オペラ座の廃人
翌日。ラダマンティスが詰所に出勤すると、備品のCDラジカセから大音量で音楽がかかっていた。
♪Because I'm easy come, easy go A little high, little low
♪Anyway the wind blows Doesn't really matter to me, to me
「何だこれは」
騒音とも取られかねない音量に、ラダマンティスは立派な眉毛を顰める。
机に向かって書類の管理をしていたバレンタインは、いつもの感情を全く感じさせない口調で、
「QUEENの『Bohemian Rhapsody』です。ご存知ありませんか?」
「俺がそんなもの知る訳ないだろう!!!」
例のオペラ座の護衛の件もあってか、ラダマンティスは非常にカリカリしている。
しかしバレンタインは、その程度で動揺する男ではない。
「ラダマンティス様が今度オペラを観劇なさると聞いて、少しでも音楽慣れしておいた方がよろしいかと愚考した次第でございます」
「・・・ファラオの差し金か」
バレンタインは何も答えない。しかしその沈黙こそが、ラダマンティスの問いを激しく肯定していた。
小さく舌打ちしたラダマンティスはバレンタインから書類を受け取ると、非常に皮肉っぽく尋ねた。
「しかし、何故にオペラを聴きに行くのにこんなものを聴かせるのだ?いっそオペラそのものを聴かせた方がいいのではないか?」
「理由は二つございます」
上司の皮肉を受けても、バレンタインは顔色一つ変えずに淡々とした口調で説明を始める。
「まず第一に、オペラそのものを聴かせたならば・・・ラダマンティス様に馴染みの無い世界なだけに、拒絶反応が一層激しくなる懸念がございました。故にやや聴き易いものから慣らしていくのが得策と判断。ファラオと相談した結果、ロックとクラシックが上手く融合したQUEENの『A NIGHT AT THE OPERA』(邦題:オペラ座の夜)はどうだろうという事で、今回選曲致しました」
長々しい説明であるが、要点を述べるなら『オペラをいきなり聴かせると、ますます嫌いになってしまうかも知れないから、音楽を聴く耳を養わせるためにオペラよりは聴き易いQUEENを聴かせる事にした』という話である。
「で、もう一つの理由は?」
「海底神殿を守る海闘士『海龍のカノン』は、実はQUEENを愛聴しているとの情報を入手致しました」
「何ィ!?」
ラダマンティスの目の色が変わった。
敬愛する上司が自分の仕掛けた餌に上手く食い付いてくれて、バレンタインは内心ニヤリとした。
もっとも、鉄のポーカーフェイスを持つこの男は、そんな素振りは微塵も見せなかったが。
「共通の話題を持つ事で、会話するにも取っ掛かりが増えるのではないでしょうか?」
「そ、そうか。一石二鳥と言う事か」
「御意」
無機質なバレンタインの返事。ラダマンティスはそうか、カノンが好きか…と何度も繰り返し、ラジカセから流れるフレディ・マーキュリーの声に耳を傾けていた。
『本当はそんな情報全く無いのだがな』
ラジカセの前でニコニコして音楽を聞く上司を、バレンタインは全く感情を浮かべない視線で眺めた後、机の上からファイルを引き抜き詰所を出た。カロンとルネにシフト表を配りに行くのである。
「そうか、カノンも好きか……」
何も知らないラダマンティスは、幸せそうにラジカセの前で微笑んでいる。
ラダマンティスは生まれはデンマークのフェロー諸島であるが、小学校に入る頃、父親の仕事の関係でイギリスに移住した。
そのため英語が母国語といっても差し支えないため、歌詞のリスニングに支障はないのだ。
「ここまで策が決まると、かえって気色悪いな」
アケローン河の帰り。第2獄でファラオにシフト表を渡しつつ、バレンタインは淡々と告げた。
その報告を受けたファラオは、小さくため息をつきつつ、
「単純な人だとは思っていたが、ここまでだったとはな」
「全くだ。しかしそれがあのお方の美点とも言える。さて・・・」
バレンタインの冥衣に覆われた腕が、ファラオに向かって伸ばされる。
ファラオは小さく頷くと、部屋から紙袋を持ってきた。
「これが私の手持ちのQUEENのCDの全てだ。これだけあれば十分だろう」
「了解した」
ごく事務的にCDを受け取ったバレンタインは、詰所に戻るために直線的な動きで踵を返す。
限り無く無機質なこの男、動きもかなり機械めいている。
その背中を見送るファラオはとある事が気になり、去り行く背中に少量の好奇心をぶつけてみた。
「ラダマンティス様はどのような顔でQUEENを聴いていらっしゃるのだ?」
その問いを受けたバレンタイン。電池でも切れたかのように動きがぴたっと止まり、しばらく凍り付いた。
表情は全く変わっていないが、明らかに動揺している。
長い沈黙の後、動揺や心の乱れを一切感じさせない口調でこう答えた。
「・・・・・あのお顔を、他の冥闘士に見せる事だけはできない」
「そうか」
そのまま何事も無かったかのように事務所に帰るバレンタイン。
彼の胸中を推し量る術を、ファラオは持たない。
「……しかし見に行くのはあくまでもオペラであって、QUEENでは無いのだがな」
しかし、全く音楽に興味が無いよりはマシか。
前向きに考え直したファラオはシフト表を冷蔵庫にマグネットで貼付けると、CDラックからthe usedの「In Love And Death」を取り出した。
今日はフルボリュームでCDを聴きたかったのだ。 [newpage]
三日後。お土産を持って冥界に戻ったオルフェは、目の前の光景が信じられないようであった。
♪Are you ready, Are you ready for this
♪Are you hanging on the edge of your seat
♪Out of the doorway the bullets rip To the sound of the beat~
ジュデッカ近くの詰所のドアを開けた途端、オルフェの目に飛び込んできたのは…ニコニコしながらQUEENの「地獄へ道連れ」を歌う(しかも音痴)ラダマンティスの姿だったのだ。
自分が地上で仕事をしている間に、一体何が起こったのだ?
あまりにも予想外なシチュエーションなので、ワイヤーロープの神経を持つこの音楽家もしばらく言葉が出なかった。
「帰ってきたのか、オルフェ」
事務所の奥からバレンタインが姿を見せる。
奥の資料室で何やら探し物をしていたのか、左の小脇に何冊か革の表紙の本を抱えている。
オルフェは知った顔を見てちょっとだけ現実に戻れたのか、ワナワナと唇を震わせながら、
「バレンタイン、な、何がどうなっている?あの、あのラダマンティスが、上機嫌でクイーン歌っているなんて!!!」
「ああ」
バレンタインはにこりともせずに、ラダマンティスの横に山積みになっていたQUEENのCDを指差すと、
「お前も聞いているだろう、ラダマンティス様、アイアコス様、そしてミーノス様の代理でファラオが、パンドラ様の護衛でオペラを見に行くという事を」
「聞いている」