BYAKUYA-the Withered Lilac-3
「……なかなかやってくれるじゃないか……」
胸に受けた衝撃の余韻も消え始め、ビャクヤは鉤爪を支えにしながら、ゆらりと立ち上がった。
「ほう……華奢な見た目と違って意外とタフだねぇ。驚きだぜ」
ゴルドーは、まだまだ余裕といった笑みを浮かべていた。
「ふふふ……これは。まずまず楽しめそうだねぇ」
ビャクヤは、ゴルドーの余裕の笑みに対して、不敵な笑みを返す。
――なんだ、ハッタリか?――
不意にビャクヤは、片手を宙にかざし始めた。次の瞬間ゴルドーは、ビャクヤの行動がハッタリなどではないと知らしめられた。
「ふふふふ……」
ビャクヤの体が、青く不気味に輝き始めた。
「な、なんだ!?」
「言ったろ? キミは既に僕の巣網にかかってる。って」
「巣網だと……!?」
ゴルドーは辺りを見回した。
まるで気付かなかった。ビャクヤの張った巣網は、てっきり自身を逃げられなくするためのものだとばかり、ゴルドーは思っていた。
「気付いたようだね? でも。もう遅いよ……」
ビャクヤは己が行動によって、事前に張っておいた罠の意味を示す。
「高まるね。いろいろ……」
罠には、とても数えきれないほどの小さな虚無がかかっていた。ビャクヤは、それらの顕現を一気に吸い取っていたのだ。
「はあああ……!」
顕現を吸い取るにつれ、ビャクヤが纏う輝きは、激しく増していった。
――黙ってみてる場合か!? 早く終わらせねえと!――
ゴルドーは圧倒され、動けずにいたが、ビャクヤの策をこれ以上進ませまいと攻勢に出ようとする。
「終わるわけないよねっ!?」
ビャクヤは、纏っていた顕現を一点に集中させ、ひときわ激しい光を放った。
「ぐうっ!?」
あまりに激しい輝きをまともに受け、ゴルドーの視界は一瞬闇に包まれた。そして耳元に囁きかけるような声がした。
「そろそろ食べ頃かな?」
ビャクヤは両手に糸を纏わせ、目にも止まらぬ速さでゴルドーに突進し、そしてすれ違った。
「仕留める……!」
次の瞬間、ゴルドーは全身を拘束されていた。まるで鉄線を何重にもよった縄で縛られているかのようであり、一切の動きができないばかりか、呼吸すらもできない。
「ごっ……かっ、かあっ……!」
僅かでも息をしようとするが、その僅かすらも空気が入ってこない。
「いいねぇその表情。さて。どう味付けしようかな」
ビャクヤはゴルドーの背後に回り、鉤爪をゴルドーのうなじに突き付けた。
「最近塩辛い味ばっかだったからね。たまには甘い味付けにしようかな? いや。酸っぱいのも捨てがたい。どうしよう?」
ビャクヤはまるで、ステーキにどのような味のソースをかけようか、といった具合に味付けを考えていた。
「そうだ。甘酸っぱくしよう。いいとこ取りってやつだね。そうと決まれば早速……」
ビャクヤはゴルドーの顕現を捕食すべく、その手を伸ばす。
「ごおっ! かっ……かっ!」
ゴルドーはどうにかコートのポケットから手を出し、顕現の爪を用いて自身を縛る糸を切った。
「おや?」
ゴルドーを縛っていた糸は、一端が切れると全てが等しく裂けていった。
ゴルドーは、体にまとわり付く残った糸を振り払い、地面に膝付きながら拘束から逃れた。
「ゲホッゴホッ……!」
ゴルドーはようやく入ってきた空気にむせる。
「あらら……大したもんだねぇ。まさか僕の最強の糸に巻かれても抜けるなんてねぇ……」
ゴルドーの力ぶりに、ビャクヤは感嘆する。
「けど。強度が最強なら。その効果も最強だよ。どうだい? 今のキミにどれくらいの顕現が残っているかな?」
