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木吉ケリー
木吉ケリー
novelistID. 47276
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≪1話≫グリム・アベンジャーズ エイジ・オブ・イソップ

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「娘から何を聞いたか知らないが、俺は農民のあるべき生き方を娘たちに教えているだけだ。真面目に働いて冬に備えないと、飢えて苦しむのは娘たちだ。お前みたいに仕事もしないで一日中バイオリンを弾いて遊んでるような奴は、子どもたちを堕落させる疫病神だ。俺たちには歌も音楽も必要ない。次に娘たちと会ってるところを見つけたら、こいつでお前の頭もバイオリンも粉々にしてやるからな!」
 アントンはクワを振り上げて一万を脅かしました。想像以上の頑固者で、一万はこの男には何を言っても無駄だと悟りました。いっそ家から弓矢を持ってきてこの男を殺し、農場の皆を自由にしてやろうかとも考えましたが、アントニアから父を奪うことにもなるのでそれだけは許されません。親を失う悲しみは誰よりもよく知っています。
 一万はすっかり意気消沈し、とぼとぼと家に帰っていきました。アントニアとの愛に溢れたひと時さえ奪われ、どうやって生きて行けばいいのか分からなくなりました。また孤独な狩人に戻ってしまうのかと思うと、森の奥に置き去りにされた子どものような気分になってしまいます。
 しかし悪いことは重なるもので、家に帰った一万は異変に気づきます。誰もいないはずの家から、大勢の男たちの笑い声が聞こえるのです。足音を立てずに忍び寄り、そっと窓から様子を窺います。すると家の中では数人の兵士たちがテーブルを囲み、冬に備えて貯めていた燻製肉を勝手に食べて酒盛りをしていたのでした。
 アントンに追い返され落胆していた一万は、ついに我慢できなくなり怒りを爆発させます。相手が剣を持った兵士であることもお構いなしに、裏から薪を拾ってくると家の中に殴り込みました。
 兜を脱いで酒盛りに興じていたのが兵士たちの運の尽きでした。呑気に酒を呷っていた兵士の頭を薪で力一杯殴りつけます。2人目は斧で木を打つように顔面に薪を叩きつけ、前歯と鼻を潰してやりました。
 慌てた兵士たちは肉を咥えたまま真っ青になって壁際まで後退りします。一万は皆殺しにして熊の餌にしてやろうと息を荒げましたが、部屋の隅に座っていた1人に気づかず、後ろから殴られて床に組み伏せられてしまいました。
 その後はもう酷い有様です。寄ってたかって袋叩きに遭い、その名の通り一万発は殴られ蹴られてようやく兵士たちも手を止めました。一万の顔は誰だか分からなくなるくらい腫れ上がり、肌の色が分からなくなるくらい血塗れになってしまいました。
「おい小僧、美味い肉と酒と、この家に免じて命だけは許してやる。今日からこの家は、王様の狩猟小屋として使わせてもらう。この森の動物もすべて王様のものだ。勝手に狩りをした者は死刑になるから、お前も狩人を辞めて他の仕事を探すんだな」
 何という理不尽な話でしょう。この国が生まれる前からずっと、森は誰のものでもありませんでした。水も薪も食べ物も、あらゆる森の恵みを人と動物で分け合ってきたのです。それを王様の娯楽のために独占するなんて、国を治める者が思いついていいことではありません。
「さあ出て行け出て行け。俺たちも色々と忙しいんだ」
「待ってくれ、冬の間は狩りはできないだろ。せめて春まで待ってくれ」
 こんな季節に放り出されては、飢え死にする前に凍え死んでしまいます。一万は息も絶え絶えに懇願しましたが、兵士たちは嘲笑って相手にしません。
「そんなことは分かってる。だから春になってすぐ王様が狩りをできるよう、冬の間に色々と準備をしておかないといけないんだ。大人しくしていれば森番として雇ってやろうと思ったが、お前みたいな奴を置いておくわけにはいかないからな」
 兵士たちは有無を言わさず一万を家の外に引きずり出しました。最早抵抗する力も残されていません。
「おい、こいつバイオリンなんか持ってたぞ」
 兵士の1人が床に落ちたバイオリンを拾いました。暖炉で燃やそうか、町で売って酒に変えようかと、勝手に相談を始めます。
「可哀想だ。それくらい返してやれ」
 一番偉そうな兵士がバイオリンを取ると、死んだように這いつくばる一万にポーンと投げました。雪がクッションになり、幸いにもバイオリンには傷がつきませんでした。
「二度とこの辺りをうろつくな。次に見つけたら本当に命は無いぞ。そいつを弾いて物乞いでもするんだな。町まで辿り着ければの話だが」
 兵士たちは下品な声で大笑いすると、家の中に戻ってまた酒盛りを始めてしまいました。一万は決して兵士が情けをかけてくれたわけではないとすぐに気づきました。この身体では森から抜け出せるかどうかも分かりません。自分たちの手で処刑して死体を処理するのが面倒なので、勝手に力尽きたところを冬眠に備える熊にでも掃除させようというのでしょう。一思いに首を切り落とすより、ずっと残酷で身勝手な仕打ちです。
 一万は腫れ上がった顔や体をしばらく雪で冷やし、バイオリンを掴んでフラフラと立ち上がると家から離れ始めました。可哀そうな一万は、最早家と呼べる場所を失ってしまったのです。
 痛みで意識を失いそうになりながらも、狩りで鍛えた一万の足は森の中を歩き続けました。腫れ上がった瞼で前がよく見えず、自分がどこに向かっているのかも定かではありません。このまま川に落ちて溺れてしまうか、谷底に落ちてぐしゃぐしゃになって死んでしまうのも悪くないと思えてきました。
 日が沈みかけた頃、一万は不意に美味しそうな匂いがしてきたのに気づきました。そこはもう森の端っこで、向こうに広い農場が見えました。一万の足は無意識の内にアントニアの農場まで歩いてきたのでした。
 きっとアントニアが助けてくれる。一万はようやく希望の明かりを見つけ、残された力の限りに農場まで足を引きずっていきます。アントニアなら絶対に自分を見捨てることはないはずです。流石のアントンもこの有様を見れば、同情して農場に住まわせてくれることでしょう。ちょっと段取りは変わりましたが、これでアントニアと一緒に暮らせるなら怪我の功名と思えそうです。
 助けを求めようとしても、喉に血が張り付いて声が出ませんでした。どうにかこうにか農場の建物まで辿り着くと、一万は痛みと寒さで動かない腕の代わりに頭でドアをノックしました。少しするとドアが内側に開き、一万はそのまま部屋の中に倒れ込んでしまいました。
 賑やかに夕食をとっていた人々が、一万が倒れた音に気づいて静まり返ります。ドアを開けたおばさんも、何が倒れてきたのかすぐには理解できなかったようで目を丸くしていました。
「一万!」
 アントニアの悲鳴が聞こえました。こんな姿になっても自分に気づいてくれるなんて、やっぱりアントニアは自分を愛してくれているのだと確信しました。
 アントニアは一万を抱き起し、変わり果てた顔を見て息を呑みました。一万を哀れむ言葉の代わりにぽろぽろと涙を流し、服の袖で血を拭おうとします。一万を慕う子どもたちも心配して駆け寄り、水を飲ませたり身体を擦って温めたりしてあげました。
「やめろ、アントニア!」
 熊が吠えたような恐ろしい怒鳴り声が響きました。一番奥の席からアントンが立ち上がり、どすんどすんと床を踏み鳴らしながら近づいてきます。手にはナイフが握られていました。