彼方から 第二部 第七話
触手を粉砕し、外へと出てきた彼が眼にした光景は、避難していた家の屋根の上に陣取った、細い毛の塊を体とする大きな――見上げるほどに大きな化物に捉えられ、高々と持ち上げられたノリコの姿だった。
「ノリコは我々が惑わされるのを止めた……」
ジェイダも外に出て皆の元に向かいながらそう呟く。
「奴が彼女だけを狙うのは、それが原因ではないか?」
「では、あれは奴が?」
父の推測に、ロンタルナがそう訊ね返す。
バーナダムがイラつき、周りの皆に当たり散らし、険悪な雰囲気に包まれたあの場面が、脳裏に蘇ってくる。
それを仕掛けた張本人が、この化物なのかと……
「他に考えようがないわ」
エイジュも外に出て、化物を見上げながらジェイダの考えに同意を示す。
「邪魔なノリコを取り除き、再び仕掛けようと考えているってのかい?」
「ちくしょうっ、舐めやがって!」
最後に出てきたガーヤとバラゴが、ジェイダの言葉を受けるようにそう続けている。
皆が化物に対峙している中、アゴルはジーナを自身の体で庇い、イザークに粉砕された化物の触手の一部をその手に取っていた。
「これはまるで……人の髪の毛のような……」
手に取った感触は、まさに髪の毛そのものだった。
サラサラと細く、指の隙間から流れ落ちてゆくその様も、人の髪の毛、そのものだった。
「もし、ノリコが落ちてきたら、受け止めてくれ」
「え」
イザークのセリフに、バーナダムが眼を見張る。
彼の返事を待たず、イザークは地面を蹴ると、そのまま家の屋根を踏み台にして、ノリコを捉えている化物の本体へと跳躍した。
「イザークッ!!」
その姿を見止め、ノリコが名を叫んでいる。
化物も、向かってくるイザークを阻止せんと、その触手を向けてきた。
体勢を整えるのが難しい空中で、イザークはいとも容易く襲ってきた触手を薙ぎ払うと、剣を下段に持ち直し、
「せいっ!!」
気合と共に、ノリコを捉えている化物の『腕』と思しき極太の触手の根元を、ただの一振りで断ち切っていた。
「きゃっ」
途端に、ノリコの体は巻き付いた化物の腕と共に落下を始める。
“ 手強イ ”
化物の体を足台にして蹴り、イザークは再び空中へと、身を躍らせようとしていた。
「わ……わ!」
体に巻き付いた化物と共に、ノリコが成す術もなく落ちてくる。
その様を見上げながら、あたふたとする面々。
「わーっ!!」
「きゃあっ」
バーナダム、コーリキ、バラゴが差し出した腕の中、ノリコは無事、受け止められていた。
「だ……大丈夫か?」
「う……うん、ありがと」
「うへぇ」
バーナダムの問い掛けに礼を返しながら、ノリコは体に巻き付く毛の化物の残骸を引き剥がそうとしている。
その残骸を頭から被る形になり、バラゴは気持ち悪そうに、正体のなくなったその毛を取り払っていた。
「イザークッ!!」
地面を蹴る足音と共に、エイジュの声が響く。
「イザークはっ!?」
その声にハッとなり、ノリコは化物の毛を取り除くのもそこそこに、彼に視線を向けた。
「このっ!!」
離れようとするイザークに追い縋り、髪の毛の化物は無数の触手を伸ばしてくる。
捉えられそうになる度に気を放ち触手を粉砕するものの、さすがに追いつかなくなってくる。
「うっ……」
とうとう背後から、彼は触手に体を捉えられてしまっていた。
「くっ!」
「イザークッ、動かないでっ! ちょっと、試してみるからっ」
エイジュがイザークと同じように、屋根を足場に更に跳躍しながら、左手をイザークに絡みついている化物の触手に向け、気を放つ。
ピキッ……と、甲高い音と共に、化物の触手が瞬時に凍ってゆく。
「やぁっ!!」
エイジュの気合と同時に、彼の動きを妨げていた触手が、氷と共に粉砕されてゆく。
「とりあえず、凍らせることも、粉砕することもできるわね……」
イザークが自由になったのを確かめ、エイジュは一旦、化物から離れようとする。
「済まんっ!」
彼も、空中で体勢を整えながら、エイジュと同じように一旦、離れようとしていた。
“ 手強イ ”
“ 手強イ ”
“ 二人 ”
離れようとする二人を、化物の触手が素早く追ってくる。
再び絡みつきそうになる幾つもの細い触手を、イザークは気を放って掴まれる前に粉砕させ、エイジュは自分の周りに薄く氷のバリアを張った。
バリアを包み込むように張り付いてくる無数の触手。
途端に触手は真白く凍り付き、そのまま本体の方へと、伝う様に凍り付いてゆく。
“ 手強イ ”
“ 危険 ”
“ 凍ル ”
“ 凍ル ”
“ 違ウ ”
“ 別ノ ”
“ 集中 ” “ 攻撃 ”
“ 集中攻撃 ”
エイジュに伸びた化物の触手が、自ら切れてゆく。
彼女は気を放ち、残った触手をバリアと共に粉砕した。
「チィッ……! 対応が早いわね」
地面に降り立ちながら舌打ちをするエイジュに、ガーヤが駆け寄り、
「あんた、凄いじゃないか! 自分の能力は通用しないとか言っていたけどさ」
そう言ってくる。
「けれど、直ぐに対応されてしまったわ――凍らせることが出来るのは分かったけれど、もう、二度と同じ手は使えない……」
そう言って見上げる先に、イザークの姿があった。
「イザークッ!!」
化物は、エイジュへの攻撃を止め、イザーク一人に、その的を絞っていた。
先ほどの攻撃とは比較にならないほどの速さで、化物がイザークに触手を伸ばしてくる。
気での破壊が、追いつかない。
「うわっ!!」
化物は、イザークを捉えると粉砕される前に一気に、自分の方へと引き込んでゆく。
「イザーク!!」
ノリコが、バラゴがガーヤが、彼の名を叫ぶ。
もう一度、エイジュが屋根を足場に跳躍し、イザークを捉えている触手を凍らせようと試みる。
「チィッ……これでは、彼まで凍らせてしまうわっ!」
しかし、化物の本体と彼の体が密着しすぎていて、化物だけを凍らせるのは難しかった。
その上、化物はエイジュを近寄らせまいと、イザークを飲み込みつつ、別の触手を盾のようにして向けてくる。
迂闊に、彼女に触れようとすれば凍らされることを、たった一度の攻撃で学習したのだろう、攻撃ではなく、ただ防ぐだけ――それしか、化物は彼女に対してしてこなくなった。
仮に、向けられた触手を凍らせたところで、さっきと同じように自ら切れてしまい、本体まで凍らせることは出来ない。
しかも、本体まで凍らせようとすれば、イザークが……
無暗に切り掛かるのも危険だ。
これだけ化物と彼の体が密着していては、誤って彼を傷つけてしまうかもしれない。
それどころか、自分も化物の触手の餌食になりかねない――エイジュは下がるしかなった。
「く……」
イザークも逃れようと必死に気を放つが、纏わり付く触手の数が多過ぎて粉砕し切れない。
数にものを言わせた力業で、化物はイザークの体を既に半分以上も飲み込んでいた。
「うあっ」
作品名:彼方から 第二部 第七話 作家名:自分らしく