冥界カイーナ新年会
ステージのセッティングの様を見守っていたラダマンティスは、ステージ脇にいたバレンタインを呼ぶと、そっと耳打ちした。
「いいか?パンドラ様にこれから行われる余興を御覧にならないように伝えておけ。連中のは演奏ではない。攻撃だ。ある意味オルフェやファラオよりも始末が悪い」
「御意。それでは速やかに」
バレンタインは華麗に一礼すると階上にあるVIPルームに向かい、オレンジジュースを飲みながら余興を楽しむパンドラに、ラダマンティスの言葉をそのまま伝えた、が。
パンドラはうさん臭そうにバレンタインを眺めると、
「音楽を聞く耳持たぬあのラダマンティスの言葉だ。奴が聞けば、どのような名演奏も攻撃に聴こえてしまうのだから
バレンタインよ、そう深刻に考えるでない。私はむしろ楽しみなのだ」
パンドラもかなりの音楽好きである。バレンタインは説得の困難さを実感した。
「お言葉を返す様ですがパンドラ様、次に行われる余興はかなりの物だと聞き及んでおりますが」
「ルネの元で練習などするからだ。ルネが騒音嫌いな事など、皆知っておろう?」
「確かに・・・」
「なら下がっておれ。冥界にいながらにしてスリップノットが楽しめるとは思わなかったわ」
鼻歌でも歌いそうな様子である。
バレンタインは次善策として耳栓とiPot接続のヘッドホンをテーブルの上に置くと、VIPルームを後にした。
なお、その後パンドラが激しく後悔する事は言うまでもない。
バレンタインからの報告を受けたラダマンティスは、ガクッと肩を落とすと、呻くように、
「オレは知らんぞ、本当に知らんぞ!!オレは無関係だからな!!」
「でもギガント達はラダマンティスの部下だから、何かあったら呼び出されるのはラダマンティスだよね?」
オルフェが笑顔でラダマンティスの背中に寄り掛かる。ややアルコールが入っているのか、白い肌がほんのりと赤い。
「お前も人を奈落に突き落とすような事を笑顔で言うな!!代わりにお前が弾いてこい!!」
「断る。音楽家としてのプライドがあるから、ロハじゃ弾かない」
「ファラオ、お前はどうなんだ!!」
「私が演奏しますと、同僚に飛び蹴りを食らいそうになるので、丁重にお断りします」
「む・・・」
口元を引きつらせるラダマンティス。気が付くと、いつの間にやらバレンタインが司会進行席に戻っている。
そしてステージ上。ラダマンティスの背中に冷たいものが走った。
揃いのボロボロの繋ぎに冥衣のマスク姿という異様な集団が、思い思いの楽器を持ってスタンバイしている。
場内は耳が痛いほどの沈黙に包まれた。嵐の前の静けさだった。
その沈黙を撃ち破る、バレンタインの事務的な声。
「それではギガント他有志九人による、スリップノットのコピーバンドをお送りします」
誰も何も言わなかった。歓声もため息も罵声も上がらなかった。
ギガントがワン、ツーとカウントを打ち、弦楽器隊が重くヘヴィなリフを放射、ドラムのスタンドが激しいドラミングを見せた途端、場内は阿鼻叫喚に包まれた。
誰もが耳を押さえ、あまりの破壊力に悶絶する。音楽じゃないだろう、あれは!
確かに、ギターやベース、サンプラーやパーカッションの音なのだが、どう聴いても音楽なんて物ではない。
とにかく、ドヘタなのである。耳が腐るかと思うほど、楽器隊が下手なのである。
「この不快感はなんなのだーーーーッ!!!!」
ルネが耳を塞いで絶叫する。騒音を超えた騒音に、沈黙を尊ぶ彼の神経は焼き切れる寸前であった。
楽器隊のチューニングが全然合っていないので、パート同士で不協和音が生じ、それがたまらなく不快なのである。ルネの感じる不快感はそこに原因があるのではないだろうか。
ファラオはオルフェと顔を見合わせると、
「スリップノットにこんな曲あったか?」
「いや、ないと・・・思う。あるわけないよ」
しかし彼等の仮説はボーカル担当のニオベがシャウトし始めた途端、覆された。
「♪Here we go again,mother fucker!」
「『People shit』かーーーーーーーッ!!!!」
同時に叫ぶファラオとオルフェ。これが、これのどこがあの歌なんだ!!!
音楽に対する愚弄に他ならない。聴いているとこっちの音感まで狂う!
「・・・まるで工事現場だな・・・」
あまりの破壊力に、それ以上言葉が出ないアイアコス。その言葉を受けたミーノスは、淡々とした口調で、
「工事現場なら、やがて立派な道路なり建物なり建築物ができます。しかしあの騒音は、何一つ生み出さない」
小宇宙が陽炎のように立ち上がり、ミーノスの手から緩やかにコズミックマリオネーションの糸が紡がれる。
そしてその糸は、フワフワとステージ方向に流れていく。
「ミーノス、お前何をする気だ?」
「さぁ?」
ミーノスはもの柔らかく微笑んでみせた。
が、ミーノスがこんな笑顔を見せる時はろくでもない事を企んでいる時であると、付き合いの長いアイアコスは知っている。
漂う糸はステージ手前にいたルネにそっと絡み付き、そして・・・。
「おい、ルネ。一体どうした?」
「いえ、ラダマンティス様・・・私にも何が何だか・・・」
ラダマンティスの目の前で、足が先導する妙な歩き方でルネがステージにのぼっていく。
ステージにのぼる気持ちなどこれっぽちもないのにだ。
「止まれ、私の足ッ!!」
その叫びが通じたかのように、先ほどから音痴な歌をまき散らしているニオベの真ん前でピタリと足が止まる。
ようやくルネは犯人を悟った。
・・・このような真似ができるのは、冥界広しと言えどもたった1人しかいない。
「ミーノス様!!!一体何をなさるおつもりですかー!!!」
泣きそうな顔で後方の喫煙所に向けて絶叫するルネ。
しかしミーノスは何も答えない。クイッと右手の指を動かしただけである。
すると…ルネの右拳が理想的な角度とスピードで、ニオベの左頬に激しくヒットした。
ルネの強烈な右ストレートを受けたニオベは後方に吹っ飛び、DJブースのイワンと激しく衝突。
機材の壊れる耳障りな音がフロア内に響く。
先程の破壊的な騒音が嘘のように、会場はしぃんと静まり返る。
だがその後、引いた波が戻ってくるかのように、喝采が、歓声が、ルネに浴びせられた。
「すごいではないか!ルネ」
「結構強いな。見直したよ!」
「今日のヒーローはお前だ!!」
惜しみない拍手と賞賛の言葉が、この裁判官に向けて投げかけられる。
この日一番の大歓声だ。誉められる事に慣れていないルネはこの歓声がくすぐったそうであったが、怖ず怖ずと右手を上げてその声に応えた。
この時ルネは、ほんの少しだけ意地の悪い上司に感謝した。
部下に珍しく華を持たせたミーノスを揶揄するかのように、アイアコスは肘で彼の脇腹をつっつく。
「お前も結構優しいところがあるのではないか?見直したぞ、ん?」
「アイアコスは心底お人好しですね」
ミーノスの口元には、いつものアルカイックスマイル。更に小宇宙で糸を紡ぐ。
「私がルネにいい思いをさせる訳ないでしょう?」
「?」
と、ルネの悲鳴と、喜んでいるのか、盛り上がっているのかよくわからない大歓声が会場から沸き上がった。
不審に思ったアイアコスがステージ上を注視したところ……絶句した。