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寺子屋の手記

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その日もカミュの寺子屋で授業があり、子供たちは午前中から集会所に集まり、水と氷の魔術師から勉強を教わっていた。
「カミュ先生、三角形の面積の求め方ってなんでしたっけー」
「底辺×高さ÷2」
「先生、プリントできましたー」
「カーチャ、『сердцем』のスペルが間違っている。正しくは…」
子供たちを相手に赤ボールペンを握っていると、予想すらしていなかった人物が集会所にやってきた。
「黄金聖闘士、水瓶座のカミュとはお前か」
やってきたのは、若い男が3人。皆全身を覆うマント姿である。とてもではないが、一般市民の雰囲気や面構えではない。
小宇宙を燃やして戦う連中だとカミュは一瞬で見抜いたが、彼らの目的が今ひとつわからない。
「先生怖いよぉぉー」
当然の如く、突然の乱入者に脅える子供たち。
カミュは大丈夫だと冷静に声をかけると自分の机から立ち、男たちと対峙した。
「私がカミュだが、何か用か?もし用事があるなら、午前の授業が終わってからにして欲しい。今は皆、勉強中だ」
絵に描いたようなクールさで答え、男たちに隣の控え室で待っているように告げる。
「書架に何冊か本があるので、それを読みながら待っているといい。サモワールもあるので、お茶でも飲んで待っていてくれ」
業務連絡のように告げ、カミュは男たちを無視して再びプリントの採点を始めた。
「ワーニャはよく距離を出す問題を間違えるな。苦手か?」
「は、はい……」
ワーニャと呼ばれた少年は、やってきた男たちを横目でチラチラ見ながら、カミュの添削を受けている。
「では、少し似たような問題を解いてみるか。えー……」
カミュは問題用紙をストックしてあるファイルから何枚かプリントを取り出すと、少年に渡した。
「今度はこの問題を解いた後、こっちのプリントを見ながら自己採点してみるんだ。わからなかったら、また来なさい」
プリントは2枚ある。一枚は、問題が印刷されたプリント。もう一枚は、その問題にカミュが赤ボールペンで解答方法を詳しく書き入れたプリント。考え方や解き方がわかり易く書かれているので、自習がやり易い。
「……うわぁ。カミュ先生、すごく丁寧に書いてる!」
ワーニャはプリントを凝視しながら、自分の席へ戻っていく。
その頃には彼は、カミュの作ってくれたプリントの方が大事で、いきなりやってきた男たちなどもう目に入っていなかった。
他の子供たちもはじめは男たちを気にするような素振りを見せていたが、カミュに勉強を教わっている方が面白かったのか、男たちのことなど完全に視界から外れていた。
その場の人間全員に無視された形の男たち。
「ぐぬぬぬ……」
男の一人がギリギリと歯ぎしりを始める。まさか、子供らにまでこんなに完璧に無視されるとは思わなかった。
彼はリーダー格の容姿の整った若者に目配せした。若者は頷くと、マントをつかんで勢いよく外す。
「きゃあ!!」
室内でいきなり大きな布が振り回されたものだから、子供たちは驚き、男たちから実を遠ざけるために教室に壁際に逃げた。
壁に体を寄せた子供たちが、マントを取り去った男たちを恐怖と興味と好奇の目で見つめている。
自分の席に座ってプリントに丸をつけていたカミュは、ようやく男たちをまじまじと眺める。
男たちは聖衣のような甲冑を身に纏っていた。
「……何者だ、お前たちは」
表情を変えずにカミュが訊ねる。相手の戦闘力や小宇宙を推し量っていたカミュだが、然程強い相手ではない。
ダイヤモンドダスト一撃で容易に片付くだろう。
『……ここでそれをやったら、子供たちにまで被害が及ぶ。さてどうしたものか……』
カリツォーで動きを止めて、問答無用で集会所の外へつまみ出すか。
カミュが頭の中でシミュレートしていると、リーダー格の若者が口を開いた。
「我々はブルーグラードの戦士、氷戦士」
「氷戦士……そういえば以前、老師か教皇からお聞きしたことがある。東シベリアの資源開発やガス田の設備がなかなか進まないのは、氷戦士が一枚噛んでいるからだと……」
氷河と違い、カミュは氷戦士の名を聞いても、眉一つ動かさない。
以前は伝説の存在ではあったが、氷河によってその存在を明らかにされていたし、ヤコフもブルーグラードに乗り込んだことがあるので、然程特別視される存在ではなくなっていたのだ。
珍しいことは珍しいが、目を見開く程のものじゃない。
それが、現在のブルーグラードの戦士たちである。
まるでウィキペディアでも読み上げるかのようなカミュの応対に、リーダーと思しき男はあからさまに顔を歪めた。
「お前、もう少しリアクションのしようは無いのか?」
「私にどうしろというのだ」
机の上に散らばったプリントを、カミュは丁寧に集め、トントンと揃える。
その何気ない動作に氷戦士の男たちはカチンときたようで、突っかかってこようとしたところを、リーダー格に手で制される。
「水瓶座のカミュよ、我々はお前に用件がある。それなのに、その態度は少々ひどくはないか?」
「先程言ったはずだ。今は授業中だ。終わるまで隣の控え室で本を読んで待っていろ。サモワールもあるので、紅茶も飲める」
再び事務的にカミュが告げると、リーダー格の男はチッと舌打ちし、荒々しい足取りで部屋から出て行った。
他の男たちもそれに続く。
ドアが閉まる残響音が完全に消えた後、室内の空気がようやく弛緩する。
誰ともなしに息を吐く。安心したように息を吐く。
「何だろうね、今の」
ヤコフが瞬きしながら呟く。カミュは皆席に就きなさいと静かな声で諭した後、
「ああいう来客は私がどうにかする。皆は落ち着いて勉強しなさい」
「はーい」
素直に返事をし、プリントを解き始める子供たち。
もうすぐ、午前の部が終わる。

昼休みになり、子供たちは昼食のために一旦家に戻る。一時間の休憩の後、1時から3時まで再び授業がある。
カミュは家には戻らずに隣の控え室でランチをとる。昼休みに入る頃、近所のおばさんがカミュの昼食を配達してくれるのだ。
カミュが控え室に入ると、先程そこで待てと指示したはずの氷戦士たちが誰もいなかった。
「?」
さて、どこに行ったのだろう。
首を傾げるカミュだったが、テーブルの上に用意されていた今日のランチを目にしたら、自然と腹が鳴った。
白身魚のフライがたっぷりの野菜とともに黒パンにサンドされている。それに、付け合わせは野菜のソテー。リーズおばさんの料理は、見た目は素朴だが非常に味がいい。以前シチューを持ち帰らせてもらったことがあるのだが、氷河もアイザックもその味に言葉を失っていた。
そして無言になって皿をかき込んだ後、同時に、
「おかわり!」
それをリーズおばさんに話したところ、途端に上機嫌になって、以来料理をお持たせしてくれるようになったのだった。
今日も、鍋に入ったボルシチがテーブルの上に置かれている。
美味しい昼食に舌鼓を打っていると、集会所の別の部屋から微かに小宇宙を感じる。
連中の小宇宙だとすぐに察したカミュは、サモワールで淹れた紅茶を飲みつつ、小宇宙の出場所を探った。
「ん?」
口の中に白身魚のフライを押し込みつつ、少々目を細めるカミュ。フライが不味かったのではない。
小宇宙の出場所が、想定外だったのだ。
作品名:寺子屋の手記 作家名:あまみ