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木吉ケリー
木吉ケリー
novelistID. 47276
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≪1話≫グリム・アベンジャーズ エイジ・オブ・イソップ

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 キリギリスは春に生まれて夏頃に成虫になり、繁殖を終えると冬を越すことなく死んでしまいます。もしこの世界に冬がなければ、もっと長生きできるのかもしれません。キリギリスも自分と同じ、この世界の理不尽の犠牲者なのだと哀れに思えてきました。
 それと同時に、こんな風に死んでたまるかという、どす黒い衝動が渦巻き始めました。死ぬことが怖いというより、こんな理不尽な理由で命を奪われるのが我慢できなかったのです。腐っても狩人ですから、襲ってくる猛獣に一矢報いることもせず黙って食われるのはプライドが許しません。キリギリスのように黙って死を受け入れるくらいなら、一片の慈悲も情けも無い、食うか食われるかというこの世界の理不尽にとことんまで付き合ってやろうと決意しました。
 一万はキリギリスの死骸を掴むと、頭から齧りついてバリバリと貪りました。固い外皮と足のトゲが噛む度に口の中に刺さりましたが、すでに殴られて傷だらけなので痛みも感じません。あっという間に飲み込んでしまうと、一万は力が湧いてくるのを感じ、身体を起こして雪の上に座りました。
 それから一万は震える手でバイオリンを弾き始めました。何だか胸がぞわぞわするような不気味な調べが夜の闇に吸い込まれていきます。するとどうしたことでしょう。草むらから何十匹、何百匹ものキリギリスが一万の方へぴょんぴょん跳ねて来るではありませんか。キリギリスたちはこの理不尽な世界への復讐(avenge)を願うように、次々に一万の前にその身を投げ出します。そうして山積みになったキリギリスの死骸を、一万は両手で鷲掴みにして一心不乱に食べ始めました。一万の顔は口から溢れる涎と血と、キリギリスたちの体液ですっかりぐちゃぐちゃです。獲物を貪る狼でさえ、こんなに汚くおぞましい顔にはならないでしょう。
 山盛りのキリギリスをぺろりと平らげた一万は、すっかり立ち上がれるほどに力を取り戻していました。それどころか兵士たちに叩きのめされる前よりもずっと身体に力が漲っているようにさえ感じます。今なら家に帰って兵士たちを皆殺しにできそうな、そんな無敵の高揚感に満たされていました。
 ですが突然体中を耐え難い痒みに襲われ、一万は顔や腕をかきむしってのたうち回りました。かいてもかいても痒みは収まりません。というより、全身の皮膚がぶよぶよと浮き上がっていて、本当にかゆい皮膚の内側を上手くかくことができないのです。それどころかかきむしる指先自体がぶよぶよしていて、ちっとも力を込めてかきむしることができません。
 苛立った一万は、自分の手に噛みついてぶよぶよの皮膚を食い千切りました。そうしてまず手の皮を剥ぎ、服を脱いで裸になってから体中の皮膚を引き剥がしにかかります。まるで服をもう一枚脱ぐように、全身の皮がずるりと剥がれ落ちました。そうです。一万はキリギリスのように脱皮をしてしまったのです。
 一万は剥がれ落ちた自分の皮を見て、何だか生まれ変わったような気分になりました。身体を見下ろすと、腕も胸板も見違えるように逞しくなっていました。体中に力が漲っていたのは錯覚ではなかったのです。キリギリスたちが捧げてくれた命が、世界に虐げられる者たちの怒りが、一万に大きな力を与えたのでした。
 服を着てバイオリンを拾い上げると、バイオリンを掴んだ手から不思議な力を感じました。バイオリンが青白い光を帯びているのです。月明かりを浴びてもこんな風に照り返すことはありません。バイオリンもまた、一万と同じように生まれ変わったのだと気づきました。
 どんな音がするのかと試しにドの音を弾いてみると、不思議なことが起こりました。バイオリンから煙のように漂ってきた青白い光が一万の身体を包み、兵士たちに痛めつけられた身体の傷がみるみる内に癒されていったのです。
 次にレの音を弾いてみると、今度は渦巻状になっているバイオリンの先端のところに光が灯りました。ゆっくり長く弾くと穏やかな光が松明のように周囲を照らし、速く強く弾くと目の前に太陽が現れたかと思うほど鋭い閃光が弾け、目が眩んでしばらく何も見えなくなってしまいました。
 どうやらドレミの音によって様々な魔法が使えるようになったようです。ドは怪我を治すDoctor(医者)のド、レは眩しい光を放つRay(光)のレといったところでしょうか。
 他にどんな魔法が使えるのだろうかと、一万は初めてバイオリンを手にした時のような無邪気な好奇心に胸を弾ませました。レの音で頭上の木の枝に明かりを灯してから、一音ずつ魔法の効果を確かめていきます。どの音でどんな魔法が起きるかは、これからの冒険のお楽しみです。
 一万がすべての音を試してバイオリンを使いこなせるようになった時、突然背後から手を叩く音が聞こえてきました。一万はすかさず振り向くとレの音を弾き、拍手がした方に光を飛ばします。光に照らされた森の中では、いつの間にかロングコートの男が木の幹にもたれかかり、一万に向かってやる気の無い拍手を送っていました。
 男の姿を見た途端、一万の全身の毛がチリチリと逆立ちました。一目見てこの世ならざる存在だと分かったからです。どんな獣も一万の耳と鼻を欺いて忍び寄ることなどできないというのに、男は一体いつから一万のことを覗き見ていたのでしょうか。よく見ると男の周りの雪には足跡が1つもありません。猿のように木を伝ってきたか、魔法で瞬間移動して現れたとしか考えられませんでした。
 ですが男は魔法使いというより博打打ちか詐欺師のような胡散臭い見た目をしていました。歳は40か50くらいでしょか。髪は短く刈り込んでいますが雑草のようにあちこちに跳ね、髭は筆でなぞったように細く口の周りを縁取り、清潔感よりも軽薄な印象を受けます。
 三日月を引っ繰り返したようにニッカリと笑う口からは、黄ばんでガタガタになった歯が覗いて見えます。落ち窪んだ目には不気味なほど愛嬌があり、フクロウのようにクリクリと人懐っこい光を宿していました。頬が痩せこけ骨が浮き出ているせいで、余計に目の大きさが際立っているようでした。
 灰色の髪と髭に覆われた男の薄ら笑いは、夜の闇と純白の雪景色の狭間でぼんやりと掴みどころのない輪郭を浮かべています。果たして見た目通りの邪悪な存在なのか、はたまた善良な人間を愛する妖精の世を忍ぶ仮の姿なのか、一万は白黒はっきりしない男の正体を量りかねていました。
 油断無くバイオリンを構える一万に向かって、男は芝居がかった仕草で両腕を広げてみせました。
「ハッピーバースデー!バイオリン弾きさん!」