テイルズオブジアビス 星の願いが宿る歌2
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ガチャっという音がしたかと思うと、バタンと重めの振動が空気を揺らす。デスクに積み上がった本の山越しに音の出処を見やると、入室してきた男が目の前を横切った。すっかり我が物顔で出入りするようになった男は部屋の一角にこれまた当然のように持ち込んできた資料を積んだ。
「どうだったんだ、結果の方は」
もはや礼儀だなんだといちいち指摘するのも飽きたのでさっさと要件に入る。部屋の主、レヴィンの問いかけに対してジェイドは「居たんですか」とでも言わんばかりに首だけで振り向いた。
「驚いた。ご興味がおありで?」
「何かの役に立つかもしれんだろ」
別にあいつ個人に思い入れがあるわけじゃない、と付け加えて一つ飴玉を口に放り込む。
「そうですか」
本当にわかったのか、と疑いたくなる笑顔を浮かべ、ジェイドは今手放したばかりの資料を再び拾い上げる。手渡されたそれはルーク・フォン・ファブレの身体検査の結果だ。片方は約半年前、もう片方は三日前──────彼がベルケンドを発つ直前に採ったデータだ。
「……ほう」
見比べてすぐに解るほど紙面に並んだ数値は大きく差があった。傍らに立ったままのジェイドの顔を見上げるといつになく神妙な面持ちをしていた。
「これをどう見ますか」
「“どう”、ねぇ……」
この男が己以外の誰かに意見を求めるのは珍しい。それだけ考えを纏めかねているのだろう。レヴィンも変に茶化さず率直に意見を述べる。
「まず半年前……地殻から還ってきたばかりのルークの体は元素が異様に少なく、その分を補うように高濃度の音素(フォニム)によって構成されていた」
「ええ」
事前にジェイドやシュウから聞かされていたルークの経歴も含め考察をしていく。
「第七音素(セブンスフォニム)の意識集合体、ローレライの完全同位体であったルークはその身に第七音素しか持たないはずだったが、この頃第一から第七、全ての音素が検出されている」
「体内に保有する音素の種類がこんなに大きく変化するなど、通常ではありえない」
「地殻から帰還した時点で普通じゃない。そこは考えるだけ無駄な気もするがな」
依然険しい顔のままのジェイドに対し、レヴィンはやれやれと首を振る。
「……地殻で何があったのかはわからんが、外的な力が働いた可能性は高いんじゃないか」
「ええ……彼が還ってこれたのは、決して“ローレライの子だから”というだけでは無さそうです」
ローレライはあくまで第七音素の担い手。他の音素がルークに取り込まれたのは、また別の要因があると考えられた。
「そして帰還から半年経ったルークの体のデータがこれだな」
該当資料を一番上に持ってきてざっと斜め読みする。
「血液、口腔内皮膚細胞サンプルで言えば異常に高かった音素量は落ち着き、低かった元素量が基準値に戻ってきている。だが、毛髪サンプルだけは半年前とほぼ同じ異常値だな。これは単純に新陳代謝の違いだろう」
人間の体は若い細胞が分裂増殖し、古い細胞が死滅することで維持されている。見た目は大きな変化が無くとも常に細胞は入れ替わっている……これを新陳代謝と言うが、そのスピードは体の部位によってまちまちだ。血液や口の中の細胞はそれが早く、あっという間に生まれ変わる。逆に毛髪は既に死んだ細胞で構成されているので新陳代謝がなく、過去の状態を変わらず維持し続ける。加えて、細胞が分裂増殖するために必要なエネルギーと栄養素は食物から補われている。
「普通に飲み食いして過ごすうちに、飲食物から元素を取り込み音素が置換されていった。半年でルークの体はほぼ元通りになったわけだ」
その証拠に、三日前のルークの血液サンプルからは第七音素しか検出されなかった。
「毛髪はまだ各音素が検出されてる。代謝の遅い骨や心臓も同じかもしれんな」
「それでも第七音素を行使する超振動は問題なく扱えているようでしたし、支障はないのでしょうね」
だな、とレヴィンが頷くとジェイドはデスクから離れていく。窓際に立ち、外を眺めながらジェイドは訊ねる。
「これらの事は瘴気集合体(コンタギウム)の可視性と関係があると思いますか?」
「さてな。正直そこは才能的なものじゃないかね」
「才能、ですか」
ジェイドが自嘲気味に鼻で笑う。嘗てその「才能」に憧れ、手を伸ばそうとした為に大切な物を失った男にとってレヴィンの一言は胸に痛みを生んだ。
「それこそ“ローレライの子だから”って言っちまえばそれまでだ」
「……知りませんでした。貴方がそれで納得できる人物だとは」
「誰が納得してるなんて言ったよ」
レヴィンがデスクに手をついて立ち上がる。背中でその気配を感じたジェイドは半身を返した。
「そのためにそのネズミを預かったんだろうが」
ソファの上で寝そべっていたフィフィが話題に挙げられた途端、何かを察したのかガバッと起き上がる。しかしそれも手遅れで、すぐ近くにいた笑顔のジェイドに羽交い締めにされた。
「ふふふ、まるで全て聞いていたかのようですねー。狸寝入りだったんですか?」
ジェイドに捕まって最初こそバタバタと暴れたが、フィフィはすぐに大人しくなった。落ち着いたというより諦めたという感じだ。
「理論の構築は二の次でいいが、再現性が取れるまではとことん付き合ってもらうぞネズミ」
ジェイドの目の前までレヴィンが近付いてきて、怖い大人二人に挟まれたフィフィはがっくり項垂れていた。
「いい子ですね。それでは行きましょうか」
ジェイドがフィフィを抱えて部屋の外へ出ようとすると、
「─────気になることは色々あるんだろうが」
レヴィンがその背に呼びかけた。ジェイドは足を止める。
「今は瘴気集合体の研究に集中してもらえると助かるね。それが一番世の為にも、あんたの為にもなる」
言葉の真意を図りかね、ジェイドが返答に迷っているとレヴィンはその脇をすり抜けながら小さく言った。
「これでも、あんたの頭は頼りにしてるんだ」
よろしく頼むぜ、と手を振ってレヴィンは先に部屋を出ていってしまった。部屋に取り残されたジェイドは呆気にとられて数秒立ち尽くしていたが、思考が巡り出した時くすりと笑った。
「彼も大概、不器用ですね」
そう口にするとフィフィが顔を上げた。眇られた目は「あなたには言われたくないでしょうよ」とでも言いたげだ。それを挑戦と受け取り、ジェイドはフィフィの顎をくすぐる。ぶるっと身を震わせたのは果たして心地良さからだろうか。
「期待にはお答えしなくてはね」
レヴィンの後を追ってジェイドも部屋を出る。フィフィにとっては苦難の時間が始まるが、それも承知の上だと言うように目を瞑り、ジェイドの腕に身を委ねるのであった。
作品名:テイルズオブジアビス 星の願いが宿る歌2 作家名:古宮知夏