なんどのぼうけん 2
その頃、東京城戸邸。
異変に気付いたムウは慌てて空間のロックを解除し納戸に向かうが、開け放った納戸のドアの前で彼は表情を失ってた。
貴鬼が小宇宙を燃やしていたことまでは察していたが、小宇宙の爆発が収まった後の動きが全くわからなかったので、不思議に思っていたのだが。
「……これは、一体どういうことなのでしょうか、ムウ」
顔を強張らせながら瞬が訊ねると、ムウは無機質にも見える無表情で、
「私にもわかりません。ただ一つ言えることは、貴鬼は小宇宙を極限にまで高めて、私が封鎖したこの空間から抜け出した。ただ、それだけです」
淡々と語るムウだが、その内心を余人が窺い知ることはできない。
星矢は納戸内をあれこれ検分しながら、戸口でじっと立っている黄金聖闘士に質問した。
このような雰囲気の中でも場の空気に呑まれることなくあれこれ訊けるのは、彼の長所であり短所であった。
「なぁ、ムウ。あんた程のサイコキネシスの持ち主なら、貴鬼がどこにテレポートしたのかわかるだろう?」
瞬は全身を硬直させた。それは瞬も考えていたことなのだが、もしわかるのであれば、ムウは今こんな顔をしていない。
牡羊座の黄金聖闘士は一瞬の沈黙の後、感情を感じさせない声で、
「わかりません」
「でもあんた、前に次元の狭間に落っこちたシャカを処女宮に戻しただろう?そのあんたがわからないって、どんだけだよ」
……星矢の空気も雰囲気も読まないストレートな言葉で、納戸内に妙な緊張感が生まれる。
何かの拍子に全身をズダズダに引き裂く光速拳が飛んでくるような。
そんな、緊張感。
ムウは気持ちを落ち着かせるかのように、少し長めに息を吐くとやや目を細めて、
「シャカの時とは勝手が違いますからね。あの時はシャカの方から私に接触を図ってくれたので、私もシャカの位置を把握することができました。もしシャカが私に語りかけてこなければ、私もシャカを処女宮に戻すことは出来なかったでしょう」
何かのマニュアルでも音読しているかのような、そんな抑揚のない口調である。
「私も貴鬼の小宇宙の痕跡を探っているのですが、小宇宙を爆発させた後、小宇宙が綺麗に消え去っているのです。まるで……」
この時、ようやくムウの声に揺らぎが生じた。
「まるで、この世から消えてしまったかのように」
その言葉にハッとして、慌てたようにムウを見やる星矢と瞬。
ムウがどんな顔で、どんな気持ちで、この推測を述べたのか……。
「ムウ……」
ムウは表面上は変わりないように見えた。
無機質な表情、無機質な雰囲気。星矢たちが知っている柔和で穏やかなムウではない。
石膏の像が目の前に立っているような。
そう錯覚してしまうくらいに、今のムウは平生とは違っていた。
「小宇宙を爆発させた際に、そのまま肉体まで消滅してしまった可能性も、ないとは言い切れません」
それだけ告げたムウはおもむろに踵を返すと、納戸を後にした。
彼の背後から漂っているオーラがあまりにも澱んでいて、瞬は思わずどこに行くのか訊ねてしまった。
するとムウは背中を向けたまま、
「客間に戻って、少し眠ります。私も頭を冷やす必要がありそうですので」
そのままカツカツと甲高い靴音を鳴らして、この場から去っていった。
星矢も瞬も、これ以上声をかけることができなかった。
二階の客間のベッドの上に、ムウはボスッと倒れ込む。
仰向けに寝転び天井を眺めながら、ムウはやり過ぎたと猛省していた。
紅茶をかけられそうになったくらいで空間をロックした場所に閉じ込めるだなんて、やり過ぎだったのでは……と、自分の怒りを抑え切れなかったことをひどく後悔していた。
あんな真似をしなくとも、デコピン一発で用は足りたのではないか。ほっぺたに平手打ちでも良かったのではないか。
次から次に考えが沸いては消えて、降っては消えて、落ちては消えて、ムウは自分の行為がやり過ぎだったと自己嫌悪に陥っていた。
確かに、師に無礼を働いたのだから、何かしらの罰は必要だ。
けれども、あれほどまでに手の込んだお仕置きをする必要があったのだろうか。
何度も何度も、同じ自問自答が頭の中で繰り返される。
「……ああ、私は……」
声に出すと、感情を抑えられなくなる。
戦いの最中は涙を流しても何とも思わないのに、日常に戻るとなんだかみっともなく感じる。
だから、今は泣きたくないのに……。
トントンと、ドアをノックする音が聞こえる。このノックの仕方は……。
「ムウよ、居るのだろう?入るぞ」
聞き慣れた、凛とした響きの良い声が聞こえる。
ムウは俯せになると、枕の上に突っ伏す。今のこの顔を、ノックした人物に見られたくないのだ。
「返事があらぬが、居るのだろう?入るぞ」
静かにドアが開き、今ムウが一番会いたくて、一番会いたくないであろう人物がゆっくりと姿を見せた。
ムウの師である教皇シオンだ。
シオンはゆったりとした足取りでベッドに歩み寄ると、枕に顔を伏せている愛弟子を見下ろした。
その目は、何の表情も浮かべてはいない。
いつもムウを見つめる際の、情愛に満ちた視線ではなかった。目の前の現実を、現実として受け止めている目だ。
「大変なことになっておるようだな」
その声を聞いてムウは、シオンが腹に一物を抱えていると知れた。
シオンの今の口調は、教皇の間で他の聖闘士と対峙している際のものだったからだ。
愛しい弟子にかけるそれではない。
「……貴鬼たちの存在を見失いました。痕跡を辿ることも不可能でした」
「お前がそう申すのであれば、そうなのであろうな」
しゃらりと、シオンの法衣の衣擦れの音が聞こえる。枕元に腰掛けたようだ。
枕に顔を伏せたムウの呼吸が、一瞬止まる。
この師は一体、何をするつもりだ。
ついつい全身の筋肉が強張る。
「お前が何の理由もなしに貴鬼に折檻するとは思えぬ。彼奴は何かやらかしたのであろう」
ふ……と口調が変わり、ムウの良く知るシオンのものになった。
ムウの大好きな、優しいシオンの口調に。
「まったく」
師の大きな手が、くしゃっとムウの頭を撫でる。
「やり過ぎを反省するのであれば、それを次回に活かせ。今斯様に落ち込んでいても、事態は何も好転せぬぞ」
まるで子供を嗜めるかのようなシオンの言い方に、ムウはやや枕から顔を上げる。
「次回……とは、どういうことでしょうか」
貴鬼たちの小宇宙をトレースできなかった。すなわちそれは、この世から二人が消えたことに他ならないのに。
シオン様は何呑気なことをおっしゃっているのか。
「シオン様」
言い返そうとしたムウの目の前に、自分の携帯電話をぶら下げてみせるシオン。
ムウは訝しそうに目を細めると、
「シオン様のケータイがどうしたのですか」
「ふむ、先程こちらに連絡が入った」
シオンの携帯電話は、教皇の間執務室に届いた教皇宛のメールも閲覧できるようになっている。
職場を離れていても、重要事項をチェックできるようにだ。
「冥界在住の音楽家から報告があってな。貴鬼と邪武の二人が八識に目覚めた状態で、冥界に迷い込んだそうだ」
まるで人事のように語るシオン。ムウの強張っていた体から、徐々に力が抜けていくのが目に見えてわかる。
作品名:なんどのぼうけん 2 作家名:あまみ