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自分らしく
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彼方から 第二部 最終話

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 背中の中ほどまであった黒髪が、更に長く、色を変え、イザークの体を敗れた服の代わりに覆ってゆく。

 ――皮膚の色が……
 ――青みを帯びた黒に……
 ――鱗のように……罅、割れて……

 見ている眼の前で、イザークの体は凄まじい速さで変容してゆく。
 ギシギシと音を立て、色を、形を変えてゆく様は、恐くもあったが同時に、とても、痛そうに見えた。

 ――目の色が……
 ――光るような、水色に……

 変容が、止まっていた。
 青黒く色を変え、鱗のように罅割れてしまったイザークの皮膚は、触れる者全てを傷つけるかのように、腕や肩、そして足も、大きくささくれ立ち、固く、鋭利に尖ってゆく。
固い皮膚で覆われてしまった面立ちからは、表情が失われ、水色の瞳は、美しくも思えたけれど、姿形は自分の世界で言う『鬼』のようだと、ノリコは頭の片隅で思っていた。



 ――見られてしまった……
 心の奥で恐れていたことが……現実と、なってしまった。
 変容は止まったが、まだ、エネルギーは蠢きを止めてはいない。
 自我は一応残っているが、それも、いつまで持つか分からない程、保つのが難しい……
 一番……見せたくなかった、見られたくなかった人に、醜い姿を晒してしまった……
 この上、自我まで失くしたら、おれは、何をしでかすか……分からない……
 まだ、自我がある内に――この、体内から湧き出てきたエネルギーに意識を完全に支配されない内に……
 おれは、ノリコから離れなければ……
 もうこれで、二度と会えなくなっても……

 微かに残る自我――意識の中、イザークは異形の者となった自分を見るノリコを見詰めたまま、少しずつ、後退りを始めた。



 ――ッ!!
   『おれを見るな!』
 ――イザークがああ言ったのに、あたし……
 ――見ちゃったしっかりと……
 ――嫌がってたのに……
 そう、嫌がってた。
 さっき、手に触れた時だって、彼は弾かれるようにあたしから離れて――あんな、あんな……怯えたような瞳で……
 イザークが、あたしから離れてゆく。
 少しずつ……
 見てしまったから?
 あたしが、あんなに見られるのを嫌がっていたその姿を、見てしまったから……?
 だから、いつか見られてしまうのが嫌だったから、イザーク……あなたはあたしを、おばさんに預けたの……?
 また、会えたのに……
 また一緒に、旅ができると思ったのに…… 
 あなたの傍に、また居ても良いのだと、思っていたのに……
 イザーク……また、離れてしまうの……?



 ノリコから、また少し、イザークが離れてゆく。
 彼女から眼が離せないのか、それとも、眼を離したことで、彼女の口から、聞きたくもない言葉が出るのを恐れているのか……
 イザークはまるで、恐いものに怯え、逃げるのを気取られぬようにしているかのように、少しずつ、ノリコから離れてゆく。
 瞳に映るその様に、ノリコの鼓動が、一際高く鳴り響く。
 彼女に、警告を与えているかのように……



「だめっ!!」
 違う、こんな言葉じゃない。
「あうっ!」
 痛いっ!! 体が痛い……ちょっと大声で叫んだだけなのに、体中が痛い……
 手足が碌に動かない。
 でも、でも、このままじゃ……行っちゃう……
 イザーク――行っちゃうっ!!
 動け、動いて! 今だけでもいい……彼が行ってしまう! イザークが!!
「だめっ!!」
 言葉が出てこない。
 こんな痛みが何!?
 どうしたいの? あたし!
 いつまでも、何も言わないまま、このままでいいの!?
 いやだ……いやだ!……いやだ!!
「行かないで……」
 声が小さいよ! あたし!!
「行かないでっ!!」
 お願いだからっ!!
「もう、いや……」
 少しでも、彼の傍へ……這って行くんだ。
 もう、感覚がない。
 痛いだけ。
 まるで、心臓があちこちに在るみたいに、痛みが脈打ってる……
 でも、でも……こんな痛み、何でもない。
「もう、別れるの――いや」
 あの時みたいな想いは、もういや……
 イザーク……あなたの背中を黙って見送るのは、もういや。
 何も言えずに苦しくて、辛くて、寂しくて、悲しくて――痛かった……痛かったよ、こんな体の痛みなんて、比べ物にならないくらい、心が、痛かった……
「一緒にいて……」
 一緒にいさせて……
 傍に居たい、居られるだけでもいい。
 お願い、そのまま、そこに居て。
 もう少し、もう少しで……手が、届くから……
 あたしから、離れないで――イザーク……
 ほら、手が届いたよ……
 変わってしまったあなたの手……掴めたよ、届いたよ。
 硬いね――でも、あなたの手だよ、イザーク……あたしは……
「イザークが好き……」
 やっと言えたよ。
 ずっと、ずっと、隠してたの――ううん、言えずにいたの……
 言ってはいけないと、思っていたの……
「あたしはイザークが好き」
 この想いを。
 でも、このまま……何も言わずにこのまま、あなたが行ってしまうくらいなら……
 ……ああ、痛いよイザーク。
 こうして、あなたの手に頬を寄せると、あなたの心の痛みも、体の痛みも、伝わってくるみたい。
 涙が、止まらない……苦しいの……だって……
「どんな姿でもいい、何者でもいい……」
 あたしには、イザークはイザークでしかないから……
 だから、恐がらないで……避けないで、逃げないで……
 たとえこのまま、イザーク、あなたの姿が元に戻らなくても……
「イザークが好き」
 あなたが――好き。
 だからお願い、行かないで……
 こんなことをしても、あなたは……行ってしまう、かも――しれないけど……でも、言葉だけ、じゃ……イザーク…………唇も、固くなって――
 痛い……もう、だめ……力が入らない……意識も……イザー……ク……
 …………行かない、で………
 イザ……ク……

 

 闇が、辺りを包み込もうとしている。
 山の稜線に沈んでいく夕陽が、その輪郭を浮かび上がらせる。
 東の空に瞬き始めた星々。
 イザークは、気を失ってしまったノリコの体を、優しく、受け止めていた。

   *************

 エイジュは空を、西の空を見やっていた。
 遠くに臨む山々の稜線が、朱く染まっている。
 少し先を歩くアゴルが、そちらの方を指差すジーナを抱きかかえ、同じように眼を向けている。
 胸に、微かな痛みが奔った。
 自然と、左手の指先が、痛みの元をなぞる。
「……? どこか、痛いのかい? エイジュ」
 その仕草を不審に思ったのか、ガーヤがそう、声を掛けてくれる。
「いいえ」
 微笑み、首を振りながら、
「ただの癖よ、考え事をする時にね、つい、してしまうの……気にしないで」
 エイジュはそう返した。
 もう一度、陽が沈み掛けている西の空に眼を向け、
「もうすぐ、完全に陽が落ちてしまうわね……」
 そう呟いた。
「そうだね……二人はどうしているかね……」
 火を灯した松明を手に、ジーナの指示で辺りを窺っている面々を見やりながら、ガーヤはそう応じた。
「大丈夫、大丈夫よ……きっと、もうすぐ会えるわ」
「だと、いいけどね」