北の国から
さて、ムウの電話からさほど経たないうちにやって来たミロは、カミュの家にやってくると当然のように食事をごちそうになった。
腹が膨れたミロは、リビングのソファで持参してきたDVDを見ている。シベリアには娯楽がないので、ミロはカミュ宅を訪れる際は数枚DVDを持ち込んでいた。
「なぁ、カミュよ」
「何だ」
「余計な事かもしれんが」
「だから、何だ」
カミュはミロの向かいのソファで、ミロが教皇の間で預かってきた書面に目を通している。
『どうせだから、お使いくらい頼まれろ』
と、アイオロスやサガがブリーフケース一杯の書類をミロに預けるのである。
来月は私も聖域に赴かねば駄目か?と、カミュがぼんやりと考えていると。
「たまにはお前も息抜きをしたらどうだ?」
「お前が来なければ、一人分家事が楽になるのだがな」
カミュの口調は、彼の技の如く冷たい。
お前、それ冷たいなーとぼやいたミロはテーブルの上の紅茶に口を付けると、
「お前もシベリアにこもりきりだろうが。少しは外に出て肩の力を抜かんと、潰れるぞ」
ミロなりに心配しているようだ。たまには聖域に顔を出すカミュであるが、宝瓶宮に1,2泊したらシベリアに戻ってしまう。
「氷河やアイザックも十分留守番はできるだろう。一週間くらい、海外でのんびりしたらどうだ?」
「今でも十分のんびりしている」
ピシャッと反論を防ぐような口調だ。実はカミュは、ミロが思っているほど忙しくない。
朝と夜だけ食事は作るが、昼は弟子が作る。洗濯掃除は交代制。午前中は一日の修業メニューを伝えた後、弟子の指導。午後は弟子に自主練習をさせ、コホーテク村に出掛ける。フランス語やロシア語の読み書き指導だ。夕飯を用意した後は聖域から送られてきた書類の翻訳や分析と、発狂するほど忙しくはない。
むしろシベリアでは自分のペースやスケジュールで行動できるので、非常にやり易かった。
「私には私の生活スタイルがある。今の生活で十分故、あまり心配しなくてもいい」
時折書類に赤ボールペンでラインを引いている。何か重要な事が書かれているのだろうか。
「ふーん……」
ミロはつまらなそうに呟いた後、ソファの上に寝転ぶ。
「お前、あんま友達いないだろ」
「な……」
あまりの事に、カミュは一瞬何を言われたかわからなかった。書面から顔を上げると、表情は崩さずにミロを見やる。
視線の先には、つまらなそうなミロの顔。蠍座の聖闘士はカミュの視線に気付くと、
「お前、付き合い悪すぎるんだよ。デスマスクやシュラ、アルデバランなんて、声かけたら結構付き合ってくれるぞ」
「あのな」
ついついこめかみを押さえるカミュ。
いや、自分でも付き合いがよくないのは自覚しているが、責められるほどではないとも思っている。
それにカミュは普段はシベリア在住のため、同僚たちとはどうしても疎遠になってしまう。
カミュは続ける。
「付き合いが悪い、付き合いが悪いとお前は言うが、毎月シベリアにやってくるお前をこうして家に泊めてやるのは、付き合いがよいとは言わんのか?」
「それは……」
口ごもるミロ。
付き合いが悪いとカミュを揶揄したが、カミュは毎回ミロのシベリア逗留に付き合ってくれているのである。
ミロは一度もカミュに、
「村の宿に泊まれ」
と言われた事はない。
「まぁ、確かにそうだが……。俺だってな、たまにはお前と飲んだりしたいんだよ」
「私は酒を嗜まん」
「ウソ付け。うわばみめ。アフロディーテが呆れていたぞ」
アフロディーテとは仕事の都合で何度か共に酒を飲む機会があった。
二人ともフランス語に堪能なので、パーティーや会議に駆り出される機会が多かったのだ。
カミュは困ったように唇を引き結ぶと、
「酒を飲みたいというなら、何故シベリアを訪れる時にワインの1本でも持参しない?」
「お前んちで飲んでも、ワクワク感がないだろ。聖域戻ったら、どこかのバーに行くぞ」
「……ハァ」
カミュはミロの言動から、ミロの真の目的を悟った。気付かざるを得なかった。
「ミロよ、お前は私を連れてどこかに行きたいのか?」
淡々とした口調でカミュが尋ねてやると、ミロが笑った。満面の笑みを浮かべて、笑った。
「よくわかったな、お前」
「お前の話題の持っていき方から、私と共にどこかに行きたいというのは、わかる」
カミュはミロのまどろっこしい話に付き合っていくにも飽きたので、ミロの思惑をズバリ言い当てた。
「私を連れて、どこに行きたいのだ」
「だから、バー……」
「見え透いた嘘をつくな。本当は私を引率者代わりにして、行きたい場所があるのだろう?」
ミロを射抜く、カミュの紅い視線。
カミュの瞳は薄い紅茶色なのだが、光の加減によっては紅色に見えた。
友人の言葉を受けると、大きく息を吐き、やれやれといった様子で両手を上げて肩をすくめるミロ。
どうやら、カミュの問いかけは図星だったようだ。
「お前には敵わんな、カミュよ」
「お前の考えは分かり易すぎるのだ」
あれを聞いてもミロの真意を汲めぬ方がどうかしていると、カミュは言いたかった。
だがそれをミロ本人に突きつけても、徒労に終わるのが目に見えているので、カミュはそれを腹の中で絶叫するのに留めておいた。
「まぁ、そこまで俺の考えが読めているのでは、話は早いな」
にんまりと笑ったミロは、おもむろに右手の人差し指をカミュに向ける。取り敢えず、爪は長くも紅くもなっていなかった。
「で、私をどこに連れていきたい?」
「ああ、それなのだが、モナコだ」
ミロの返事を聞き、一瞬カミュは考えた。
モナコ、モナコ、モナコ。
カミュがどこか耄けているのを目にしたミロは、やや苛立った口調で、
「モナコ公国だ!コートダジュール沿いにある、F1やカジノで有名な!」
「あ、ああ。そのモナコか」
「お前、何と勘違いしていた?」
ミロの目が鈍く剣呑に光る。
モナコといったら、あのモナコ以外……フツーないだろ。
するとカミュは特徴のある眉を微妙に顰めると、小声で、
「お前のそのキャラクターと、モナコが結びつかなかったのでな」
「今、ナチュラルに、それなりにひどいことを言っていないか?」
「そうか?」
実はカミュもかなり天然なところがあった。
「だがミロよ。お前はアテナの護衛で何度かモナコに行っているだろう」
そうなのだ。
ミロはF1モナコGPの際、アテナの護衛で2~3度モンテカルロ市内を訪れている。しかし、ミロは小さく首を横に振る。
「モナコはモナコでも、カジノの方だ」
「カジノ……」
何となく、イヤな予感がした。黄金聖闘士としての小宇宙が、警鐘を鳴らしている。
けれども、ミロの話は止まらない。
「それでな……俺……いっつもグランカジノで一山当ててこようかと思っているのだが、モナコはフランス語だろう?カジノのスタッフが何を言っているのか、全く分からんのだ。そこでな、カミュよ。お前、通や……」
「断る」
フリージングコフィンを言語化すると、きっとこうなるのではないか。カミュの返事には、そう思わせる何かがあった。
ミロは不快そうに顔を歪めると、
「カミュよ、俺は最後まで話をしておらんぞ」
「最後まで聞かなくとも見当はつく。モナコのカジノで通訳をして欲しいというのだろう?」