『掌に絆つないで』第二章
Act.13 [飛影] 2019.6.19更新
吹雪に覆われた国を後にして、飛影は行く当てもなくひたすら前へと進んだ。
自分の望みは母親をこの手で殺すことだと教えられ、一度は納めかけた剣を再び氷菜に向けたのは、ほんの少し前の出来事。
丘にさしかかったところで振り仰ぐと、氷河の国が雲の間から垣間見える。
それはいつかと同じ風景。復讐を約束した故郷に幻滅し、妹の存在だけに後ろ髪を引かれたあの日も、空に浮かぶ島はゆっくりと雲に隠されていった。
遅れて丘へと辿りついた氷菜が、飛影の視線の先を同じように追う。その瞳に感情は窺えず、ただ飛影と同じ紅蓮の瞳がゆらゆらと僅かに周囲の光を反射させていた。
いい目だ。
首筋に剣先を当てられた瞬間でさえ、彼女は瞳に曖昧な感情を映さなかった。まっすぐ見つめるそれに魅入られていく自分を否定できないまま、静かに納められた剣。その後、飛影は幽助や雪菜に何も告げず、氷菜をその場から連れ出したのだ。
「なぜ、オレを産んだ?」
おもむろに、飛影は口を開いた。唐突に問いかけられた氷菜は、驚いた様子で視線を送りながら、何度か瞬きを繰り返す。その後、「考えたこともなかったわ」と一言漏らした。
「なに…?」
「貴方を産むことに理由がいるなんて、考えたこともなかった」
異種族と交わり男児を産んだ氷女は、その直後死に至る。決して例外はないといわれていた言い伝え通り、氷菜は飛影を産んだ直後にこの世を去った。自分自身の未来を推測できる状況で、彼女は飛影を産むことに躊躇しなかったというのだろうか。
「命が惜しくなかったのか。オレを産めば自分が死ぬとわかっていたんだろう」
「私にしかできないことをして、その結果、待っていたのが自分の死だったというだけの話よ」
ほかの氷女には出来ず、氷菜にだけ出来たこと。それは異種族との交わり。そして、種族を脅かす火種を産み落とすことだ。
オレを産んで、氷河の国を滅ぼすことがこいつの望みだったのか。
雪菜の言葉が蘇る。
『心まで凍てつかせて永らえなければならない国なら、いっそ滅んでしまえばいい』
極寒の地において生まれた氷菜の持つ熱情が、その国自体を脅かす炎の化身なのだとしたら、それはまるで自分の存在そのものを示しているようだと飛影は思う。
やはりあの時、この手で滅ぼすべきだったのか?
氷菜は自分自身の命さえ、投げ捨てたのだ。氷に閉ざされた国の運命を、忌み子に託して。
雲に隠された氷河の国にもう一度視線を送ったが、その瞳が憎悪に満たされることはなかった。なんの感情も呼び起こさない流浪の城は、彼の前にはただの巨大な雲でしかなかった。
そんな彼を、氷菜は隣で静かに見つめている。
城を隠した巨大な雲は、魔界の風とともに、少しずつ二人から遠ざかっていった。
作品名:『掌に絆つないで』第二章 作家名:玲央_Reo