なんどのぼうけん 2
頭上から何か黒いものが、こちらに向かって凄まじい速さで駆けてくる。
「ん?」
目を凝らす邪武。どうやら馬車のようであるが。
冥界には空がないため、空に当たる辺りは赤と黒のグラデーションのオーロラが揺らめいている。
その、揺らめく不気味な色合いのオーロラの中を、馬車が猛スピードで疾走している。
見ようによってはひどく幻想的な光景なのだが、近付いて来た馬車の姿が明らかになるにつれ、邪武と貴鬼の表情が恐怖で引き攣る。
……馬車を引く黒馬に、首が無いのである。
「なんだ……あれ」
目を見開き、その世にも恐ろしい姿を見つめる邪武だが、不思議なことにその首無しの馬から目を逸らせないのだ。
不気味でおぞましくて、人の世のもの(ここは冥界だが)とは思えぬくらいに恐ろしいのに、何故か目を背けることができないのだ。
見入られたように注視してしまう。
やがて馬車は花畑の上に降り立つ。
首無し馬……コシュタ・バワーは、降り立った途端に首がないにもかかわらず荒い鼻息を響かせた。
「これが、コシュタ・バワーだ」
涼しい顔で告げるファラオ。
彼にとっては見慣れた光景なので、驚くも何もない。
邪武はやや引き腰な様子で、冷や汗をダラダラ流しながら、
「……まさか、それに乗れってのか」
「それ以外の何がある?」
ファラオは淡々と応じる。更に顔色を悪くする邪武。
……自慢じゃないが、邪武はホラーが苦手だ。本当にホラーが苦手だ。
那智のように幻魔拳を食らったら再起不能になるんじゃないかと思うくらいに、ホラーが苦手だ。
そんな自分が何が悲しくて、こんなものに乗らなければならないのだ。
貴鬼は初めは恐怖と驚きで顔を強張らせていたが、元々幽霊の住処である聖衣の墓場を修業場としていたせいか、コシュタ・バワーへの適応も早かった。
「邪武、これ乗ってパンドラのところに行って、早く地上に戻ろう」
貴鬼は早く元の場所に帰りたいので、躊躇はしていない。
迎えが来た以上、すんなりとアケローン河には戻れないだろうから。
邪武の手首をつかむとぐいぐい引っ張るが、肝心の邪武が乗り気でない。
「えー、これに乗ってくのかよー」
引っ張らせても足を踏ん張って、動こうとはしないのだ。
貴鬼の丸い眉が、不服そうに寄る。
「何がイヤなんだよー、邪武ー!!」
「だってこの馬!首がねぇだろう、首が!ホラーじゃねぇか!!」
唾を飛ばして怒鳴る邪武。若干涙目になっているように見えるのは、気のせいだろうか。
「でも早く帰りたいじゃん!」
「他の方法がねぇのかよ!」
いつまでも馬車に乗らずギャーギャーと口喧嘩を始める二人。
ファラオは呆れたようにため息をつくと、馬車の御者に声をかけた。
「キューブ、鬱陶しいからこいつらをさっさとジュデッカに連れていけ」
御者席に座っていたフルフェイスのマスクを被っていた冥闘士、デュラハンのキューブは、ファラオにそう頼まれるとSF映画のロボットのような動きで二人に近付き、ひょいと首根っこをつかんだ。
子猫でも扱うが如く。
「へ?」
「え?」
突然のことに目を丸くする邪武。
貴鬼はつかみあげられるのには慣れていたが、邪武は初体験である。
「な、何するんだよ!!」
宙に浮いた状態で貴鬼は手足をばたつかせるが、長身のキューブはそれには構わず、まずは貴鬼を馬車の乗客席に放り込んだ。
「うわっ!!」
まるで荷物でも仕舞うかのようだ。それを目の当たりにした邪武、全身から血の気が引いて行くのが分かる。
「お前もああされたいか?」
仮面越しのくぐもった声。邪武は無言で必死に何度も首を横に振ると、そのまま馬車の中へ運び込まれた。
俺は可燃ゴミか!と抗議したくなるような手付きで投げ込まれる。
結局、放り投げられることに変わりはない。
「……ってぇ!!」
床にしこたま顔面を打ち付ける。
コンクリートも掘れる己の顔がぶつかっても大丈夫だったなんて、この馬車はただの馬車ではなさそうだ。
「うおー、痛ぇ」
顔をさすりつつ備え付けられた座席に腰掛ける。
先に投げ込まれた貴鬼はお行儀悪く、長椅子の上に寝転がっていた。
「何やってんだ、お前」
「……少し、眠い」
消え入りそうな声で、貴鬼が答える。瞼がひどく重そうだった。
邪武はこの状況下でよく眠くなるなと感心するが、この小さな聖闘士候補は、小宇宙を燃やして冥界にテレポートしてしまったばかりに、邪武にはわからないところで気を張っていたのだろう。
考えてみれば、冥界の道中で自分を引っ張って来たのは貴鬼だった。
アケローン河の渡し船に乗った時も、オルフェの家を訊いた時も、シュラそっくりの冥闘士に喧嘩を売った時も。
『この小さな身体で、こいつは俺以上に頑張ってたんだよな』
しかも、聖衣無しの生身の身体で。
邪武はそれを思い出すと、なんだか急に貴鬼に労りの情が湧き。
「目的地に着くまで、少し寝てろよ。着いたら、俺が起こしてやるよ」
「……ウン……」
そのまま吸い込まれるように眠りに就く貴鬼。この様子からして、相当眠かったようである。
さて、邪武だが。
彼もひどく眠かったのだが、こんなところで寝こけるわけにはいかない。
いくら不戦条約が締結されているとはいえ、ここは敵地なのだ。
『俺は気を抜くわけにはいかねぇな』
と、腕を組んで座席にどすっと腰をかけ直すと、どこかから響く馬の嘶く声。
首を切られる寸前、断末魔の叫びのようにも聞こえる鳴き声だ。
「何だ?」
不審に思った邪武が窓から外をのぞいたのと、馬車が地面から浮き上がるのは、ほぼ同時だった。
コシュタ・バワーが宙を駆け出し、馬車もゆっくりと花畑から離陸する。
「うっそぉん……」
地上では絶対に有り得ない光景だ。
首の無い馬の引く馬車に乗って、宙を駆ける。
こんな体験は二度と出来ないだろうが、できればもうしたくない。
御者席からかけ声。キューブが馬に鞭をくれているようだった。
大地の上を走っているわけではないのに、規則正しい蹄の音が聞こえる不思議。
やっぱり、ここは死後の世界。
生きた人間が訪れる世界ではないのだと、邪武はつくづく感じた。
「星矢たちはこんなところで戦っていたんだな……」
赤と黒のオーロラの中を進みながら、邪武は女神のために冥界に突入して戦った仲間たちのことを考えた。
耳に届く固い蹄の音。時折響く鞭を打つ音。
ジュデッカまでは、まだまだ遠い。
作品名:なんどのぼうけん 2 作家名:あまみ