彼方から 第二部 第七話
引き摺り込む力に抗い切れない。
――飲み込まれる!!
イザークは力を振り絞り、なんとか顔だけでも皆に向けると、
「みんな……ノリコを守ってくれ……っ!!」
それだけ叫び、化物の体の中へと飲み込まれていった。
「きゃあああっ!! イザークッ!!」
ノリコの悲痛な叫びが上がる。
「ノリコッ」
手を伸ばし、イザークを助けに行こうとする彼女を、バーナダムが必死に止めている。
「す……吸い込まれちまった」
バラゴも、成す術がなく、ただ黙って化物のやることを見ているしかない。
エイジュやイザークのように、軽々と跳躍など、普通の人間にはできないのだ。
「おい、見てみろ! あれ……」
ロンタルナが化物を指差し、皆の注意を向けさせる。
屋根の上、黒い髪の毛の化物の体が、不自然な塊を二つ、作り始めていた。
―― イザーク! イザークッ!! ――
胸が苦しい。
息が出来なくなりそうなほどに彼の身が案じられる。
怖かった……体が震えだしそうなほどに。
これまで、二人の旅の中で出会った化物は、そのほとんどが虫が巨大化したような、異形の姿形ではあったが、本能の赴くままに襲い掛かってくるようなものばかりだった。
だが、この化物は違う。
明確な意思を持ち、襲う相手を選んでいる。
強さも桁違いだ。
ノリコは祈るように手を握り合わせ、必死にイザークに呼び掛けていた。
―― ノリコ ――
頭の中に響く、イザークの声。
ノリコはハッとして、眼を見開いた。
―― おれは大丈夫だ ――
―― 押し潰すつもりのようだが なんとか持ちこたえている ――
彼の応答はしっかりとしていて、力強かった。
「イザーク……」
ノリコは思わず、安堵の声を漏らす。
その様子に、ガーヤとバーナダムが気付き、バーナダムは怪訝そうに首を傾げた。
「分離するぞっ!!」
バラゴが、緊張に満ちた声で皆にそう伝えてくる。
メリメリと音を立て、化物はその体を二つに分離させていた。
―― イザークッ! ――
皆の焦りの中、ノリコは彼に通信を送る。
―― 化物の一部が分かれて、こっちへ来る! ――
……と。
吸い込まれた化物の中、イザークはノリコの通信に眼を見開き、顔を強張らせていた。
*************
「アゴルッ!」
ジーナをしっかりと抱きかかえ、アゴルが松明を手に家から出てきた。
ガーヤが驚きと『何を?』と言う意味を込めて名を呼んでいる。
「暖炉から持ってきた火だっ」
アゴルはガーヤの意に応えるかのように、分離し、こちらに向かってくる化物を見据え、
「中にイザークがいる方には使えないが、こっちなら……」
そう言いながら松明を放り投げる。
「髪の毛の化物だったら、火に弱いはず……!」
彼は、イザークが粉砕した化物の一部を手に取ったその感触で、そう推察していた。
放り投げられた松明は、狙い違わず、分離した化物の体へとその火を落とした。
「点いたっ!」
松明の炎は確かに、化物の体に火を点けた。
だが、
――ぐるり
と、体を回転させ、化物はすぐに、火の点いた部分を雨でぐしゃぐしゃに濡れている地面に着け、松明ごとその火を消してしまっていた。
「――!!」
その機転の利いた行動に、アゴルは驚きを隠せない。
「あなたの推察通り、あの化物に火は有効だわっ!! すぐに消したのが、その証拠よ!」
皆を護るように前面に立ち、襲ってくる触手を切り払いながら、エイジュがそう叫ぶ。
「まだ、窓が一つ開いているっ! もう一度、家の中から火を……!」
バーナダムがそう言って、雨から避難するために入った家に、戻ろうとした時だった。
――バシッ!
「うわっ!」
いまだ屋根の上に陣取っているもう一方の化物が、触手を伸ばしバーナダムを弾き飛ばしていた。
弾き飛ばされた勢いで、バーナダムは傍に生えていた木の幹に、強かに背中を打ち付ける。
彼を弾き飛ばした触手はそのまま、窓にべったりと張り付いた。
「――っ! 塞がれたっ!!」
まるで、こちらの会話が分かっているかのような化物の行動に、戦慄が奔る。
「バーナダムッ!」
ノリコは思わず、痛みで一瞬動けずにいる彼を助けようと、皆から離れ走り寄った。
「ノリコッ! 駄目よっ!!」
「バカ、ノリコッ! みんなから離れるなっ!!」
彼女の行動に気づいたエイジュと、それを見ていたバーナダムから同時に声が上がる。
途端に、一人になった彼女を目掛け、化物の触手が伸びてきた。
痛みも忘れ、バーナダムは咄嗟にノリコを抱えると、襲い掛かってくる触手から間一髪、飛び退る。
「きゃ」
二人で地面に倒れこみ、ノリコは思わず小さく悲鳴を上げた。
「うっ!」
不意に走る背中の痛みに、バーナダムは眉を顰め、呻いている。
その声に、ノリコはハッとして彼を見やった。
「二人ともすぐに立ってっ! 離れるのよっ!!」
向きを変え、ノリコとバーナダムに襲い掛かろうとしている太い触手を薙ぎ払い、エイジュが化物と二人の間に入る。
「大丈夫かっ!? バーナダム!」
ロンタルナやコーリキ、バラゴも参戦し、触手から二人を守る為、剣を向けた。
「しっかりするんだっ」
剣を扱えない左大公が、ノリコと二人でバーナダムを支え、立たせている。
ガーヤも剣を抜き、二人が化物から離れるのを守っている。
アゴルも首にしっかりと抱きつくジーナを守り抱えながら、手を貸している。
その様子が、気配が、化物に捉われていても、イザークには手に取るように分かった。
――逃げろっ! 逃げてくれっ!!
――こいつには捕まるなっ!!
化物と対峙しながら、ノリコを護ってくれている皆の気配。
イザークは捕らえられた自身の身を歯痒く感じながら、祈るような気持ちでそう思っていた。
「二手に分かれよう!」
化物の猛攻を避けながら、アゴルが皆にそう提案する。
「一方はとにかく、ノリコを奴から守ってくれっ!」
彼の言葉に、自然と分かれてゆく面々。
「残りは火を作るんだっ! 外は雨で濡れている! どれでもいい、家の中を探せ! 奴を防げるだけの火を、作れるものを探すんだっ!」
ジーナを抱えたアゴルはそのまま、火を作る方へと回る。
「バーナダム、お前は火の方へ回れ」
ノリコを守る方へと来た彼に、ロンタルナがそう言ってくる。
「しかし」
「怪我をしている身に、奴との戦いは危険だ! エイジュさんも、アゴルたちの方へ回ってもらえませんか」
「……大丈夫なのですか?」
ノリコの隣で、眉を顰めるエイジュに、
「父は、剣が扱えません。それに、バーナダムは怪我人だし、アゴルはジーナを抱えていて戦えない……コーリキ一人では心許ないですから」
ロンタルナの真剣な眼差しを受け、エイジュはノリコを護る方として残ることになる、ガーヤ、バラゴを見回す。
「絶対大丈夫とは言えねぇが、ちゃんとノリコは守ってみせるぜ」
とバラゴがニッと笑って見せる。
「あたしも、元灰鳥の戦士、あんたほどじゃないが、腕に覚えはある方さ」
ガーヤもそう言ってくれる。
作品名:彼方から 第二部 第七話 作家名:自分らしく