彼方から 第二部 第八話
皆を閉じ込めていた結界を解き、白霧の森の中を巡り、森の住人たちの魂の拠り所となっていたあの化物の体をも吹き流してゆく。
その体から、魂たちを解き放ちながら……
みんな……
ああ……みんな……
依り代から解き放たれた魂たちに、イルクが語り掛けている。
気が付いて
願いを籠めて、想いを籠めて――心を籠めて……
そこは あなた達がいる場所じゃない
幾体もの魂が、森と大地の力が起こした風に吹かれ、依り代から解き放たれてゆく。
何体も、何十体も――
『奴』の支配から、『負』の呪縛から解かれ、魂たちの姿が以前の――森に住み、暮らしていた頃の姿を取り戻してゆく。
思い出して 自分自身を
魂となっても、その記憶は残るのだろうか……
肉体を失くし、化物の依り代を作り出し、エネルギーを利用され、操られ……その間、自らが何をしてきたのかを……覚えているのだろうか。
以前の姿を取り戻した森の住人の魂たちは、宙を漂い、互いに顔を見合わせ、悲しみに暮れる。
苦しみ、始める……
『ああ おれ達は
わたし達は
今まで大変なことを』
苦しまないで……
イルクの優しい声が、住人たちに呼び掛ける。
大丈夫 幸せになれる
ほら……
彼らを森の、大地の力が、優しく包み込んでゆく。
あなた達は本当は とても優しいのだから……
やり直そうよ
どうか みんな……
ぼく達のもとに 戻って来て
包み込んでくれる温かな光に導かれ、語り掛けてくれるイルクの声に引き寄せられ、魂たちが集まってゆく。
大丈夫 大丈夫
これから いくらでも償えるから
『ああ それなら
それなら……』
『それが どんなに辛いことでも
わたし達は……
おれ達は……』
風と共に吹き巡り、魂たちを癒してゆく光、温かな力、優しい――声。
それが自分たちまで包み込んでくれているのが分かる。
イザークたちは、巡る風に包まれたまま、その場に立ち尽くしていた。
――伝わってくる
それを一番感じていたのはノリコ……
――これは……森の意志?
体に沁み入る、心にも……
直接流れ込んでくるかのように、その力が、『想い』が、分かる。
――なんて、やさしい……
その温かく深い優しさに、自分も満たされていくようで、ノリコは心が震えた。
魂たちを包み込む『想い』を感じ、包まれ、彼女は思わず涙していた。
光と風は、辺り一帯を吹き巡り、やがて、空の彼方へと昇ってゆく……
イザークが、ジェイダが――そして皆が、上空へと昇ってゆく風の行方を追って、空を仰ぎ見ていた。
「……青空だ……」
誰かが、そう呟いた。
突き抜けるように高く、青く澄んだ空。
その青さに、誰もが眼を、奪われていた。
*************
「あの……イザーク……もうおんぶ、いいです。あたし、歩けます」
白霧の森の中、グゼナへと通じる森の出口までの道を、イザークたちは歩いていた。
イルクが森と大地の力を借りて放った力で、『奴』の作った結界は解かれ、彼らは無事、集落から出ることが出来ていた。
しかし、その当のイルクは、力を借りたとはいえ流石に疲れ果て、しばらくの間は眠らねばならず、森を抜ける彼らの案内を、かつて、この森の住人であった、『奴』に利用されていた魂たちが代わりに果たしてくれていた。
まだ、力の乏しい彼らは、占者であるジーナを通じ、微かなイメージとして森の出口への道を伝えてくれていた。
その森の出口までの道のりを、イザークはノリコを背負い、歩いていた。
「しかし、もうすぐ日が暮れる。なるべく早くこの森を出なくては……」
恥ずかしがる彼女の意向をほぼ無視し、彼は降ろす素振りも見せずにそう返したきり、構わず歩いている。
「女の足では付いていけないよ、気にすることはない、ほら、ジーナも抱っこされてるし」
その立場上、皆を先導する形になっているアゴルが、後ろを歩くイザークたちを見やりながら微笑み、そう言ってくる。
「あら」
「おや?」
その言葉に二人の女性が反応した。
「あたしも女なんだけどね、一応……ねぇ、エイジュ」
「そうよね、勿論、あたしも女、なのだけれど?」
「負ぶってくんないかい? バーナダム」
ガーヤとエイジュが、互いに顔を見合わせながら、周りにいる男性陣を見やり、にこやかにそう言ってくる。
「ガ、ガーヤとエイジュは特別だよ。男以上の体力と力の持ち主じゃないか」
いきなり白羽の矢を立てられたバーナダムが、少し引きながら二人を交互に見て、そう返している。
「ん……誉め言葉としては、少し悲しいわね」
クスクスと笑いながら、エイジュがそう言い、
「はは……それにガーヤをおんぶできる程、力のある奴は……」
アゴルも笑いながら、そう言い掛けた。
「……あんだって?」
「あ!」
またしてもガーヤに睨みつけられるアゴル。
「いや、その……」
口から出てしまった言葉は取り返しがつかず、アゴルは自分の失言に、再びアタフタとするしかなかった。
その度に、幼い娘に『お父さんたら……』と呆れられ、そして、恥ずかしい思いをさせるのである。
道中、笑みが零れる。
危機を脱した安堵感が、皆の間に広がっている。
皆、疲れてはいるが、もう化物に出くわすことはないだろうという楽観視が、精神的にも足取りをも、軽くしていた。
「で……でも、イザーク、一度倒れたって……」
ノリコが背中から、心配そうに訊ねてくる。
彼女はカルコの町で、彼が倒れるのを一度まともに見ている。
どんな状態で、どれほど酷かったのかも、重々承知している。
もしや……と、不安が募るのも当然である。
それが分かっているが故に、
「もう大丈夫だ。心配いらん」
イザークはそう、返したが……
――だが……
――確かに疲れている
自己を冷静に分析していた。
――実際、さっきの火を起こす時も、思うように力が出なかった
――とにかく、あまり力を出さないようにしないと危険だ
――もしまた、あの時のようになったら……
カルコの町で起こした発作が、頭を過る。
ほぼ定期的に起きる発作だが、この先も、定期的に来るとは、限らない……
ノリコの存在と、彼女と出会ってから自分の身に起きている様々な『出来事』が、彼に不安を生じさせていた。
――やはりまだ……気が安定していない……
ガーヤ達との会話を愉しみながら、エイジュはさりげなく、イザークの気の状態を探っていた。
安定していない理由の半分はノリコの存在であり、残りの半分は、これまでになく力を使っているから……
集落で倒れたイザークを診た時、彼の体内の奥深くに眠っている凄まじいエネルギーが、彼の精神を押し退け、出てこようと蠢いているのが分かった。
その影響が、まだ続いている。
完全には収まり切れていない……
作品名:彼方から 第二部 第八話 作家名:自分らしく