ゴルドーは、酸欠状態なのもあったが、それ以上に力が入らない感じがした。
――顕現がごっそり喰われちまったのか……!?――
ゴルドーは、自身の右手を見て驚愕した。
敵の顕現を奪うための爪が消えてしてしまっていたのだ。ゴルドーは再び、能力の行使を試みるが、いっこうに復活しそうになかった。
――こいつぁ、いよいよあぶねぇか……!?――
ゴルドーは立ち上がらず、真っ直ぐビャクヤを見据えていた。
ビャクヤの力量を見誤ってしまった。ゴルドー自身も、『強欲』と呼ばれるだけの顕現喰らう能力を宿していたために、自分を超えるほどの顕現を奪える者はいない、と過信してしまっていた。
「はははは。いいねぇ。完全に絶望したって感じの顔だ。このまま食べてあげたい所だけど。あれは強いだけに連発ができないんだ。キミは運がいい。もうしばらくこの世にいられるんだからさ」
この言葉に、ゴルドーは活路を見いだした。
「連発はできない、ねぇ。そいつはいいことを聞いたぜ……!」
ゴルドーは、羽織っていたコートを脱ぎ、ビャクヤに向けて無造作に投げ付けた。
「うわっ!?」
コートはビャクヤの顔に当たった。一瞬視界が完全なる闇となる。
「わりぃな、俺にはやらなきゃならん事があるんでな。流れはもう俺にはねぇ。命あっての物種だ、退散させてもらうぜ!」
ゴルドーには、大鎌を出すための顕現も残っていなかったため、衣服を投げることでビャクヤの目眩ましをした。
先ほどビャクヤが、大量の虚無の顕現を吸い取った時同時に、辺りに張り巡らされた罠も消えていた。ゴルドーにとってはまたとない逃亡の好機であった。
「ングっ!」
ビャクヤは、顔に巻き付いたコートを振り払った。
回復した視界に写るのは、半裸となったゴルドーの背中が、既に小さくなっているものだった。
「ありゃー。ざんねん……」
ゴルドーは巨躯を持ちながらも、逃げ足は速かった。追いかけようにも、だいぶ距離を引き離された後であったため、ビャクヤは追撃を諦めた。
しかしそれ以上に、ビャクヤにはやるべき事があった。
「まぁいいか。今は。あんなのはほっとこう。それより……」
ビャクヤは後ろを振り返る。そこには、自ら作り出した小水の泉に浸かるツクヨミがいるはずだった。
「あれ?」
小水の泉は確かにあったが、そこにツクヨミの姿はなかった。その代わりに、縮こまった下着が放られていた。
「やれやれ……」
ビャクヤはつかつかと水溜りへ歩み寄り、捨てられた下着を手ではなく、鉤爪で引っかけて拾う。
「あーあ。こんなに汚しちゃって……洗濯するの誰だと思ってるのさ……。まっ。姉さんのものを捨てるなんて選択肢。始めからないけどね」
それでも尿にまみれたものなど触る気にならず、ビャクヤは鉤爪に引っかけたままにしておく。
そして茂みへと歩み、木陰に潜む存在に声をかけた。
「ほら帰るよ。姉さん。隠れててもバレバレだよ。出てきなって」
今の『器』の割れたツクヨミには、十分な顕現は宿っていなかったが、顕現の捕食者であるビャクヤには、その僅かな顕現すらも感じ取れた。
もっとも、顕現で位置を探る以前に、匂いで分かったのだが、さすがにそれは黙っておくことにした。
「…………」
ツクヨミはおずおずと、ワンピースの裾を強く掴み、木陰から顔を覗かせる。
「おや?」
ビャクヤはふと気が付いた。ツクヨミの後の方には、まだ張っておいた罠が残っていた。
「なるほどね……」
ビャクヤは一人、理解する。
作品名:BYAKUYA-the Withered Lilac-3 作家名:綾田宗