悩める金獅子
アルデバランは子供たちと組み手をしているのだが、上手く投げられたり、押えつけられたりしていた。
「そうだ、クリス。こう押えつけろ」
「アナンダ、もう少し足を踏ん張って……」
子供たちの目線で、丁寧に語るアルデバラン。その表情は真剣だ。
どすん。
アルデバランの巨体が、砂埃を舞い上げながら地面に崩れ落ちる。子供の大外刈りを受けたのだ。
先生、大丈夫?と技をかけた子供が慌てて駆け寄ってくる。無論アルデバランは、蚊に刺されたほども感じていない。
ムクリと起き上がるとそれはそれは満面の笑みで、
「アントニオ、今のは良かったぞ」
「本当?」
アルデバランに誉められ、少年の頬が瞬時に紅潮する。
大きく頷いたアルデバランは、
「ああ。今のタイミングを忘れるな」
「はい!」
その様子を、ただアイオリアは眺めている。
彼はポルトガル語がわからないので、アルデバランと子供たちがどんな会話を交わしているか解らないのだ。
けれども、自分の同僚が地元の子供たちに慕われているのだけはよくわかった。
子供たちが心の底からアルデバランを尊敬していることは、その表情や話し方から、イヤでも察することができる。
「ねー、先生。あそこのお兄ちゃん、何?」
子供の一人がアルデバランを指差して問う。他の子供たちも気になっていたようで、次々に、先生あの人誰と訊ねてくる。
「俺の友人だ。同僚でもある」
アルデバランは子供相手でもつまらない嘘はつかない。常に、正直に誠実に答える。
だから子供たちは皆、アルデバランを尊敬しているし、信頼しているし、大好きなのだ。
「先生のお友達なの?じゃぁ、あの人も強いの?」
「ああ、とても強いよ」
頷くアルデバラン。アイオリアの実力は、黄金聖闘士の誰もが一目置いている。
何せ、もっとも神に近いシャカですら、アイオリアと決着を付けることができなかったのだから。
すると一人の少女がアイオリアにとことこ近付いてきて、彼のシャツの袖をつかむと、軽く引っ張った。
「?」
彼女を見下ろすアイオリア。少女は大きな瞳でアイオリアを見上げながら、
「お兄ちゃんも教えて?」
アイオリアはポルトガル語は解らない。
けれども少女が何を求めているのか、何となく解った。
「俺も稽古に混ざれというのか……」
正直、困惑している。自分はあまり稽古を付けるのが上手くない。上手くないどころか駄目出しばかりだ。
聖闘士たちの稽古ですら上手くできないのに、果たして子供たちの稽古を付けることができるのだろうか。
「アルデバラン、どうしようか」
どうにも打開策が見つからず、縋るように大柄な同僚を眺める。
アルデバランはう~んと唸った後、
「お前が手を出さなければ、何とかなるんじゃないのか?」
「一方的に殴られるだけか?」
「お前は、組み手も満足に出来んのか」
珍しく揶揄するような言い方に、アイオリアはムッと顔を顰める。そして強めた語調で、
「馬鹿にするな!できる!」
「よく言った。男に二言はないよな?」
この時のアルデバランの『してやったり』な表情。
アイオリアはそれを見て、のせられたことを、悟った。
「それ!」
子供がアイオリアの腕をつかんで、投げ飛ばす。
つい条件反射で反撃の体勢を取ってしまいそうになるアイオリアだったが、
「おい、素人の子供に拳を向ける気か?」
アルデバランにそう止められる。
今回子供たちが学んでいるのは護身術だ。聖闘士の技ではない。
それをアイオリアは何度も何度も口の中で呟く。でないと、問答無用でライトニングボルトが出そうになるから。
「アイオリア、今の子供に言いたいことはあるか?」
アルデバランに問われた後、アイオリアは即座に、
「体の重心を少し下げる。体がぶれなくなり、投げ易くなるはずだ」
アルデバランはそれをポルトガル語に翻訳すると、子供に伝える、
子供は何度か目を瞬かせた後、少し考え込むような顔つきで投げるフォームを数度繰り返した。投げ方を研究しているのかも知れない。
「おい、ルビーニョ。もう一度このお兄さんを投げてみろ」
アドバイスを受けた子供に、アルデバランはそう指示する。
ルビーニョと呼ばれた子供は大きく頷くと、アイオリアの腕をつかんだ。そして、先程よりも腰を落とした低い姿勢で、アイオリアを投げる。
「!」
地面にアイオリアを落とした瞬間、ルビーニョは目を丸くする。
何故なら。
「さっきより投げ易い!」
からだ。
アルデバランは満足そうな笑みを浮かべて少年に片目を閉じてみせると、地面に投げ落とされたアイオリアにひどく楽しげに告げた。
「お前のアドバイスは役に立ったようだぞ」
夜明けのように、目の前に広がる光。
この言葉を聞いたアイオリアは、自分の中の何かが音を立てて剥がれていったのを感じた。
何が剥がれていったのかはわからない。
けれども、脱皮して生まれ変わったような、新しい扉を開けたような、これまで目にしたことのない絶景を訪れた時のような、そんな清々しい新鮮さを、今のアイオリアは感じていた。
「なぁ、アルデバラン」
「何だ」
「妙な気持ちだな」
「何がだ」
「稽古をつけるのは」
「そうか」
アルデバランはそれ以上何も言わなかった。
アイオリアは自分の伝えたかったことを、もう学び取ったはずだから。