楽しい羊一家 その1
明日は遊ぼう
本を読みつつ、貴鬼はとある事に気が付いた。
ソファーの上のシオンの様子がおかしい。
「?」
映画に見入っているのか身動き一つしないと思っていたが、スースーと静かな寝息が聞こえるではないか。
「シオン様?」
本を伏せ、この優しいおじいちゃんの名を呼ぶが、返事が全くない。
帰ってくるのは寝息のみだ。
「……んもー!」
呆れたように貴鬼は頬を膨らませると、TVのリモコンを手に取る。
「TV見ていないんじゃ、消しちゃいますからね!」
と、リモコンのスイッチを押してテレビを消す、が。
途端に。
「……何故、消す」
どこかくぐもった声が、居間に響く。
いつものことだ。
眠っているから見ていないと思ってテレビを消すと、そのタイミングで起き出してくる。
以前ムウからシオンがテレビを付けて眠る理由を聞いていた貴鬼は、
映画の音声をBGMに再びスースーと寝息を立てる優しいおじいちゃんに、そっとタオルケットをかけてやる。
「シオン様、最近お疲れのご様子でしたからねぇ」
台所からやってきたムウが、師の寝顔をのぞいてそう呟く。
ここのところシオンは定時に仕事が終わらず、白羊宮に戻っても自分の部屋で風呂敷残業を片付けていた。
「まったく、財団の中には人材がおらぬのか……」
こんなぼやきを発していたことから察するに、またグラード財団絡みの仕事なのだろう。
立場が立場だけに、アテナに頼まれれば、シオンはイヤとは言えない。
いくら聖域を統治する教皇とはいえ、アテナの前では部下の一人でしかないのだから。
「ねぇ、ムウ様。シオン様、お仕事終わったのでしょうか?」
貴鬼に問われたムウは、少し困ったような笑顔を浮かべて小さく頷く。
「多分。終わらなければ、また二階で作業をなさっているでしょうし。映画を見ながらこうしてうたた寝をなさっているのですから、片付いたのでしょう」
「そうですか、やった!」
師の言葉を聞き、パッと貴鬼の表情が明るくなる。
ここ数日シオンと遊べなくて、この子羊はとても寂しかったのだ。
よかった、明日からは何の気兼ね無しに遊んでもらえそうだ。
沢山話を聞いてもらおう。沢山を話をしてもらおう。
一緒にお風呂に入ろう。背中の流しっこをしよう。
そして、許してもらえるのなら、シオンのベッドで一緒に眠ろう。
「……こら、貴鬼」
ムウは色々と計画を立てる弟子の心を読んだのか、右手の甲で貴鬼の頭を小突く。
「あまりシオン様にワガママを言って困らせるのではありませんよ。お疲れなのですから」
「ブーッ!!」
拗ねたように唇を尖らせる貴鬼。
シオンが忙しくて疲れているのはわかっている。でも、それでも。
貴鬼は若くて綺麗で優しいこのおじいちゃんが大好きで、沢山遊んでもらいたいのだ。
「あまりうるさいと、シオン様が眠れませんねぇ」
貴鬼の手を引き、ムウは居間から出る。その際、居間の灯りを消し、ロールカーテンを下ろすのを忘れない。
なお白羊宮のロールカーテンは、もう少し暑くなると水色に金魚柄の暖簾に変わる。
「ねぇ、ムウ様」
「何ですか」
寝室でパジャマに着替える弟子の問いかけを受けたムウは、綺麗な色合いの瞳を貴鬼に向ける。
ムウは自分のベッドの上で英字新聞を読んでいる最中だった。
ギリシャ語の読み書きが得意ではないので、ムウが新聞や本を読む場合はもっぱら英語で書かれているものになる。
貴鬼はちょっと上目遣いで、師の整った顔を眺める。
「ねぇ、ムウ様」
「だから、何ですか?」
語尾に少々イラッとしたニュアンスを感じ取った貴鬼は、今度は勿体振らずに、
「明日、シオン様がオイラと遊んでくれるって言ったら、甘えてもいいですか?」
大きく見開かれるムウの目。だが、すぐにもの柔らかく笑うと、
「シオン様がそうおっしゃったのなら、いくらでも甘えなさい」
「やった!」
自分の布団に、コテンと横になる貴鬼。毛布を抱きしめて、楽しそうに嬉しそうに、ベッドの上でゴロゴロと転がる。
「オイラ、シオン様にいーっぱい話したい事があるんですよぉー!」
その姿は、遠足前日の子供そのものである。
ムウは呆れたような、微笑ましいような、そのどちらにもとれる表情を口元に漉くと、ナイトテーブルの上に新聞を置いて、灯りを消した。
「え?ムウ様、もう寝ちゃうんですか?」
闇の中に響く、貴鬼の驚いたような声。いきなり電気を消す事ないだろうに!
ムウはさっさと毛布をかぶると、
「私も眠いのです。早く寝なさい」
「……はーい」
師がそう言う以上、貴鬼に反論する術はない。抱きかかえていた毛布を広げ、そっと目を閉じる。
白羊宮に三人分の寝息が響くのは、それから程なくである。
作品名:楽しい羊一家 その1 作家名:あまみ