彼方から 第二部 第七話
松明を手に、いつの間にか一人になってしまっていたバーナダムがそう言ってくる。
「向こうの方で、バーナダムとアゴルの声が」
「行ってみましょう、お父さん」
二人の声に、左大公と息子のコーリキが反応する。
「おい! しっかりしろ! どこをやられた!」
「イザーク!?」
倒れているイザークに、何度も呼び掛けるアゴル。
バーナダムも驚きながら、声を掛ける。
「アゴル! バーナダム!」
二人の名を呼びながら、左大公とコーリキも寄ってくる。
「みんな……そこかい!?」
次いで、ガーヤの声も聴こえてきた。
「あの声は」
「ガーヤ達だ!!」
振り返る左大公とコーリキ、背後の霧の中、数人の人影が見え始める。
「ああ、やっぱりっ! あたし達、いつの間にか集落に戻ってきてる!」
「な……なんてこったぁ」
ガーヤの言葉に、バラゴが頭を抱えこんでゆく。
「え? どうしたんだ? あれ? 兄さん、ノリコは?」
「それが……」
奇しくも、イザークが化物を破壊したことで、力の影響がなくなったのか、濃い霧の中、声を頼りに皆が集まることが出来た……出来たのだが……
コーリキの問い掛けに、ロンタルナはノリコを見失った経緯を、皆に話していた。
「……この濃い霧では、捜しようがない。それに、エイジュも、まだ……」
イザークの傍らにしゃがみ込んだまま、アゴルが眉を顰め、そう呟く。
「エイジュがいたら、おれの時みたいに、イザークのことも診てもらえるだろうか」
「エイジュが? どうしてさ」
バーナダムの言葉にガーヤがそう反応する。
「少しだが癒しの力があるそうだ、バーナダムの背中の痛みを、その力で和らげてくれた」
「……癒しの力」
アゴルの説明に、皆の視線がバーナダムに注がれる。
「気休め程度だって言ってたけど、今も痛くないぞ」
とバーナダム、自分の力でもないのに、何故か踏ん反り返って自慢げに言ってくる。
「これからどうする」
そんな彼を半ば無視して、バラゴが皆に問い掛けた。
皆、互いに顔を見合わせてはいるが、これといった考えは浮かばないようだ。
「……こんな状態のイザークを、放って置く訳にはいかん」
「確かに……」
イザークを見やるアゴルの言葉に、ガーヤが応える。
「せめて、エイジュが居てくれれば……」
弱気な呟きが、アゴルの口から出た時だった。
「誰か……あたしを呼んだかしら?」
枝葉が擦れ合う音と共に、近場の森の中から、エイジュの声が聴こえてきた。
「エイジュッ!? 無事だったのか!」
思わず、アゴルは立ち上がりそう叫んでいた。
「悪いのだけれど、声を掛けていてくれる? この霧で、方向が掴めなくて……」
彼女の言葉に、皆が『こっちだ』、『気を付けて』と声を掛けてくれる。
やがて、霧の中にシルエットが浮かび始め、エイジュがホッとしたように笑顔を見せながら歩み寄ってきた。
「エイジュ……」
その姿に皆一瞬、言葉を失う。
激しい戦いがあったことを物語るかのように、彼女の深い紺色をした男物の上着は泥で汚れ、所々、裾も破れている。
緩いウェーブの掛かった長い黒髪も、所々、縺れていた。
「良かった、みんな無事……」
そこまで言い掛けてイザークが倒れていることに気づく。
「どうしたのっ!?」
剣を鞘に仕舞いながら、エイジュは急いで彼の傍らへとしゃがみ込んだ。
苦悶の表情で倒れこんでいるイザーク。
エイジュは軽く揺すってみたが、反応はなかった。
「分からん、突然倒れて、それきり動かない」
アゴルがもう一度、エイジュの横にしゃがみ込みながら、見たままを説明してくれる。
「……そう、確か、少し前に激しい爆発音があったわよね? あの後かしら」
「そうだ、近くに居たおれに化物の破片が当たってな、音を頼りに行ってみたら、イザークがいた」
「彼の、力ね……あの爆発音のお陰で、ここまで戻って来られたのだけれど……」
エイジュはそう言いながら、右手をイザークの体に翳すと、瞼を閉じ、意識を集中させ始めた。
仄青い光が、明滅しながら彼の体全体を包み込んでゆく。
やや暫くそうしていた後、
「大丈夫、大丈夫よ、恐らく一時的なものよ、力の使い過ぎね。このままそっとしておけば、いずれ目を覚ますわ」
にっこりと微笑んで皆にそう言うと立ち上がり、ふと気が付いたように周りを見回した。
「……ノリコは?」
彼女の言葉に、皆眉を曇らせ、互いに顔を見合わせるしかなかった。
*************
自身の身に起きようとしていた変異を押さえつける為、意識を全て『体内』へと向けていたイザーク。
変異は治まりつつあるのか、彼の意識が戻って来ようとしていた。
――みんなの話し声がする
――この人数は……全員、集まってきたのか?
「あっ、目を開けた!」
「おいっ、大丈夫か!?」
「いったい、どうしたんだ!」
覚めたばかりの意識の中、矢継ぎ早に出される言葉と問い掛けに、
「大丈夫……治まってきた……」
イザークはそう言いながら、倒れたままの状態で回りを見上げていた。
横たわる自分を囲み、皆、心配そうに顔を覗き込んでくれている。
その面々の顔を見回し、イザークは足りないことに気づく。
「……? ノリコは? それにエイジュも……」
「それが……」
と呟き、どう言ったものかと言葉を出しあぐねるように、バラゴは皆に眼を向けた。
「あたしはここよ、今、彼女の気を捜しているわ」
皆から少し離れたところで、エイジュが森に右手を向け、集中するために瞼を閉じている。
「ノリコと、逸れたのか?」
イザークが体を起こしながら、誰に問うでもなく訊ねている。
「この濃い霧のせいでね……」
そう言いながら、ガーヤがイザークを手助けしてやっている。
「いつの間にか森に追い込まれていてな、坂になっているのに気付かなくてよ、ノリコがその坂を滑り落ちちまったんだ」
ガーヤの手助けで体を起こすイザークに、バラゴがそう説明してくる。
「おれ達もその坂を下りて捜したんだが……」
ロンタルナが済まなそうに言ってくる。
エイジュに、任せてくれと言った手前もあるのだろう。
表情が優れない。
「ノリコ……」
――あいつは今、一人なのか
無意識に、イザークの拳が握られてゆく。
「ノリコは生きているわよ」
エイジュの言葉に、皆ハッとして振り向いた。
あの化物はノリコを狙っていた、その可能性を誰もが考え、口に出せずにいたのだ。
「分かるのか」
「生きているのか死んでいるのかぐらいはね、ただ、居場所の特定が出来ないのよ……化物の結界の中にいるからだと思うのだけれど、大まかな方向しか掴めないわ」
「どっちだ」
端的なイザークの問いに、エイジュは黙ってその方向に体を向ける。
イザークも同じように顔を向け、
「ノリコ……」
険しい表情を見せながらそう、呟いた。
*************
――ここはどこだろう
――真っ暗だ……
視界の利かない暗闇の中、ノリコは独り、立ち尽くしていた。
どこを見ているの分からない、焦点の合わない瞳を彷徨わせ、ハッキリとしない思考を漂わせている。
作品名:彼方から 第二部 第七話 作家名:自分らしく