悩める金獅子
その翌日。
アイオリアはブラジルにて休暇中のアルデバランの元へ出向いたと、半ドンのシオンから教えてもらった。
「ブラジルに、ですか」
あまりの急な展開に、ムウの箸が思わず止まる。
シオンは頷くと、一口カツをよく咀嚼しながら、
「アルデバランに『教えてもらうことがある!』と申しておったよ。
黄金聖闘士になっても修練を忘れぬのは、よいことよ」
シオンは妙に嬉しそうだ。
「ええ、そうですね」
一拍遅れてそう答えた後、再び箸を動かすムウ。彼もまた、妙に嬉しそうな顔をしていた。
「どうやら君は、アイオリアに助言を与えてしまったようだな」
アイオリアがブラジルへ飛んだ次の日のこと。
荷物を抱えたシャカが、白羊宮へやってきた。どうやらこれからインドへ帰るらしい。
テラスで洗濯物を干していたムウはいつもの澄ました顔で、
「本人に教えてくれと頼まれてしまいましたし、言わないといつまでも居座る様子でしたので」
「君ならば、口八丁手八丁でどうにかすると思っていたのだがな」
「買いかぶりすぎですよ、シャカ」
謙遜でも皮肉でも嫌味でもなく、ムウは言う。
シャカは納得できないと顔に朱書きしていたが、白羊宮の主はさくっと無視した。
「それにムウよ。あのような事は自分で気づき、克己しようとしなければ、何も意味がないと思うのだがね」
「貴方は自分で悟りを開ける方ですから、そうお思いになるのかもしれませんが、皆が皆、貴方のような人間ではないのですよ」
話していてムウは、先日もこれと似たようなことをアイオリアに告げていたと気付いた。
『ああ、あの二人。実は類友だったのですね』
まったくどうでもいい事を発見してしまったムウである。
「アイオリアもアイオリアなりに色々考えていたのですよ。白羊宮で私の話を聞いた後、眠り込んでしまいましたからね」
「そうか、あのアイオリアが、か」
ほんの僅か、シャカが寂しそうな顔をしたように見えたが、それはムウの気のせいだったのだろうか。
「まぁ、いい。私はしばしガンジスに戻る。アイオリアが戻ったら、よろしく伝えておいてくれたまえ」
「ええ、勿論」
荷物をつかみ白羊宮から去っていくシャカに、ムウは軽く手を振る。
シャカも、あれで案外アイオリアを気に入っているのかもしれない。
洗濯物を干し終えたムウは、バスケットをつかんで屋内に戻る。
白羊宮のハウスキーパーには、片付けなければならない仕事が沢山あるのだ。[newpage]
さて、ブラジルの某町。
アマゾンに程近いこの街は、森林調査の学者たちのベースキャンプとしてよく知られている。
牡牛座のアルデバランはこの町の出身で、修行もアマゾンの豊かな自然の中で行った。
そのアルデバランの家にて、Tシャツにジャージ姿のアイオリアが、深刻そうな顔で稽古のレクチャーを受けている。
「お前は、稽古相手の力量を見ているか?」
「一目見れば、大体の強さはわかる」
「……それなのに、相手に向かってライトニングボルトか」
「いや、最近はライトニングプラズマの場合が多い」
真顔で答えるアイオリア。アルデバランは、このまっすぐな気性の同僚と話しながら頭痛を覚えた。
子供時代に色々あったため、真っ直ぐだがどこかズレた性格に育ってしまったのかもしれない。
「アイオリアよ、稽古とは相手の力量を見ながら、相手の力を伸ばすように行うものだ」
「それは、心得ているつもりだ」
アルデバランは段々と頭痛を覚えてきた。
アイオリアは決して馬鹿じゃない。
仁智勇、三つ揃った聖闘士の鑑のような男なのだ。むしろ皆があるべき聖闘士像というべきか。
情に厚く、悪を見過ごすことができず、誰にでも分け隔てなく接する。
目下だからといってぞんざいにする事はせず、目上だからといって物怖じしない。
そんなアイオリアの存在が、聖域で修行中だった星矢をどれだけ救った事か。
けれども、だ。
誰もが理想とする人物像とは概してどこか現実離れしているもので、アイオリアもそのご多分に漏れなかった……。
「しかしだ、手加減していては小宇宙によって奇蹟を起こすなどできないではないか。
星矢は俺と全力で戦う事により、光速の小宇宙を……」
「時と場合による」
遮るようにピシャッと言い切る。
アルデバランは冷蔵庫からガラナを取り出すと、アイオリアに投げて寄越した。
「取り敢えず、それを飲んで一旦頭を冷やせ。ムウにもお前のその欠点を指摘されたろう」
「覚えていない」
プルタブを開け、中の液体を喉に流し込むアイオリア。
口に入れた途端に微妙な表情を浮かべたのは、飲み慣れない味だったからだろうか。
「俺は少し用事があるので、出掛けてくる。留守を頼むぞ」
そうアイオリアに言い残し、アルデバランは家を出た。
普段とあまり変わらぬ格好で出掛けたので、行き先はあまりかしこまった場所ではないのだろう。
アルデバランの背中を見送ったアイオリアは、特にやる事もないので、ソファの上に横になると目を閉じた。
ギリシャとブラジルでは時差がある。そのため猛烈に眠かったのだ。
アルデバランは地元にいる時は、工事の手伝いをしたり、子供に格闘技を教えたりして暮らしている。
物騒な地域のある国なので、自分の身を自分で守るためにと、手の空いた時は子供たちの遊び場に出向いて、手解きをした。
アイオリアがこちらに来てから2日目のこと。
「お前も来るか?」
髪を束ね、上着を羽織り、身支度をするアルデバラン。
問われたアイオリアは家にいても暇なので軽く頷くと、アルデバランについていった。
石造りの建物が密集している住宅地帯。
裏通りに入れば子供たちが粗末な身なりでサッカーに夢中になっている。貧しくともサッカーが上手ければ、ここから抜け出すことができる。
ボール一つでチャンスをものに出来るサッカーは、貧しい生活を送る子供たちにとって、一番気軽で手軽な遊びであると共に、這い上がるチャンスを与えてくれる希望でもあった。
いつかはロナウドのようになりたい。いつかはメッシのようになりたい。
サッカーは目に見える形の『夢』も見せてくれるのだ。
そんな夢のゲームに明け暮れていた子供たちだが、アルデバランの来訪に気付くと皆わぁーっと集まって来た。
「アルデバラン先生、来てくれたんだ!」
「先生、どこに行っていたの?」
「この前のクッキー、すっごく美味しかった!先生の友達、お菓子作るの上手いね!」
アルデバランは子供たちに笑顔を向けると、それぞれに声をかけていた。
それが一通り済んだ所で、朗々たる大声で告げる。
「それじゃぁ、今日の稽古を始めるぞ!」
「はーい」
アルデバランが子供たちに教えているのは戦い方ではなく、かわし方、逃げ方である。
合気道の基本と思えばよい。
殴り掛かられた時、どう払うか。
羽交い締めにされた時、どう逃げ出すか。
ナイフを向けられた時、どう対処するか。
それらを、この巨漢の聖闘士は子供たちに指導していた。
ほどなく、どすん、どすんと、人を地べたに投げつける音が、先程までサッカーのキック音やシュート音が響いていた路地裏に谺する。
アイオリアは壁に寄りかかって、ただそれを眺めている。
「上手いものだな」