振り返れば奴がいる 前編
「あ、星矢、瞬!帰ってたの?」
背後から元気な声がかかる。貴鬼が帰ってきたらしい。
「お、帰ってきたか」
元気のいい白羊宮のちびっ子の姿を確認した星矢は、顔をほころばせる。
貴鬼はしょっちゅう城戸邸に泊まりに来ているので、星矢達にとっては弟のような存在だった。
貴鬼はコンビニの袋にたっぷりと入ったお菓子を保護者の目の前に掲げると、
「ムウ様、こんなにいっぱい買ってきちゃいました♪」
嬉しそうに、心底嬉しそうに笑う。
ムウは観察するように袋をじっと見つめた後、いつもの冷静な声で淡々と、
「よくそんなにお金がありましたね」
「シオン様から10ユーロお小遣い貰いました」
正直に答える貴鬼。この師に隠し事をしても、全くいい事はない。むしろ悪い事の方が多いかも知れない。
それ故、貴鬼はムウには、いや、ムウだけではなくシオンにも、隠し事はしない。
弟子の返答を聞いたムウは肩でため息をつくと、
「全くシオン様は……貴鬼に余分にお小遣いを与えないで下さいと再三口を酸っぱくして申し上げているのに、また……」
呆れと諦めが、程よくミックスされた表情である。
……どこの一般家庭の話だ。
激しくそう突っ込みたかったが、突っ込んだら10倍にしてやり返されるような気がして、星矢は口をモゴモゴさせる事しか出来なかった。
「どうしたの、星矢。変な顔しちゃって」
貴鬼に指摘された星矢は、ああ~と間延びした声を上げると、
「俺んところ、今度授業参観あるんだけど、誰に俺の授業を見に来てもらおうかって話」
「瞬は誰に来てもらうの?」
「ダイダロス先生に頼めたらいいなって思ってるよ」
「ふーん……」
大きな目を瞬きさせる貴鬼。しばし考えた後に彼が出した答えは、
「アイオロスとかどう?」
ついつい顔を見合わせる瞬と星矢。やはりムウと貴鬼は親子……もとい、師弟だ。
すると不思議に乗り気になってくるもので、
「そうだな、アイオロスに頼んでみるか!」
「あの人は人に頼られるのが大好きですから、彼も嬉しいと思いますよ」
穏やかに笑うムウ。
そう、アイオロスはお兄ちゃん体質なので、年下から頼られるのがとても好きなのだ。
星矢に「父兄として授業参観に出席して欲しい」と頼まれれば、それはそれは極上の笑顔を見せてくれるに違いない。
「随分と盛り上がっておるな。何があった」
法衣姿のシオンが居間に姿を見せる。沙織の用事が済んだようだ。
ムウは慣れたもので、ここまでの経緯を手短に、かつ正確に師に報告する。
「……ふむ。ダイダロスの件はあいわかった。私が事務手続きを済ませておく故、瞬よ、お前は師に連絡を取るがよい」
「は、はい!」
瞬の息が、弾んでいる。
一方星矢だが。
「じゃぁ、シオン。俺もアイオロスに……」
「ああ、すまぬが、星矢よ。アイオロスを日本に派遣するわけにはいかぬのだ」
多少申し訳なさそうなシオンの声。
その日はアイオロスに任務が入っているので、どうしても授業参観には参加できないのだそうだ。
「私の伴で南米に赴かねばならぬのでな」
「そうかー……」
そうなると、教皇の庶務をサガがこなさなくてはならないため、サガの参観も不可能である。
アルデバランにお願いしようかと思ったが。
「アルデバランは、ちょっと無理だと思うよ、星矢」
瞬が酷く言い辛そうに告げる。
「何でだよ、瞬」
「だって……アルデバランじゃ、体大きくて教室に入らないよ!」
「………………」
そうなのである。
聖闘士一の剛を誇るアルデバランは、2メートルを超す長身をそれに見合った筋肉が覆っている。
とてもではないが、教室のドアから出入りできない。
「多分アルデバランじゃ……ドアとか壊しちゃうと思うんだ。意図的じゃないだろうけど」
そう予測する瞬の表情は暗い。
アルデバランは人間的にとてもビューティフルな男だ。
星矢の授業参観に出てくれと頼まれたら、きっと二つ返事でOKするに違いない。
そして星矢が授業で発言する様を、慈しみにあふれた目で見守るに違いない。
……しかし、日本の住宅事情が見事にそれを阻止した。
「天井に頭ぶつけるかもな、アルデバラン」
「蛍光灯を割りそうだよね」
星矢も釣られたのか暗くなってしまう。
「……となると」
ムウも何故か視線を下げる。
「残るは一人しかいませんねぇ」
「そうだな」
弟子の言葉に頷くシオン。
黄金聖闘士には2名ほど海外出張を任せられないものがいるが、今回はその1名に……日本にまで赴いてもらわねばなるまい。
「星矢、もしもの時は色々面倒を見てやってはくれぬか?彼奴はギリシャ語以外話せないのでな」
「あのさ、シオン」
脱力したような目で、見た目の年齢のギャップがありすぎる教皇を眺める星矢。
「俺思うんだけど、黄金聖闘士は最低でも2カ国語は出来た方がいいんじゃねぇか?」
それを受けたシオンは、
「奇遇だな。私もそう思っておったところだ」
口の端を曲げて苦笑いする。
アイオリアとミロの給金が皆に比べて低い理由を、シオンもわかっているのだ。
「この時世ではギリシャ語しか出来ぬのでは少々不便なのでな。海外出張も頼めぬ」
「あんたも苦労してんだな、シオン」
「お、孺子。お前もわかるようになったな」
教皇とは思えぬ白い手で、シオンは星矢の頭をぐりぐりと撫でた。
その手付きが自分のイメージする父親のものにかなり近くて、星矢はほんの少し淋しかった。
作品名:振り返れば奴がいる 前編 作家名:あまみ