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楽しい羊一家 その1

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子供が寝た後で


突然だが、白羊宮の主は甘いものが大好きだ。
幼少の頃を食べ物の少ないジャミールで過ごしたためか、その反動が今になって噴き出ているようだ。
そんな白羊宮の冷凍室の中には、常にアイスやプリンが貯蔵されているのだが……。
急な来客があると、ストックがなくなってしまったりする。

「……おや、困りましたねぇ」
その日ムウは、冷蔵庫を眺めながらため息をついた。
先日多量に買っておいたアイスが、残り一個になっていたのだ。
安くて美味しいシャトレーゼでいつもまとめ買いしているのだが、老師がやってくると勝手に冷蔵庫を開けて食べ物を漁るので、買い置きが知らぬ間になくなっていることがよくあるのである。
アイスのストックがまだあるから今日のおやつは大丈夫だろうと高をくくっていたムウであったが、忘れていた。
午前中、老師が白羊宮を訪れていたことを。
『ムウ、茶請けをもらうぞ』
勝手知ったる他人の家といった様子で、台所の中に入る老師。
ムウはテラスで洗濯物を干していたので、
『どうぞお召し上がりください』
と、月並みなことしか言わなかったのだが。
……これが、マズかった。
老師は暑かったからと、冷蔵庫の中に入っていた5個のアイスのうち4個を平らげてしまった。
で、食べたゴミがテーブルの上に散らばっていれば、ムウもアイスの残数を把握できたかも知れないが、こういう時に限って、老師はきちんとゴミを片付けるのだ。
「失敗しましたねぇ」
ドアの開け放しを注意する電子音が鳴ったのでムウは渋々閉めたが、その表情は冴えない。
さて、どうしたものか。
考えている間に、シオンと買い物兼散歩に出ていた貴鬼が戻ってくる。
今日はシオンは代休で在宅していたので、ムウが作業している間、貴鬼を連れてアテネ市内に出ていた。
「ムウよ、戻ったぞ」
「ムウ様!今帰りました」
二人揃って玄関を開ける様は、まるで本当の親子のようだ。
3人で暮らし始める直前、自分の師が自分の弟子と上手くいくかムウはひどく心配であったが、生活が始まった途端、それは杞憂に終わった。
貴鬼はとてもシオンに懐いているし、シオンもとても貴鬼を可愛がっている。
ムウが呆れて何も言えなくなるくらいに。
シオンは紙袋を抱えていたが、それをムウには渡さずに持ったまま二階に上がる。
「シオン様?」
「私の冷蔵庫に入れるもの故、構うでない」
「そうですか」
口では頷きつつも、内心首を傾げるムウ。
自分の師が自室の冷蔵庫でいつも冷やすのは、自家製の麦茶と、これまた自家製のヨーグルトくらいなのだ。
店で買ってくるようなものを、冷蔵庫にしまうような人ではない。
「ムウ様、今日のおやつは何ですか?」
大きな目をキラキラさせて訊ねる貴鬼。
ムウは弟子には分からぬ程度にため息をつくと、手を洗ってくるように命じた。そして。
「今日のおやつはアイスですよ」
「はーい」
喜び勇んで、洗面所に向かう弟子を見送ったムウは、冷蔵庫の中から人参のしっぽを取り出した。
自分のおやつは、これで済ませるつもりなのだ。

