振り返れば奴がいる 前編
居間をのぞくと、珍しいお客がお茶を飲んでいた。
「おや、お帰りなさい。学校はどうでしたか?」
用いる技のごとく、水晶を思わせるような美しく穏やかな声と口調だ。
牡羊座の黄金聖闘士、ムウである。
「あれ、ムウ。あんたがこっちに来るなんて珍しいなぁ」
星矢が鞄をつかんだままムウの向かいのソファーに腰掛けると、ムウは紅茶のカップに口を付けつつ、
「今日はシオン様がアテナに書類を提出する日なのですよ。そこで私と貴鬼に、折角なので一緒に来ないかと」
「……シオンらしいよね」
後からやってきた瞬も、星矢の隣に座ってムウの話を聴いている。
と、あることに気付く星矢。
シオンは今沙織と打ち合わせ中なのだろうが、いつもムウの側にくっついている貴鬼がいない。
どこに行ったのだろうか?
それを尋ねられたムウは、ああと小さく声を上げた後、
「貴方たちよりも早く帰ってきた邪武と一緒にコンビニに行きましたよ。日本のコンビニは楽しいですね。色々と美味しいものを売っていますし」
ムウは幼少期をろくに食べ物のないジャミールで過ごしたせいか、成長し生活が安定するようになったら、その反動か……すさまじい食い道楽になってしまった。
料理の腕も人からお金をもらっても文句を言われないレベルのため、白羊宮の食卓には常に他の黄金聖闘士の姿があった。
なお、ムウが東京・城戸邸に滞在する際は、ムウがおさんどんを担当してくれるので、星矢や瞬はそれが嬉しかったりする。
それはともかく。
瞬はムウの顔を見たら先程の事を思い出したのか、星矢を突っつく。
「どうしたんだよ、瞬」
「ねぇ、星矢。さっきの話をムウにも相談したらどうかな?」
友人の言葉に、星矢の目が丸くなる。
ムウならば、それなりの答えを出してくれそうではある。
……ただそれが、星矢の望むものとは限らないが。
「どうしました?二人とも」
ティーポットからお替わりを注いでいたムウは、二人の様子が気にかかったのか柔和な様子で訊ねる。
瞬は隣に目配せした後、実は……と、帰り道に星矢と語った事をムウに話した。
紅茶の湯気を顎に当てながら、それを黙って聴いているムウ。
彼は人の話を適当に聴くような真似は滅多にしない。
(ただし、デスマスク、ミロ、そしてアイオリアに関してはその限りではない)
星矢は少々フクザツな目付きで瞬を見つめている。
瞬が自分のためにムウに説明しているだけに止めるに止められず、かといって自分の事を他人が他人に説明するという少々気恥ずかしいシチュエーションがかなりしんどく、星矢としてはどういう顔をしてソファーに座っていればいいのかわからなかった。
「……と、こういうわけなのです。ムウ」
「そうですか。よくわかりました」
長い睫毛を伏せ、やや視線を落とすムウ。
何かしら考え事をしている様子だ。
「ダイダロスの件は、シオン様にお話すればすぐにでもどうにかなると思いますよ。シオン様の事です。ダイダロスが日本に渡航できるよう、色々と取りはからうでしょうね」
あの方は見た目よりも情に厚い方ですから。
そう口にするムウの顔は、こころなしか微笑んでいた。
「ムウって、シオンの事を本当に尊敬していますよね」
瞬にそう言われたムウは、いつもの優雅な笑みを浮かべると、
「大恩ある師ですからね」
……端から見ると、師弟というよりも親子なのだが。
「それより、星矢の参観をお願いする相手ですが」
ようやく話が本題に入る。
「魔鈴では少々問題があるのでしたら、我々黄金聖闘士の誰かにお願いしてみてはどうでしょうか?」
「黄金聖闘士に?」
突拍子もない提案に、思わずを声を上げる星矢。その発想はなかった。
「黄金聖闘士の中には、貴方の兄分のような方もいますからね。アイオロス、サガ、アルデバラン、アイオリアの面々ならば、快く引き受けてくれそうな気がするのですけれど」
「あんたは頼まれてくれないのか?ムウ」
「私は貴方が考えているよりも、ずっと忙しいのですよ」
星矢の言葉をあっさり躱すムウ。
ムウとまともに言い合える相手は、黄金聖闘士の中でも限られているのだ。
星矢がまともに相手になるわけがない。
不服そうに黙り込む星矢。瞬はそれを見て苦笑いするしかない。
……まったく、ムウに変なことを言うから。
そう言いたげな目付きである。
作品名:振り返れば奴がいる 前編 作家名:あまみ