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自分らしく
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彼方から 第二部 最終話

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 ――させるものかっ!!

 共に下敷きとなるなど――イザークの頭の中には微塵もなかった。

   ―― ガシィッ ――

    “ ナニィッ!? ”

 魔物が同化した大岩が、地面に着くことはなかった。
 ノリコの頭上、ほんの僅かに上で、イザークが、その渾身の力で、受け止めていた。

 全身から、まるで稲妻のようなエネルギーが迸っている。
「う……う」
 大岩の尖った先端を持つ両の腕に、ごつごつとした岩肌を掴む両の手の平に、エネルギーが集約してゆく。
「くおぉぉおぉっ!」
 バチバチと音を立て、集約したエネルギーが、魔物が同化した大岩全体を駆け巡ってゆく。

   ギィヤアアァァアアアッ!!

 大岩と同化した魔物に、もう、逃げ場はない。
 イザークから放たれた凄まじい量のエネルギーを、魔物はまともに喰らっていた。

「おぉおおぉぉっ!!」

 エネルギーの渦に包まれた大岩から、魔物の影が浮き上がる。
 断末魔の声を上げ、耐え切れぬ量のエネルギーにその身を焼かれ、苦し紛れに抜け出そうとしているかのようだ。
 イザークは、己の身の何十、何百……いや、何千倍もありそうな、魔物が同化した大岩を、ノリコから少しでも遠くへと、体を捻り横へと打ち捨てていた。

 土煙を上げ、重く、崖肌に反響する地響きと共に、大岩は地面に落ち、ゆっくりと倒れてゆく。
 小さな地震のような振動が、足下に伝わってくる。

    “ ウ……ウ ”
     
       “ コンナ……バカ ナ…… ”

 大岩の周りに立ち込める土煙と共に、魔物の影が出てくる。
 黒い、まるで燃えカスのような、影。
 弱々しい眼を、影の中に浮かび上がらせた後、その影は、消えゆく意識と共に消滅していった。

「『アイツ』が……消えた」

 夕闇が迫っている。
 雲が茜色に染まってゆく。
 イザークはノリコに背を向けたまま、そう告げた。
 彼女の体の自由を奪っていた石や土砂が、いきなり浮き上がった。
 勿論、ノリコの能力ではない……
 それは、イザークの能力であろうが、彼は――何もしていない。
 彼女の方を向くわけでも、手を翳したり、気を放ったりしたわけでもない……
 ただ、彼女に背を向け、立っているだけ……

 彼の能力で、ゴトゴトと音を立てて、体の上から退いてゆく石。
「イザーク……分かるの?」
 痛みで、すぐには体が動かせない。
 ノリコはなんとか顔だけ彼の方に向けると、そう訊ねた。
 少し……イザークの背に漂う『気』に、違和感を覚えながら……

「ああ……今の、おれ――には……」
 ノリコに言葉を返しながら、イザークは今、自身の身に起きている異変を敏感に感じ取っていた。

 ――神経が冴え渡っている……

 ――自分の心臓の音が、聴こえるぐらい……

 力を使い過ぎているはずだ。
 その影響なのだろうか……周りの様子が見なくても分かる。
 すぐ傍に居るノリコは勿論のこと、かなり離れた所にいるエイジュたちの気配までも、手に取るように……
 風に揺らぐ草の葉の動きや、はるか上空を吹き渡っている風の行く先までも分かる……
 もっと言えば、己の体の隅々に至るまで――その細胞の一つ一つに至るまで……その動きが、分かる気がする。
 なのに……

 ――おれの体が
 ――元に戻っている……

 変容が収まっていた…… 
 瞳の形も、口の牙も、指の形も爪も――元に戻っている。
 こんなに力を使ったのに、こんなに神経が冴え渡っているのに――体の変容が元に戻ったのは、初めてのことだった……
 それは……彼の体内で蠢く『エネルギー』の『罠』だったのかもしれない……

「ノリ……」
 彼女の様子を確かめなければならない。
 怪我を――しているはずなのだ。
 イザークは、昂揚する神経を感じ取りながら、彼女の方に足を向けた。

   ―― ドクンッ ――

 脈打つ心音が、一際高く、耳に響いた。
 それは……蠢くエネルギーが、彼の精神の抑制を破り、表面へと出てくる――その音だった……

「うあっ!!」
 何の前触れもなく、『それ』は起きた。
 一際高く鳴り響いた心音に合わせるように、いきなり裂けた額。
 その痛みに――何より、一度は収まったかに思えた変容が、再び、それも、抑えることが敵わない程激しく始まったことに慄き、イザークは両の手の平で顔を覆い、膝から崩れ落ち、地に伏すように体を屈めていた。



「イザークッ!?」
 今も、これまでも――何度も自分を救ってくれたイザーク……
 そのイザークが、突然、顔を覆って、地面に伏してゆく。
 直前、額が割れたように見えたのはきっと――眼の錯覚じゃない……
 『何か』が、彼の身に『何か』が起きている。
「ど……どうし……」
 ノリコはイザークの傍へ行こうと、体を動かそうとした。
「あぁっ!!」
 激痛が、奔った。

 ――い……痛……
 ――あ――足とか……か、肩とか……
 ――さっき……さっきいっぱい、ぶつけたから……

 心臓の鼓動に合わせるように、痛みが脈を打っている。
 どこか動かそうとすればするほど、それは酷さを増し、『痛み』を通り越し、痺れや震えとなってゆく。
 立つことなど出来ない、這うことすら難しいほど、痛みが全身を支配していた。

 ――でも……

 ――でも……!

「あ……う」
「イ……イザーク……!」
 少しでもいいから、彼の傍に行きたかった。
 ズルズルと、痛みで儘ならない体を無理に動かし、ノリコは這いずってゆく。
 痛いのか、それとも苦しいのか……半ば蹲るようにして、体を震わせている彼の傍に……
 自分が傍に居たところで、役になど立たないと思う。
 けれど、それでも……!
 彼の身の方が案じられる。
 『何か』が起きている、彼の――イザークの身が、心配だった。



「来るな……ノリコ」
 彼女が名を呼んで近づいてくるのが分かる。
 痛みで儘ならない体を引き摺って……
 自分の身よりも、他人の身を――おれを気遣って……
 この身などどうでも良かった……それよりも――
「おれを……見るなァッ!!」
 変容してゆく体を、姿を、見て欲しくなかった……
 もう、止められない――抑えることなど、出来なかった。
 避けた額から、鋭利な切っ先を持つ異形の角が、皮膚を押し退けるようにして迫り出てくる。
 変容してゆく体を支えきれず、イザークは地面に手を着いた。
 その手が、リストバンドを引き裂いて大きく、固く節くれだち、爪が鋭さを増してゆく。

 ――イザーク…………

 その瞳に映るイザークの変容に、ノリコはただ、見入るしかなかった。
 思考が止まる。
 即座に受け入れることなどできない、だからと言って拒絶するなど――ノリコの念頭にはなかった。
 今はただ、彼の体が変わってゆくのを、その様を、見ているしか出来なかった。

 靴を引き裂き、イザークの足の踵から、大きな鍵爪が姿を現す。
 それに伴い、体が一回り大きくなる。
服を引き裂き、腕も肩も背中も……異形の姿に変容してゆく。

 ――変わってゆく……髪の色が……
 ――黒から――ブルーグレイに……