彼方から 第二部 第七話
『あの子は傷を負っても
すぐに消えるのよ』
『化物よ!!』
体が、心が軋む。
どんなに人間だと訴えても、誰も認めてはくれない。
天上鬼になると言われて、受け入れられるはずなどない。
そんなものに、なりたくなどない。
けれど、持ちえた能力は、体は、『お前は人ではない』のだと、そう言ってくる。
『死んでおしまい イザーク』
何度も何度も、頭の中で繰り返されるフレーズ。
蘇る光景。
ナイフを振り上げて突き刺そうとしてくる母親の姿が、どうしても振り払えない。
――消し去ることが出来ない。
『こいつ 化物だ』
カルコの町、盗賊の一人が言った言葉が聞こえる。
『あいつには近寄るな』
心無い、周囲の言葉。
子供の頃から言われ続けた言葉の数々が、蘇っては消え、恐れ、慄く人々の姿と冷たい眼が、いつまでも残る。
『この傷は治りかけている』
医師の言ったセリフが、人ではないのだと、重ねて思い知らせてくる。
あれは……カルコの町――
発作を起こして倒れた時、盗賊に襲われ、辛うじて撃退できた、あの時の……
あの時、の……
暗く、重く、沈み切ろうとしていた心の中……
小さく、一つだけ見える、明るい光。
あの時は、『独り』ではなかった。
『よかったぁ』
暖かい笑顔が、見えた。
ノリコのホッとした、安堵した笑み。
刺されたところを見ていたのに、治りかけている傷を見たのに、彼女はそう言って、嬉しそうに笑顔をくれた……
喜んでくれた……
常人離れした力を、能力を何度も見せているのに、彼女からは一言も、そう、一度も、怖がる言葉も態度も、聞いたことも見たこともなかった。
これまでの彼女との日々が思い起こされる。
心が、光に満たされていくように感じる。
育ててくれた両親にすら、この力も能力も、『自分』の存在すらも、認めてもらえなかったのに。
ノリコは、彼女は、何も問わず、無条件で認めてくれている――そんな気がした。
『イザーク……』
笑顔で、名前を呼んでくれる彼女の姿が、明るく、導くように心を照らしてくれる。
――ノリコ……
今、この時、イザークの心を支えてくれているのは、彼女の存在。
ノリコがこれまで、何度も見せてくれた笑顔と、掛けてくれた言葉……
「う……う」
化物が、ざわつき始める。
確かに萎えかけていたイザークの闘志が、そして力が、戻り始めている。
「くおぉ……」
握りしめた拳に、その体に、これまでにない力が満ちている。
めきめきと音を立てて、化物が強固に巻き付かせた触手が千切れてゆく。
闇の意識がざわつき、焦っている。
更に圧力をかけようと、イザークに力を集中させようとする。
「かーーーっ!!」
イザークは、新たに体内に満ちた力を放出するように、一気に爆発させていた。
*************
「ノリコ!」
「ノリコ、どこだ!?」
「ノリコ! いたら返事しろっ!!」
すぐ眼の前さえ、霧で何があるのか確認すら出来ない中、バラゴとガーヤ、ロンタルナが、ノリコの名前を何度も呼びながら、彼女の行方を捜している。
「確か、こっちの方へ滑ってったはずなんだけど……」
ガーヤそう呟きながら、辺りを見回す。
ノリコが滑り落ちたと思われる坂を、三人は慎重に下って来ていた。
「…………」
「なぜ、返事がないんだ?」
どんなに呼んでも、彼女の返事は返ってこない。
仮に怪我をしていて動けないとしても、意識があれば、声が届いていれば、返事ぐらい、してくれるはずなのに……
何も返って来ないことが、不安でならない。
最悪の事態が脳裏を過りそうになるのを、三人は無意識に避けている。
この霧で、姿が確認できないだけであって欲しい。
返事がないのは、ただ、意識を失っているだけであって欲しいと――
諦めずに探せば必ず見つかるのだと、そう……
*************
ノリコ……
誰かが呼んでいる。
目を覚まして、早く
坂を滑り落ち、そのまま気を失っているノリコに、誰かが呼びかけ、その意識を覚まさせようとしている。
未だ、夢現のような状態のノリコの意識に、『何か』の音が、地面を伝わり、響く。
ノリコ!!
「ん……」
――何、この音
誰かの強い呼びかけに、ノリコの意識がやっと、『何か』の音を掴んだ。
目を覚まして! アレが来る!!
ノリコに呼び掛け続けている誰かが、もう一度、強く、警告を促してきた。
その警告に、彼女の瞼が開く。
不気味な物音に、一気に体を起こした。
≪や……やだっ、どこ? どっちから来るの? 何も見えないよ≫
その不気味な物音の主が、あの化物だということぐらい、すぐに見当がついた。
だが、相変わらずの深い霧の中、見回しても眼に入るのは、傍に生えている木々の枝葉くらいなもの。
焦り、辺りを見回しながら、ノリコは無意識に向こうの言葉で喋ってしまっていた。
こっちへおいで
優しい、しっかりとした、けれど、か細い声。
ノリコは、ゆっくりとその声の方を振り向いた。
ぼくが見える方に ついておいで
淡い、光が見える。
薄く、ゆっくりと輪郭を浮かび上がらせてゆく。
アレは 森の住人のなれの果て……
薄い輪郭は、次第にはっきりとその姿を成してゆく。
助けてあげて ノリコ
――あの晩の、幽霊の男の子……!
大雨の晩、ノリコが若者に追われ、アゴルに助けてもらったあの日の夜――『救って』と呟き光と共に消えた、あの少年だった。
*************
その発端は なんだったのか
それすら思い出せない程 些細なこと
深い霧の中、その姿は弱くもはっきりと、ノリコの眼に見えている。
一人と一人のいがみ合いが
やがて 三人四人と 周りを巻き込んでいく
少年はゆっくりと、ノリコが自分を見失わないように移動し、導いてゆく。
皆が 自己主張を繰り返し
相手の言うことに 耳を貸さず
そして語ってゆく、この森で起こったことを。
それが アイツを呼んだ
惨劇の始まりだった
この森で暮らしていた住人たちに、何が起こったのかを。
『あいつらはおれ達と意見が違う
だから敵だ!』
『ちくしょう
奴ら 好き勝手しやがって
みんな 邪魔してやれ』
怒りと……
『奴らの仕業だ
なんて酷いことをするんだ』
『あの子とは一緒に遊んじゃダメ
あそこの親は悪い奴だからね』
憎しみと……
『いじめられて
事故に遭ったのよ』
悲しみと……
『仕返しだ 思い知らせてやれ
悪いのは あっちだ』
そんなもので 心をいっぱいにして
『ふざけるな
そもそもの原因は そっちじゃないか』
作品名:彼方から 第二部 第七話 作家名:自分らしく