振り返れば奴がいる 後編
☆星矢のクラス。授業は英語
「I played tennis in the park yesterday」
英語の例文をクラス全員で読み上げるいつもの授業。
星矢のクラスの英語教師は、今日が参観だろうが何だろうが、特別なことは何もしなかった。
『いつもどんな風に授業を受けているのかを見てもらうのだから、俺はいつも通りにやる』
が、この英語教師のポリシーらしい。
けれども。
保護者の中に、年若いハンサムな外国人がいるのを目にして、教師の表情が変わった。
「おや、外国の方が来ているなんてな。このクラスにはハーフとかいないはずだろ?」
クラスの生徒は皆、純日本人顔だ。
どう見ても、あの若い外国人と血が繋がっているようには見えない。
『何故来ているのだろう?』
教師は首を傾げつつ、アイオリアに英語で話しかけた。
……星矢は思わず失笑していたが。
「ミスター」
アイオリアはその呼びかけが自分に向けられていることに気付く。
相手の目は明らかに自分を映していた。
わずかに視線を上げ、教師と顔を合わせるアイオリア。教師は英語で続けた。
「貴方はどの生徒の保護者の方ですか?」
早口の英語。まるで映画スターのような滑らかな喋りに、生徒たちからおお~っと声が上がった。
しかし、当のアイオリアは目をぱちくりさせた後は、無反応だ。
……彼は英語がわからないのである。
ノーリアクションに困る教師。想定外の反応だ。
彼は生徒たちに『英語は世界共通語だ』と教えている。世界中どこに行っても、英語ができれば何とかなると教えている。
……それなのに、これはどういうことだ!?
微妙にパニックを起こしかけている教師に、星矢が申し訳なさそうに話しかける。
「……あのー、先生」
「何だ、星矢」
「あの後ろの外国人、ギリシャ人だから、英語通じませんよ」
「え?」
その言葉に固まる教師。
……確かにギリシャ人では、英語ができなくても仕方ないのかも知れない。
その様子を見ていたアイオリアが、星矢に話しかける。
以下の会話はギリシャ語である。
「星矢、俺は何かマズいことをしたか?」
「いや、アイオリアが英語できると思った先生が、色々話しかけただけだよ。俺、英語分からねーから、先生が何言ったかは分からないけど」
「ああ、英語か……教皇からも、英語だけは習得しておけと言われたな……」
「シオンの言う通りだと、俺も思うぜ」
英語ではない異国語が、教室内に響く。
星矢が流暢にギリシャ語を話すのを目の当たりにしたクラスメイト達は、またまた感嘆の声を上げていた。
星矢は自分のやったことに気付くと、教師に頭を下げる。
「先生すみません、授業中なのに、喋ってしまいました」
「あ、ああ……言葉通じるのがお前だけなんじゃ、仕方ないな……」
そういって教師は笑おうとしていたが、その口元は明らかに引き攣っていた。
英語のできない外国人というものに、心底ショックを受けたらしい。
『でも、外国人がみんな英語できると思うのは、大間違いだと思うけどなぁ』
聖闘士なんてものになってしまうと、尚更そう思う。
聖域での公用語はギリシャ語だ。書類も皆ギリシャ語である。聖闘士になるには、まずギリシャ語ができなくてはならない。
ただ最近は海外出張のことを考えて、ギリシャ語だけではなく英語も必修になっている。
けれども、英語のできない者もそれなりに存在するのだ。
青銅聖闘士のいつものメンバーの中でまともに英語ができるのは、瞬、邪武、カナダが修行地だった檄と、そして何故か一輝くらいである。
紫龍は中国語、氷河はロシア語ができるが、英語はできない。
黄金聖闘士では……アイオリアとミロ以外は皆英語ができるようであるが。
ムウも話せるのが意外ではあったが、あのシオンの弟子であることを考えると、さほど不思議ではない。
シャカも英語を解せるが、インドは昔イギリスの植民地だった関係で第二公用語が英語なのだ。
しかし、ギリシャ人であまり国外に出る機会のなかった両名は、今でも英語を話せない。
一応ミロは最近カミュにフランス語と英語を習っているらしいが、アイオリアは肉体の鍛錬には熱心な反面、語学はそうでもない。
……その後も、淡々と星矢のクラスの授業は進んでいく。
アイオリアは会話の後は無言で星矢の学習態度を眺めていた。
ただ、獅子を思わせる彼の強大な小宇宙が、大型冷蔵庫の扉を少し開けた時に漏れる冷気のように漂っているものだから、教室内には妙な緊張感が満ちていた。
どことなく、空気が張りつめている。
『アイオリア……少しは小宇宙押さえろよ……』
星矢は机に片肘を付くと、頭を抱える。
『本当に加減を知らない人なんだな』
肺が空になるようなため息。
息苦しいわけではないが、どうにも肩が凝る。
『アイオリアらしいっちゃー、らしいけどな』
心の中でそう呟いた星矢は、板書された構文を手早くノートに書き写した。
作品名:振り返れば奴がいる 後編 作家名:あまみ