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BYAKUYA-the Withered Lilac-3

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「誰っ!? ゾハルを放して!」
 姿を見て、ストリクスは再び言葉を失った。
 現れたのは、まさしく異形の存在であり、人の形をしているが、その顔は一切窺えず、全身が黒く、そして紅く染まっていた。
 背中から四対八本の鉤爪を生やしており、その刃は完全に血に染まった深紅であった。
 そんな異形の存在を前にして、ストリクスは何故か、その者の事を知っているような気がした。
「び……びゃく……」
 それ以上は言えなかった。
『Strix Von Schwarzkeit(ストリクス・フォン・シュバルツカイト)……』
 異形の者に、先にストリクスの名を、ファミリーネームと共に言われたためだった。
『へえ。なかなか洒落た名前じゃないか。貴女(キミ)って外国人? まあいいか。安心しなよストリクス。貴女の悪夢はこれで終わりだからさ……』
 異形の者は、上体を反らした。次の瞬間、その者の頭、上体、そして鉤爪が巨大化し、それらが一体となった。
 残っていた足は、牙になった。黒と紅が混じり合う、おぞましい姿の蜘蛛となった。
『打ち喰らおう。終らない悪夢を……!』
 八本の鈎脚が、ゾハルを巻いた糸もろとも引き裂き、牙を突き立てる。
「ゾハルー!」
 ストリクスは、親友が目の前で喰われ、殺される所を最後に、意識が遠退くのだった。
    ※※※
「ゾハル!」
 ツクヨミは、叫びと共に上体を起こした。
「うわー。ビックリした。姉さん大丈夫?」
 すぐそばに、目を丸くしたビャクヤがいた。
「ビャク、ヤ……? ここは……」
 埠頭の倉庫内ではない。最早見慣れた、ビャクヤの家であり、ツクヨミの部屋であった。
「夢……」
 ツクヨミは目覚めて全てを理解した。あれは全て、熱にうなされたために見た悪夢であったのだと。
「姉さん。すごいうなされようだったよ? 一体なんの夢見てたのか知らないけど。『ぞ、はる、ぞはる』って」
「私、そんなことを……?」
 うわ言を喋ってしまっていたらしい。ツクヨミは、ビャクヤに内緒にしていた人物がバレたかと内心慌てる。
「ひょっとして。春が来そうで来ない夢でも見てたのかな? 『来たぞ、春!』なんつって!」
 ビャクヤのあまりにも無理矢理なこじつけに、ツクヨミは唖然としてしまう。
「……はっ?」
「アハハハ……! はぁ……」
 ビャクヤは少し笑ったが、すぐにくたびれたようにため息をついた。
「……なんて。無理に笑っても面白くないものは面白くないよね? 分かってる。分かってるとも。そんなことより……」
 ビャクヤは、ツクヨミの額に手を当て、もう片方の手は自分の額に当てる。
「うーん。まだ少し熱があるかなぁ? まったく。あれから大変だったんだよ? 一時熱が四十度超えちゃったから、お医者さんを呼んだんだ。それで解熱の注射を射ってもらったよ。熱はその内に引くってさ。感染症の疑いもあるっていうから。熱が下がらなければ。検査に来てほしいって言われたけど。この分なら寝てれば大丈夫かな?」
 喋りながらビャクヤは欠伸を噛み殺した。よく見ると、目の下にくまができている。
「ビャクヤ、あなた、もしかして……?」
「ああ別に。ちょっと寝てないだけさ。姉さん丸一日は眠ってたからね。寝ずに看病するのは当たり前だよ……とはいえ。さすがに眠いや。ふあぁ……」
 ビャクヤは、今度は抑えようともせずに、大きく欠伸した。