その日の夕食は、特筆するほどのない内容だった。
ブリの照り焼き、キャベツの和え物、残り物のウィンナー、ワカメと豆腐のみそ汁、タケノコご飯だ。
今日は同僚が食事をせびりにこなかったので、人数分しか作っていない。
「珍しいですねぇ。老師が夕食時にうちに来ないだなんて」
ブリを器用に箸で解しながら、ムウが呟く。シオンは頷くと、
「アルデバランと食事に出ておるよ。アルデバランが童虎と話したいそうなのでな」
「へぇー。老師とアルデバランって、どんな話をするんだろなぁー」
「本人に後ほど訊いてみよ。お替わり」
茶碗をムウに向ける。ムウは師の手からそれを受け取ると、炊飯釜の中に入っていたタケノコご飯をたっぷり盛りつけてやった。
「シオン様は、混ぜご飯お好きですよねぇ」
ぺたぺたとしゃもじでご飯をドーム状にしながら、ムウは笑う。シオンは真顔で、
「悪いか?」
「いえ?沢山食べて頂けるのは、作った人間としてとても嬉しいことです」
にっこりと笑ってみせる。
まともにやり合っても、この師匠には到底勝てない。
「ムウよ」
茶碗を受け取りつつ、シオンが告げる。
「眠る前に私の部屋へ来い。話がある」
『一体何でしょうか?』
師に呼びつけられるような心当たりはない。
極秘任務の線も考えないではなかったが、白羊宮の家事を行う人間が居なくなると困るのはシオンなので、それは多分ない。
『本当に何でしょうねぇ?』
心の中で首を傾げつつ、ムウはタケノコを口に運んだ。
今日は混ぜご飯にしてみたが、明日は筑前煮にしてみようと思う。

一階の寝室で、貴鬼がサファリパークに連れていってもらう夢を見ている頃。
寝間着姿のムウは、二階のシオンの部屋へ足を向けていた。
「シオン様、ムウです」
「入れ」
ドアを開けると、シオンは寝台にうつ伏せになって本を読んでいた。
この師は、部屋に居る時は読書をしているか、仕事をしているかのどちらかである。
「失礼します」
丁寧にドアを閉め、ベッドの横に寄る。
シオンはベッドから降りると布団の縁を叩き、
「ここに座るがよい」
「はい」
師の命令に素直に従うムウ。
シオンはそのムウの目元を、自分の左手で覆う。
「シオン様?」
突然の目隠しに、訝しそうに声を顰めるムウ。
小宇宙で察するに、シオンが冷蔵庫からテレキネシスで何かを取り出しているのはわかったが。
その『何か』がわからない。
シオンは何を冷蔵庫から取り出したというのか。
ムウが考えを巡らせ始めたその時。

ムウの唇に、冷たくて、そして、甘いものが触れた。

「?」
この感触は……。
心当たりのある感覚に、反射的に口を開ける。
すると口の中に、冷たくて、甘くて、美味しい、ムウの大好きなものが押し込まれた。
咀嚼して飲み込むムウ。
冷たい喉越しが、心地よい。
「美味いか?」
目隠しを外さぬまま、シオンが問う。
ムウは顔中を綻ばせて、
「とても美味しいです」
「そうか」
と、ようやく手を外すシオン。彼のもう片方の手には、一口サイズのアイスボールの容器があった。
「シオン様?」
それに気付いたムウ。にわかには信じられないものを見たので、大きな目を瞬きさせている。
甘いもの嫌いの自分の師が、何故こんなものを持っているのか。
「シオン様、それ、どうなさったのですか?」
「昼に貴鬼と散歩に出た際に買うてきた」
「ああ」
ようやくムウは、シオンが私室に抱えていった紙袋の中身を知る。
あの時シオン様は、アイスを持っていらっしゃったのですね。
しかしだ、甘いもの嫌いを公言しているシオンが、なにゆえこんな甘ったるいアイスを買ってきたのだろうか。
それを問われたシオンは、家族にのみ見せる柔和で優しい笑みを浮かべる。
子供の頃からムウは、師のその表情が好きだった。
厳格な統治者と呼ばれているが、自分には厳しくもとても優しい師匠だった。
「今日、童虎が買い置きの氷菓子を喰い尽くしていったであろう?」
「……ええ」
そう答えるムウの口元は、心無しか引き攣っていた。
楽しみにしていたアイスは、ほとんどが老師の腹の中に消えた。
作品名:楽しい羊一家 その1 作家名:あまみ