振り返れば奴がいる 後編
「アイオリア!」
昇降口の下駄箱の前で、硬い表情で所在無さげに立ちすくんでいる黄金聖闘士の名を、星矢は大声で叫んだ。
アイオリアの精悍な顔に、ようやく笑みが浮かぶ。
「星矢、久しぶりだな」
「来てくれたんだな、アイオリア。ありがとうな」
照れくさそうに礼を述べた星矢。親しい先輩とのんびりと再会を楽しみたいところだが。
「アイオリア、あんた何してんだよ。早く中入れよ」
「いや、日本では靴を脱いで建物の中に入るということなのだが、どうすればいいのだろうと思ってな」
普通、住宅では玄関で靴を脱ぎ、そこでスリッパに履き替えて中に入るが、学校とは少々勝手が違う。
星矢は呆れたように髪を手でくしゃくしゃにすると、
「なぁ、スリッパ持ってきたか?」
「いや?用意してあると聞いたのでな」
アイオリアは真顔だ。星矢の眉間に皺が寄る。
「誰に」
「ムウに」
謀られたな、アイオリア。
口の中でそう呟いた星矢は、ちょっと待ってろとアイオリアを昇降口に残すと、自分の教室からサンダルを持ってきた。
パソコン教室と図書室はサンダルで入ることになっているので、この学校の生徒は必ずサンダルを持っているのである。
「アイオリア、これ履けよ」
と、Lサイズのサンダルを渡す。このサイズなら、アイオリアも履けるはずだ。
「ああ、すまない。ありがとう、星矢」
にっこりと微笑んでみせると、通りすがりの女子から黄色い声が上がる。
何も知らない人間が見れば、アイオリアはハンサムな外国人なのだ。
「……確かに、イケメンだもんな」
男らしい端正なアイオリアの顔を眺めながら、嘆息する星矢。
そうなのだ。
アイオリアは普通にしていれば、カッコいいのだ。
背だって高いし、武闘派聖闘士だけあって、体つきもいい。
けれども多少世の常識に疎いところがあるので、星矢としては気が気でならないのである。
『外国人ってことで、多少大目に見てもらえるところもあるだろうけどさぁ』
それでも、フォローしかねる大ボケをかまさないとは、決して言い切れない。
「なぁ、アイオリア」
「何だ?」
並んで教室まで歩く。
精悍でハンサムな容姿の外国人の姿は、生徒のみならず、他の父兄や教師の目すらも引いた。
「城戸、その外人、何なんだよ」
クラスメイトに耳元でこそっと尋ねられるが、星矢は少し困ったような笑みで、
「俺の兄貴分」
とだけ答えた。
星矢は決して嘘は言っていない。一方アイオリアは、教室内をきょろきょろと見回している。
初めて訪れた日本の学校に、興味津々の様子だった。
「随分と天井が低いな」
「十二宮とかと比べるなよ」
「この狭い室内に40人も入るのか?」
「どこの国もそんなものだろ」
「教皇の間の執務室は……」
「……あそこと比べないでくれ」
話していくうちに段々頭が痛くなる星矢。
なお、この会話はギリシャ語なので、クラスメイト達が珍獣でも見るような目付きで二人を眺めている。
「……城戸が外国語喋ってるぞ」
「でもあれ、英語じゃないよね」
外国人の話す言葉=英語と思っていた中学生には、やや早口のギリシャ語の応酬は、物珍しい以外のなにものでもなかった。
「今日はこの教室の後ろで、他の保護者の人と大人しく俺の授業を見ててくれよ?」
念を押すようにアイオリアに語りかけると、星矢は自分の席に戻ろうとした。
しかし、アイオリアに呼び止められる。
「何だよ、アイオリア」
つい言葉がとげとげしくなる。アイオリアはそれには構わず、
「先程ダイダロスの小宇宙を感じたが、ダイダロスもここに来ているのか?」
「流石アイオリアだな。分かったんだ」
「ああ。建物に入る前から小宇宙を感じていた」
「瞬の授業を見に来てんだよ。隣のクラスにいるぜ」
休み時間を一緒に過ごすことが多いが、星矢と瞬は実は別のクラスである。
アイオリアは頷くと、
「わかった。勉強頑張れよ」
と、星矢の背中を指先で軽く叩いた。
星矢はわずかに顔を赤くすると、わずかに歩調を早めて席に着いた。
「星矢、すげーな。何語で喋ってたんだ?」
座ると、隣の席の友人に興奮した様子で話しかけられる。
教科書とノートを開いた星矢は、1、2回瞬きした後、
「ギリシャ語だよ。あの人ギリシャ人だから」
「ギリシャねぇ」
首をひねる友人。
「なんでギリシャ人がお前の参観に来てんだ?」
「俺がガキの頃、色々あって沙織さんにギリシャに飛ばされたんだよ。あっちに6~7年いたかな。アイオリアはその時、色々俺の面倒を見てくれた兄貴みたいな人なんだ」
「へぇ……」
思わず目を丸くして声をあげるクラスメイト。
星矢は自分の過去を周りにほとんど話さなかったので、クラスメイトは初めて明かされた事実にかなり驚いた様子だった。
「お前って、かなり苦労してたんだな」
「それなりにな」
幼い自分が聖闘士になるためにどんな訓練を受けていたか。
知ったらこのクラスメイトは、白目を剥いて倒れてしまうに違いない。
聖闘士の修業は、それほど過酷なものなのだ。
「よく生きて帰ってこれたよなぁ」
百人いた孤児仲間は、十人しか残らなかった。
青銅聖衣を得ることができた、あの十人。
そのうち三人が今この学校に通っているなんて、何だか妙な気分だ。
と、少々物思いに耽っていると、始業のベルが鳴った。
廊下にいた保護者が、続々と教室に入ってくる。
化粧と香水と男性向け整髪料と、防虫剤のにおい。
それらが混ざって、『授業参観のあのにおい』を醸し出していた。
「すげーにおいだよな、コレ」
背後から漂ってくるにおいに、鼻の頭に皺を寄せる星矢。窓を開けていないと、頭が痛くなりそうだ。
『この中で授業やるのかよ……』
鼻の奥が痛くなってきたところで、教室の前側のドアがガラリとレトロな音を立てて開く。
教師が入室してきたのだ。
「きりーつ」
今日の日直が、事務的に号令をかける。
これから、授業が始まる。
作品名:振り返れば奴がいる 後編 作家名:あまみ