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楽しい羊一家 その1

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親バカの言い分


風呂場から、きゃはははと甲高い子供の笑い声が聞こえる。貴鬼の声だ。
『シオン様ー、水鉄砲、水鉄砲!!』
『あまりはしゃぐでない!きちんと肩まで浸からぬか!!』
すぐにシオンの小言。
だが、その後も貴鬼のはしゃぎ声が止まないところを見ると、教皇の言葉は全く効果がなかったらしい。
「……まったく、何をやられているのだ。教皇と貴鬼は!」
風呂場の騒ぎが居間にまで聞こえてきたため、ソファに腰掛けてタイムズを読んでいたサガは、描いたように整った眉を顰めた。
何故双子座の聖闘士のサガが白羊宮の居間で新聞なんぞ読んでいるのか。
その日の白羊宮の夕食は肉じゃがなのだが、少し多く作ってしまったので、丁度双子宮に帰る際に白羊宮の前を通ったサガを呼び止めたというわけだ。
「シオン様は貴鬼とお風呂に入るのが大好きなのですよ」
台所のテーブルを拭いていたムウが、そう答える。
白羊宮の台所はダイニングキッチンになっているので、食事は普段皆そちらで食べる。
サガは他人にはわからない程度にため息をつくと、
「一応、仮にも、聖域の教皇なのだぞ。あれでは孫馬鹿の老人ではないか」
そこまで言ってしまって大丈夫だろうか?謀反の疑いをかけられないだろうか?と、サガは自問自答しないでもなかったが、ムウの返答は非常にあっさりしていた。
「ええ、その通りですが、何か?」
「お前、自分の師だろう……」
呆れたようにこめかみを右手で押さえるサガ。
どうもこの師弟、どこか、ズレている。
普通の一般的な師弟関係とは、明らかに違っている。
ムウは、自分の師だから申し上げるのですよと前置きした後、
「私が何度も何度も、貴鬼を甘やかさないで下さいと口を酸っぱくして申し上げているのに、全く直して下さらないのです。
孫弟子が可愛いのはわかりますが、それにも限度があります」
温和なムウにしては珍しく、プリプリ怒っている様子だ。
それを見て、ようやくサガは理解した。この白羊宮の住民たちは、『師弟』ではなく『親子』なのだと。
彼らの繋がりは、血の繋がった家族そのものであると。
今のムウの姿は、孫を甘やかさないでくれと自分の親に訴える息子の姿に酷似している。
家族だからこそ、師弟では言えないようなことも言うし、平気で相手に甘えたりもする。
この三人は、紛れもなく家族なのだ。
……サガには、わかる。
自分にも家族が居るから。たった一人の弟が居るから。
白羊宮の三人の関係は、自分とカノンの関係と通じるものがあるのだ。
「……教皇はお前のことも甘やかしているだろう」
「そうですか?」
みそ汁に散らすネギを刻むムウ。その手付きは、ベテラン主夫顔負けだ。
サガはそれを見る度に、ムウの本来の姿を忘れそうになる。
「十分甘やかしていると思うがな。お前以外の黄金聖闘士は、皆そう思っているぞ」
「そうでしょうか?」
「お前だけだぞ。教皇の間に提出する書類を自分で書かんのは」
「ご飯を食べながらシオン様と話していますと、寝る前にはシオン様が書類にして下さいますからねぇ。シオン様は仕事がお早い」
「それを甘やかしているというのだ!」
ああ、頭が痛い。
ムウはそのサガの様子を不思議そうに眺めながら、
「ミロも、書類はカミュに見てもらっていますよ」
「あいつの場合、一応自分で作ってからカミュに添削してもらっているぞ」
「ああ、そうなんですか」
あまり興味がないといった口調である。
これは何を言っても無駄だなと悟ったサガは、再び新聞に目を通す。
と、シオンと貴鬼が風呂から戻ってきた。
シオンは風呂上がりは、大抵日本の浴衣を着用している。
薄水色の浴衣は、シオンのどこかエキゾチックな容姿によく似合った。
冷蔵庫から麦茶を取り出しグラスに注ぐと、シオンはそのグラスをつかんで居間のソファに座る。
そして、小難しい顔で新聞を読んでいるサガに、揶揄するような口調で訊ねる。
「サガよ、私がムウを甘やかしていると申すか?」
風呂場でも二人の会話を聞けたようだ。サガは相変わらず眉間に皺を寄せたまま、
「事実でしょう?」
「……ムウに書類を任せてもよいが、後に苦労するのはお前たちだぞ?
彼奴は幼い頃にジャミールに隠遁したおかげで、ギリシャ語の会話はできるが、読み書きは達者ではあらぬのだ」
「………………」
思わず目を見開くサガ。
それは、知らなかった。というか、気付かなかった。
「まぁ、下手糞なギリシャ語の書類をお前たちに読ませるのは忍びないと思った故、私が代筆していたのだがな」
ニヤリと笑うシオン。
「私のそれを『甘やかし』と申すのであれば、ムウに自分で書かせることにするが、幼児の日記並みの報告書が提出されることを覚悟せよ。よいな」
「………………」
何も言えなくなるサガ。
ムウはギリシャ語を流暢に喋る。今現在も、サガと何ら不自由なく喋っているではないか。
しかし、ムウが読み書きをしている場面には、一度も遭遇したことがない。
一応市街に買い物に出たりはしているので、日常生活で困らない程度の読解力はあるようなのだが、ライティングとなると、また話は違ってくる。
会話と作文は、また別物なのだから。
「……だが、教皇の弟子がギリシャ語の作文が苦手というのは、どうなんだ?」
そう言いたいサガであるが、それを口に出した途端、白羊宮のスーパーハウスキーパーに、
「これからギリシャ語の読み書きを習う!というところで、師をどこかの誰かさんに殺され、しかもギリシャ語を全く必要としない場所に引っ込んでしまいましたからねぇ。会話だけでも覚えていたのは、奇跡ですよ」
と、アルカイックスマイル(しかし目は笑っていない)を浮かべられるような予感がするので、言うに言えなかった。
「教皇」
「なんだ」
「ムウにギリシャ語の作文を練習させるおつもりは?」
ややげんなりとしたサガが問うと、シオンはちらりとムウを見やった後、
「特に困っておることもあらぬ故、現在のところは、ない」
「本当に困っていないのですか?」
再度サガが追求する。するとシオンは、台所で料理中のムウに声をかける。
「ムウよ、今現在日常生活で困っておることはあるか?」
「そうですねぇ……」
鍋の中に溶き卵を流し込みながら、ムウは考える。
今日のみそ汁はかき玉汁だ。
「これといって思いつきませんね。生活費は足りてますし。ああ、強いて言うなら、時々アイオロスが余計なことをして、私の仕事を増やすことでしょうか?」
「もっと他のことはないのか、ムウ」
サガが苦虫を噛んでいる。彼に促されてムウは再度考えるが、出た答えが、
「シオン様が時々貴鬼を甘やかすことでしょうか。立派な聖闘士はおろか、立派な大人にすらなれなくなってしまうので、それはやめて欲しいのですが……」
「甘やかしておるか?」
「自覚ないのですか、シオン様は」
呆れたように声を強張らせるムウ。
まったく、白羊宮から一歩出れば泣く子も黙る聖域の教皇が、家に帰れば孫バカのじいさん(中身のみ)だ。
その、どこの三流ホームドラマだ!と一蹴したくなるようなやり取りに痺れを切らしたサガは、持っていたTime紙をパン!と手で叩くと、ムウに何度目かの質問を投げかけた。
作品名:楽しい羊一家 その1 作家名:あまみ