々と不都合があるだろう。僕が出来心を起こして、パンドラに危害を加えたらどうするのだ」
「確かに・・・・」
反論できないラダマンティス。さらにオルフェは追い討ちをかける。
「僕がパンドラの護衛に付いたら、『冥闘士は聖闘士に上司の護衛をさせて恥ずかしくないのか?これだから聖闘士に負けるんだよ、バーカバーカ』なんてあちこちで風説立てられるからな」
言いたい放題である。さすがハーデスに「彼女を蘇生してくれ」と図々しいお願いをできる男だ。
完全にぶちのめされたラダマンティス。もうぐうの音もでない。
ファラオは黙ってコーヒー(砂糖入り・ミルク無し)をすすっていたが、オルフェが着ていたフェラーリのつなぎを見て、とある事を思い出した。
「ラダマンティス様、オペラとおっしゃってましたよね?」
「ああ、オペラらしい」
「では我が冥闘士にもぴったりの人材がいるではありませんか」
「??」
今一つ状況が飲み込めないラダマンティス。
ファラオはおかっぱを揺らして立ち上がると、ラダマンティスに自分に付いてくるように告げた。
「オペラ向きの人材を御紹介しますよ」
「うちにそんな奴いたか?」
音楽に疎いラダマンティスは、オペラにぴったりの人材と言われてもピンと来ない。
それよりも、オペラにぴったりの人材とはどういう人間なのだ?
勘のいいオルフェは気付いたらしく、パチンと指を鳴らすとファラオの肩に腕を回した。
「いや、君も目のつけどころが素晴らしいね」
「今頃気付いたか。なかなかお誂え向きだろう?」
婉然と微笑むファラオ。しかし音楽家二人は納得しているが、ラダマンティスは全くわからない。
だんだんと腹が立ってきたのか、言葉尻がぴりぴりしている。
「お前ら!自分達で勝手に納得するな!!一体何の話なのだ!!!」
「じゃあヒントをあげよう」
振り向きチェシャ猫笑いをするオルフェ。その笑顔がラダマンティスは気に入らない。
しかし、今暴発したところで損するのはこっちだ。必死にぐっと耐える。
「ヒント?」
「そう、ヒント。オペラってね、モーツァルトがドイツ語のオペラを書きはじめるまでは、イタリア語で上演される事が殆どだった。モーツァルトがオーストリアの宮廷音楽家に就職するまで、ドイツ語のオペラは存在しなかったのさ。
はい、ヒント終わり」
「これのどこがヒントだ、貴様」
ラダマンティスの気配が剣呑さを帯びてくるが、オルフェは笑みを崩さなかった。
この程度のはったりで怖じ気付くようでは、ハーデスに技などかけられない。
むしろ側で見ていたファラオの方がハラハラしてしまったらしく、フォローするかのように、