ーーStrix Von Schwarzkeit(ストリクス・フォン・シュバルツカイト)……ーー
 ふとツクヨミに、夢の中で自らを呼ぶ声が甦る。
 あの異形の者の声音は、こうしてビャクヤと話している内に、ビャクヤのもののような気がしてきた。
 夢であるからには、理屈が通っているか、など断定することはできないが、どうにもビャクヤにあの名を呼ばれたような気がしてならなかった。
「ビャクヤ、一つ訊かせてもらえるかしら?」
「なんだい姉さん? 僕に分かる範囲の事なら答えるよ」
 ビャクヤの許しを得て、ツクヨミは、意を決して訊ねた。
「私の名前は?」
「へっ?」
 今度はビャクヤが固まった。しかし、ツクヨミの言っていることは、
まだ病気であるがゆえの戯言だと考え、冷静に返した。
「まだひどい夢の影響があるのかい? 姉さんは姉さん。僕の愛する姉。月夜見(ツクヨミ)姉さんだ。それ以外の名前なんてないだろ?」
 やはりただの悪い夢だったのか。そう思いたい所であったが、ツクヨミは、どうにも思い過ごしだと考えられなかった。
 ふと、ツクヨミは、首の辺りがヒリヒリする感じがした。
「ああ。ダメだよ掻きむしっちゃ。汗疹ができてるんだ。ほら。塗り薬ならあるから」
 ビャクヤはそう言って、軟膏薬の瓶を差し出した。
「あら、塗ってあげる、とか言わないのね?」
 ツクヨミが気絶する前は、しきりに何かをしようとしていたビャクヤであったが、今回は瓶を手渡すだけで、後は自分で塗れと言わんばかりだった。
「峠は越えたからね。後は自分でもできるだろ? 献身的な看病はもう終わりだ。この抗菌薬飲んで寝なよ」
 ビャクヤはポケットからカプセル製剤を取り出した。
「…………?」
 何故か、ビャクヤの様子がまるっきり変わってしまったような気がした。無理に座薬を入れようとしてきたあの時と比べると、かなり冷めたような雰囲気であった。
「……さてと。それじゃ僕も寝るとしようかな」
 ビャクヤは、腰かけていた椅子から立ち上がり、部屋を出ていった。
 自分の部屋に戻って寝るのか、とツクヨミが思っていると、ビャクヤは寝具一式を持って戻ってきた。
「よっこらせ。と……」
 ビャクヤは床に布団を敷く。
「どうしてここで……自分の部屋で寝たらいいでしょう?」
「峠は越えたとはいえ。一応は病人だ。僕の目の届く所にいてほしい。それに。僕にでも移せば。もっと治りが早くなるんじゃないかな?」
「そんな無茶苦茶な……」
「はいはい。もうおしゃべりは終わり。お休み姉さん……」
 ビャクヤは布団に横たわり、ツクヨミに背を向けて後ろ手に手を振った。やがて寝息を立て始めた。
ーーよっぽど疲れていたのかしら? こんなにすぐに寝つくなんてーー
 ツクヨミは、ビャクヤの寝顔を覗いてみた。
 すっかりと曇ってしまっている瞳は閉じられ、いつも浮かべている何を考えているのか分からない薄ら笑いがないせいか、まともな表情のビャクヤを見るのは初めてな気がした。
 生気の無い眼をしているため、ビャクヤの顔は常にくたびれた様子であったが、寝顔はその限りではなかった。
 普段の彼からは想像できないほどに安らかである。こうしてよく見ると、目鼻立ちととのった、中性的美少年だと再認識させられる。
ーー普段から、こんな顔をしていれば、少しは可愛げがあると言うものなのに……ーー
 思ってツクヨミは、はっとなった。
ーー私は何を考えているのかしら? ただの武器に愛着が湧くなんて。けれど、どうして? どうしてこの子を見ていると、胸が……ーー
 ビャクヤとの協力関係は、彼が全面的にツクヨミに付き従い、降りかかる火の粉は全て払う、といった契約の下に成り立っている。
作品名:BYAKUYA-the Withered Lilac-3 作家名:綾田宗