楽しい羊一家 その1
「いけませんねぇ、貴鬼。飛んできた苺がぶつかったくらいで壊れてしまうようなものを、クリスタルウォールと呼ぶのは。シオン様に叱られますよ」
掃き出し窓から響く、ムウの呆れたような声。
ただその表情は、苺は『飛んで来た』のではなく、ムウが苺を『投げつけた』のだと、雄弁に語っていた。
貴鬼は何かを言い返したかったが、何も言葉が出てこない。
いかなる攻撃も跳ね返すはずのクリスタルウォールが、ムウの投げた苺程度で、冬の早朝、水たまりの上に出来た薄氷のように粉々になってしまったのは事実なので。
「実力差がある場合は、容易に砕けるが」
シオンもいつの間にやら掃き出し窓から貴鬼を眺めている。
「ムウのクリスタルウォールも私に一瞬で破砕された故、師に砕かれること自体は、あまり気に病むでない」
そう語るシオンの目は、フォローしつつも据わっていたが。
貴鬼は半べそをかきながら、
「……外で修業してきます」
と、宮の入り口へひどく肩を落としながら歩いていった。その背中を見送りながらシオンは小さくため息をつくと、
「なかなか上手くいかぬものだな」
「ええ。今の貴鬼のクリスタルウォールでは、子供の雪合戦か、パイ投げパーティーくらいでしか役に立ちませんよ」
なかなか辛辣なことを言う。ただその辛辣さは、自分自身の指導力のなさにも向けられているようにも、シオンには思われた。
「少し修業の方向を変えてみるとよいやも知れぬな。今はどのような指導をしておる?」
貴鬼の修行中、シオンは教皇の間で執務に励んでいるので、どのようなメニューをこなしているのかあまり知らない。
ムウは一通り修業内容を説明すると、
「何か別のメニューを増やした方がよろしいでしょうか?」
「集中力を高める訓練を取り入れてみるか?先程の彼奴のクリスタルウォールを見たが、場所により強度にムラがあるように思えたぞ。今少し気を入れぬと……な」
師の言葉を受けるムウの表情は、辛そうに歪んでいた。
そんなムウの肩をポンと叩く、シオンの手。
「集中力というものは……人に指導されるだけでは身に付かぬ。故に、お前が斯様な顔をする必要はない」
「シオン様……」
この年になって師に慰められるとは。まったく、情けなくなる。
「ムウよ、夕餉の後片付けは終わったのであろうか?」
カラカラと掃き出し窓を閉めながら、ムウに訊ねるシオン。ムウは小さく「ええ」と返事をすると、やや小首を傾げながら、
「やってなかったら、シオン様が後片付けをしてくださるのですか?」
「……違うわ。ならば手が空いておろう?外で貴鬼が修業しておる故、指導してこぬか」
今度は促すかのように、ムウの背を叩く。
思わず、その顔を見つめるムウ。視線の先のシオンは、少々困ったように微笑んでいる。
ムウは頷くと、玄関に回る。
今貴鬼が履いていってしまったので、つっかけがないのだ。
その背中を見送ったシオンはクキクキッと首を回すと、ソファに腰掛け新聞を読み出す。
紙面をめくりつつ耳を峙てていると、ムウが厳しい口調で貴鬼に色々告げているのが聞こえる。
『もっと集中なさい』
『小宇宙を瞬時に固める!』
「……ふむ」
小さく息を吐くシオン。
『あの様子では、夜中になっても終わりそうにないな』
そう予想した教皇は、壁掛け時計で時間を確認する。
現在7時30分。
「……10時には貴鬼を床に就かせねばならぬな」
取り敢えずそれまでは放っておくかと、シオンは再び新聞をめくった。
いつも通りの白羊宮の夜である。
作品名:楽しい羊一家 その1 作家名:あまみ