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寺子屋の手記

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「“あ……あした、わたし……は”?」
「そうそう」
「“あしたわたしはがっこうにいきます”」
氷戦士の一人が辿々しい調子で絵本を読んでいる。それをリーダー格ともう一人でフォローしているような様子であった。
「“がっこうでは、ろしあごを……”。うう……」
絵本を読んでいた氷戦士の顔が曇る。
しかし、あの格好で絵本を読み上げているだなんて、シュール以外の何物でもないのだが、読んでいる本人はひどく必死だった。
「アレクサー様、申し訳ありません。次の言葉がわかりません」
泣きそうな表情で訴える男に、アレクサーと呼ばれたリーダー格の男は丁寧に教えてやる。
「“がっこうでは、ロシアごをべんきょうします”だ」
「ではこれは、『勉強する』という意味なのですか?」
「そうだ」
音読していた男の顔が、パッと明るくなる。白い頬に赤みが差し、目がキラキラと輝く。
まるで、問題を解けた時の子供のような表情だと、いつもそんな子供たちの笑顔と向き合っているカミュは、思う。
『成る程な』
そこでカミュは、彼らの来訪の目的を何となく察した。
そしてその目的に気付くと同時に、もう少しまともな格好で来ればいいのに……とも思ってしまう。
「その本よりも、窓際の棚の本の方が易しいぞ」
入り口からそう声をかけてやると、中にいた氷戦士たちは弾かれたようにビクンと肩を揺らし、一斉にカミュに向いた。
「カミュ……貴様、見ていたのか!!」
「控え室に居ろと言ったのにいないのでは、探すのが普通だろう」
さらっと答えた後、カミュは懸命に読みを習っていた氷戦士に告げた。
「取り敢えず、その聖衣もどきを脱げ。服が無ければ私の外套を貸してやる」
その氷戦士……いや、他の男たちの表情も変わる。武装を解けとは、一体どんな意図があるのだ。
そう考えている顔つきである。
カミュは正確に彼らの思考を読み取ると、冷静な彼特有の口調で告げた。
「そんな格好では授業に参加できんからな。午後は音読の授業もある。教科書を授業前に配布するので、それまでに支度しろ」
あくまでも業務連絡の体ではあるが、その実態は授業へのお誘いだった。
この氷戦士たちは恐らく、字の読めない仲間のため、カミュに読み書きを教えてくれと頼みに来たのだろう。
しかし、上手な頼み方を知らない彼らは何をどう間違ったのか武装し、この寺子屋にやってきた。話がこじれそうだったら、力づくでも言う事を聞かせるつもりだったのかも知れない。
『最初から授業に参加したいと言えば、何も面倒は無いのだがな……』
控え室に戻ってお茶を飲みながら本を読むカミュは、氷戦士らの不器用さに少々呆れもする。
確か氷河も、仲間へのお誘いを断ったら、技を食らって幽閉されたと言っていた。
『不器用な連中だ……』
時計はそろそろ午後の授業の時間だ。
カミュは紅茶を飲み干すと、椅子から立ちあがる。
集会所には子供たちが再び集まり出していた。

「おじいさんが、おおきなかぶをひっぱります」
午後は、ある程度自分で勉強ができる子供はプリントで自習をしたり、興味ある本を読み、わからない点をカミュに質問したりする。
そうでない、まだ文章の読み上げに不安がある子供には、カミュが音読も教える。
先程の氷戦士も音読クラスの一員として、カミュや他の生徒とともに絵本を読み上げていた。
「おじいさんが、おおきなかぶをひっぱります」
音読を始めた頃は辿々しい調子であったが、何回か繰り返しているうちにリズムが取れるようになったのか、上手に読めるようになった。
カミュは今度は小さなホワイトボードに単語を書くと、丁寧に読み上げる。
「おじいさん」
「おじいさん!」
子供たちがそれに続く。
こうしてカミュは、単語と意味を結びつけて教えていた。
氷戦士の男も、子供たちと一緒に単語を読み上げていた。そして懸命に、綴りと意味を覚え込もうとしていた。
「かぶ」
「かぶ!!」
男は笑顔だった。子供と一緒に笑顔を浮かべていた。
新しい知識を得られた喜び。
次のステップへ進めた喜び。
男は今日は15個の単語を教えてもらった。
カミュから今日習った単語を紙に書いてもらい、何度も何度も音読を繰り返した。
「アレクサーとやらに頼んで、毎日新しい単語を教えてもらえ。日々の少しずつの積み重ねが大切だ」
その日の授業の後、教室を出ようとする氷戦士にカミュはそうアドバイスした。
この男、とても嬉しそうな顔で音読をするので、カミュも放っておけなくなってしまったのだ。
「спасибо(スパシーバ=ありがとう)!カミュ。感謝する」
顔を朱に染めて、ピュアな笑顔で礼を言う氷戦士。貰った単語表を大事に胸に抱えている。
……氷戦士は読み書きを教えないのだろうか?
そんな素朴な疑問がカミュの脳裏を過った。
聖闘士は師がギリシャ語や修行地の言葉を教える事が多いからだ。
カミュもフィンランド人のアイザックにギリシャ語とロシア語を教えたものである。
「氷戦士は師に読み書きを習う事が無いのか?私はよく弟子にギリシャ語とロシア語を指導したものだが」
すると男は顔を曇らせた。
「我々は聖闘士のように師を持たないからな。一族の中で、戦士として育てられる。ブルーブラードの戦士たち全てが、俺の師だ」
つまり、一族全員に色々面倒を見てもらうが、誰かにあれこれ世話を焼いてもらう事はないという事。
「それに、俺は孤児だしな。読み書きよりも……戦士として技と力を身につけて、早くアレクサー様たちのお役に立てるようになりたかった」
寂しそうに、けれども達観したかのように語る。
昔は戦士として強くあればそれでよかったのだが、近年の世界の情報化に伴い、力だけではやっていけなくなった。
故に、氷戦士の識字率を100%にしようと、ブルーグラードの長であるアレクサーの父・ピョートルは考えたらしいのだが、如何せんここには、指導する人間もノウハウもない。
そんな中、彼らの耳に届いたのはコホーテク村に生まれた寺子屋と、そこで子供たちを指導するカミュの噂であった。
聖域の黄金聖闘士が何故こんなところでこんな事を……という疑問はあったが、ピョートルはブルーグラードでもその寺子屋を開講してもらうおうと考えた。
そのため、地域の有力者とともにコホーテク村の村長とカミュに、他の村や集落でも学問指導を行って欲しいと頼みに行ったのだが。
カミュの返答は、多忙を理由にしたНет(いいえ)だった。
この辺の事情は、ヤコフが氷河に話していたものでほぼ間違いない。
カミュの招聘に失敗した事を父から聞いたアレクサーは居ても立ってもいられなくなり、部下二人を引き連れて、何の考えもなしにこの寺子屋に乗り込んできた……というわけである。
「周りの住民が羨ましがるのも、わかる気がするな。ここは非常に……未来への希望にあふれている」
眩しそうに目を細める男。
一緒に勉強をしてみてわかった。皆キラキラとした笑顔で、本を読んだり、プリントの問題を解いている。
子供たちは皆、ここが好きなのだ。
「……それなのに、邪魔をして悪かったな」
「できればその言葉は、アレクサーとやらから欲しかったな」
苦笑するカミュ。氷戦士はしゅんと肩を落とすと、すまなかったと小声で詫びた。
作品名:寺子屋の手記 作家名:あまみ